あいで布を染めるように

こんにちは瞑想みのりです。
昨日の痛ましいニュース(総理大臣の訃報)は、
私の住まいから駅2つのところで起きました。
ご冥福をお祈りします。
この後、お線香と水をあげに行ってきます。

私が死者に対して気にしてることは1つです。
死んだ事を本人が知ってるか知らないか、ここですね。

仕事中に、背後から撃たれてますから、
「もう仕事をしなくていいんだ」と、
そして「安らかに眠ってください」
これを周囲の人が伝えてあげることが大事ですね。

またこの話も追々。
では、今日は瞑想初心者の人に向けて書いてみました。

ここ数年、
藍染の布巾を使っています。

買って良かった物ベスト5に入ってますね。

何が良いかって、殺菌効果があると思います!
(それが実感できますもの)

夏場、布巾が濡れたままでも臭くならないのです。
そして、すごい速さで乾きます。不思議だわ!

藍染のお話は、
瞑想の「空」の経験にも例えられます。

「空」の経験は、
最初は瞑想中に起こります。
認識できない「からっぽ」ですが、
エネルギーに満ちており、
創造のすべての力がここに詰まっています。

「空」は私たちの本質であり、
性質としては、平安や至福感、静寂で、
誰もが生きている間には経験したいと
思うような心地よい体験です。

 

けれども、
瞑想中に得た「空」のこれらの性質も、
瞑想から戻ると、日常のストレスにまみれて、
かき消されてしまうのです。

 

おおざっぱに悟りをわかりやすく
説明するとしたら、
この瞑想中の「空」の経験が、
どんなにストレスにまみれようとも、
働こうとも、走ろうとも、世界で何が起きようとも、
瞑想中だけでなく、日常の中でも消えないで残り続ける事。

これが「悟り」と、
定義する事ができるでしょう。
皆さんは、ここを目指してくださいね。

世の中のストレスから逃げて
瞑想だけして生活すれば
空の平安が消えずに悟れるのか?といえば、
これが大間違いなのです!
それは、ただ単に
「瞑想を人生から逃げるために使っている状態」
なのですね。

筋肉を鍛える時と同じで、
ストレス(負荷)をかける、
そしてリラックス。
この繰り返しで質の高い筋肉が育ちます。
負荷だけでも、リラックスだけでもダメなように、

空が日常に定着するためには、
なんと日常のストレス(負荷)に、
さらされる事が必要なのです。
瞑想してない時の活動が
空の日常的な定着(悟り)に欠かせません。

藍染と同じなのです。
最初、布を染料にさらしても、
布はすぐには染まりません。

染めるためには、
水で何度もさらして、そして日光にあてます。
すると、せっかく染まったはずの染料は、
落ちてしまうのですが、
この落ちてしまう工程が必要不可欠なのです。

せっかく染めたはずの染料が、
水や日光にさらすことで、
落ちてしまう。それでも少しだけ、
布に残る染料があるのですね。

それは、
言い方を変えると、どんなに水や
日光にさらしても残る強い染料です。

藍染にはそれが布に定着していく必要があるのです。

 

瞑想の空も同じです。
瞑想をして平安を得る。
そして、日常に戻り、ストレス(負荷)にさらされる。
すると、空の平安は吹っ飛んでしまうのですが、
これを何度も繰り返していると、ストレスにさらされても、
残る空が微量ながらあり、
それがどんどん日常の中に定着していくのですね。

 

染料が、どんなに水でさらしても、日光にさらしても、
青色に染まって取れない時、藍染が完成する訳ですが、

 

瞑想の悟りも同じです。
どんなに、世界で何が起ころうが、
日常でストレスにまみれようが、
いつも平安がある。至福がある。静寂がある。
この状態になる時が悟りです。

簡単に言うと、瞑想からは出てくるけれども、
「空」からは出てこなくなる。この状態が悟りなのです。

これは、もしも瞑想を辞めてしまったとしても、
空がいつも日常に溢れている状態なのです。

 

ここも藍染と同じです。
青く染まるまでは、簡単に落ちていた染料が、
一度染まると、今度はどんなに
「元の白い布に戻してください」
と言われても もう戻らないでしょ。

