こんにちは みのりです。
20日は朝から
仙台の慈眼寺の護摩に行こうと思って飛行機も宿も
なんなら、牛タンも手配していたのですが・・
金曜日に護摩が中止になってる事に気づき、
急遽、仙台行きをキャンセルしたところでした。
そしたら、夜に東北の地震のニュースです。
私は日頃から「地震は(人間には)予知できる」
と断言してるので、
大阪の街と地震のこと
https://www.1satori.com/?p=6679
内側に静寂を
https://www.1satori.com/?p=8560
この間の福島の震度6の時は、
予知してないかとFBをのぞきに来てる人がいましたね。
多くの人が「また大きな地震が来るんじゃないか?」
「自分の地域は大丈夫だろうか?」と、
不安に感じてるのがわかります。
確かに震度5は怖いですけど・・
何も感じないから
仙台に行く準備をしてました。
ちなみにこの間の福島の震度6も
全く何の予感もありませんでした。
大地は平和です。
(実際に大きな建物の損害も死者も出てないでしょ)
ただ・・日本は地震の国です。
なので、
人間と神(自然の知性と呼んでもいいです)
の違いを理解しておかないといけません。
人間は自由意志があるから方向を変えられます。
「仙台行き辞めた!奈良にいよう!」
このような方向転換ができるのが、
人間の大きな特徴なのです。
でも神(自然の知性)には
この自由意思はありません。
自然の仕組みとリンクして、
一定方向にしか流れることが出来ないのが
神(知性)の特徴です。
山の神(固まる地の要素が強い知性)が、
河の神(流れる水の要素が強い知性)
に憧れても、方向転換する事は出来ないのです。
山が河に憧れて「なりたい」と言えば、
大きな自然の秩序が壊れるからです。
こういう全体の大きな取り決めのことを
「法」といいます。
ルールの事ですね。
相似形では、
人間の身体の中にも神(自然の知性)があります。
骨の神(固まっている知性)が、
筋肉の神(柔軟に動く知性)に憧れて、
なりたいと方向転換することがあれば、
それは死や病気を意味しますね。
骨は骨として、筋肉は筋肉としてあり続ける、
この働きが知性です。
人間は自分が方向転換できるものだから、
自然をコントロールしすぎて、
方向転換できない自然の流れを前にした時、
人間が動かないといけない事をすっかり忘れているのです。
人間は、頑張る事も時には必要ですが・・
地震や津波の時は、頑張ってはいけない。
さっさと動くが正しいのです。
東日本大震災から10年で、
海の前に高い堤防が出来ているのを
ニュースで見ました。
この場を去った人達には、
堤防は必要ないので、
これが、
そこに住む人達多くの希望であったのかもしれません。
私は、少しビックリしました。
大地の女神がいるとしたら?
「人間が動かないといけない事を忘れているだけだよ・・」
と、そう話すでしょうから。
だからイザという時は、
忘れないで、どこにいても、
人間が動いてくださいね。
そう言えば、
金峯山寺の護摩でクンダリーニが上昇しましたから、
その時に、慈眼寺は、
ハンパないだろうな〜と思ったんですね。
クンダリーニは龍です。
龍が暴れないように準備してから、
良き時期に慈眼寺、再チャレンジします。