これは、悟りの知覚の変化そのものです。

一度、空によって、
認識力が拡がり知覚の変化が訪れると、
「元に戻して!」と言われても・・
もう元に戻りませんから。

瞑想というのは日々することは、地味な作業ですが、
確実に、空の平安を日常にもたらします。
私たちの心や身体、精神状態、
そして知覚に変化をもたらし変えていきます。

瞑想みのり

タターガタとブッダの違い2

こんにちは
瞑想みのりです。

この間の月曜の夜中に、
不思議な体験がありました。

寝ていたら、「ウ〜ッ・・ワン」って犬の唸り声が、
夢の中で聞こえて、姿形はないんだけど、
とても大きな鳴き声で、とてもリアルで、
目を見開いてしまいました。

 

「今の何だったの?」と、思ったけど、
すぐまた眠たくて寝たの。

 

そうしたら明け方、夢をみました。

白い紙が4枚並んでいて、
数字らしきものが書いてあります。
紙の上に全部、赤い線が引いてあります。

起きたとたん「ヤバい!」って思いました。
これは知性の夢です。

仮に、入試や就職試験受けてる人が、
この夢みたら試験は落ちています。
多分100%の確率で・・落ちてます。

契約社員がこの夢みたら、
次回更新はない可能性が高いです。
または会社をクビになるとかもあるでしょう。
まぁこれも100%に近い確率で・・。

これは、
赤点の意味ですね。

私のこの夢の場合は、
カルテのようなもので、
健康状態を表します。
「健康状態が赤点だよ」
と知らせているのです。

8月とこの4月に健康診断を受けてます。
異常なしでした。
だから、ヤバい!と思った矢先、

「健康だし、大丈夫だろう・・」と、
この夢をスルーしようとしたんですね。

でも、
この間、自分がブログに
タターガタとブッダの違いを
書いたのを思い出しました。

聞こえてる(見てる)のに、
変えない(行動しない)のであれば、
それは、聞こえてない(見ていない)のと同じだと・・

 

だから私も、絶対に、
スルーしてはいけないと思いました。
行動をしないといけないのです。
この場合の行動は、
もっと詳しい身体の精密検査を受けたり、
健康に気を配る。痩せたり、筋肉をつけたり、
食事を変え、健康の正しい知識をつける。
そんな病気の予防の為の行動ですね。

健康の全体の数値を上げろって意味です。

人は未病の為には、
お金や時間や手間を支払わず、
重い病気になってから
あわてて支払いをするのですね。
これじゃあイカンぞと、
ここに対する警笛で、犬が吠えてます。

この体験は厳密には夢ではなくて、
タターガタです。

タターガタは、
目覚めた意識が、
知性の目がある触手を伸ばして、
ありのままのものをありのままに聞いてる
(または見てる)状態です。

この夢を見たら、入試や就職試験では
100%落ちると言いましたが、
この100%の意味は、
タターガタの場合は、知性の触手が、
空間にひろがり、

合否を言い渡す人や
これからリストラを告げる役割の人の
意識をそのままにキャッチしてるので、
100%なのです。

「夢は歪曲しているから使うな!」と
言ってる人は、
目覚めを知らないからです。

タターガタで、何かを見た時(聞いた時)
夜中睡眠中に見たり聞いたりすれば、
多くの人が「夢を見た」と思いますが、
目覚めが起きていると、
そこには全く違う意味合いが加わります。

タターガタは、
聴覚の場合はそのまんまです。
(主語がない場合が多いです)

視覚の場合は、外側の映像はそれぞれ違いますが、
内側の意味合いが全く同じなのです。
だから私から言わせれば、一切歪んでいません。

今回登場した、
鳴き声だけの犬さえも、歪んでいません。
一瞬で、どうして犬なのか?
姿が見えないのか?
この意味する事が全部、
知性として凝縮されて犬なのです。

鳴き声だけでも、
しっかり私が目をさますほど聞こえている。

ここから、姿も声色も私に見つかりたくない人物で、
(私がタターガタの状態である事をご存知の人)
けれども私にしっかり何かを伝えたい。
(この場合は健康状態のこと)

つまりは、犬じゃなくて、
そんな私の事を良く知る人間の意識を
キャッチしてるのです。
警笛は、愛ですね。

知らない人なら顔をビジョンで見ても、
声色を聞いても誰かわからないから、
隠れる必要もないので・・

隠れるから余計にバレる事もあるわけです(笑)

 

タターガタとブッダの違いは、タターガタで見た事、
聞いたことから知性の伝えるままに、
行動を起こせるかどうかなので、
みなさんも行動してくださいね。

早速、私も線虫くんって
ガンの早期発見ツールと、
ユーグレナの遺伝子解析セットを
受けてみる事にしました。

あと、
youtubeのヨガ動画を、始める事にしました。
毎日、筋肉痛です。

 

次回は、もう少し目覚めた視覚や聴覚と
そこから行動をしていく話をしていきたいと思います。
とっても簡単なので!

瞑想みのり

コーン茶作ってみようかなと

 

タターガタとブッダの違い1

こんにちは
瞑想みのりです

昨日はフィットネスクラブから、
コロナ休業の代替で
帝国ホテルの無料のディナー券を
頂きましたので、行ってきました。

 

もうすぐ父の日ですし、
6月は私の誕生月でもありますからね。
お花のプレゼントも頂きました。嬉しいです。

ふかひれの姿煮

フカヒレの姿煮 大好きです。
高級なので、滅多に食べませんが、
難しい料理だなと思います。

これだけ高級食材になると、煮汁が、
人工調味料を使っていると食材とのギャップで
終わるのです。

しかも、味を含ませようと思って煮過ぎると、
フカヒレのゼラチンが溶けていく。
姿が壊れるから、中まで味がしみてるか、
味見ができないですしね。

上手に調理されているなと思いました。

 

今日の話は、最近の私の瞑想での気づきです。
皆さんにとっては、難しい話かもしれません。
けれども、ブログは、自分の為にも書いているので、
自分にとって大事な話なので、残しておきます。

 

今週はタラの伝授がありますね。
旧方式と最新とまぜて教えていきます。
(理由も受講者さんには話します)

タラは観音のこと。
観音には「人々の嘆きを聞く者」という、
意味があります。

さまざまな階層(地獄や畜生界など)に、
どこにでも空を発達させた知性の目のある触手を伸ばして、
聞いている者が観音なのです。
この聞く状態が、タターガタの事ですね。

タターガタは、
「ありのままの状態をそのままに聞いてる」ですが、
普通の一般人が聞く事。とは、明らかに違います。
(ここは間違えないでください)

 

この違いは、普通の人が聞いてない事も聞いているからです。
例えば、普通の人は、誰かが身近にいて、
口に出して話した事しか聞いてません。
でも、タターガタは口に出して伝える前に
意識してるだけの事も聞いています。
だから口に出さなくても、距離が遠くても聞いています。

例えば、上記のフカヒレの調理法に私が感心した話。
仮に料理長が瞑想を長く続けていて、タターガタの状態にあれば、
私が何に感心したのか(ダシの事)
何を残念に思ったのか(味が中までしみてない事)
ここまで聞いているでしょう(笑)これがタターガタ。

ではこの次の段階ね。
タターガタとブッダの違いはなんでしょうか?
ブッダは「目覚めている人」の意味です。
タターガタでもかなり目覚めていると思いますよね?
何が違うのでしょうか?

 

タターガタでは、知性の目で、
ありのままに見て聞いてるけれど、
まだ見てるだけの段階。

 

「洞察する」という部分にまで
知性がしっかり目覚めて
備わっているわけではありません。

タターガタにもっと多くの知性が備わる時、
ブッダに変わっていくのです。

 

タラでは、
受講生さんのタターガタはもちろん、
この先のブッダまで発達させていきたいですね。

 

私の料理にまつわるタターガタの話です。

瞑想会の時に、お弁当を出してるので、
その写真を掲載してますよね。
いつもお弁当の下に、
受講生さんにランチマットのかわりに、
色画用紙をおいてもらってます。

その色画用紙が、
赤ときみどり色の配色になっていた事があったのです。
私としては、何色だって構いません。
だから普通に写真を撮影して、
ブログに掲載しました。

 

そしたら、それをみた人が、
「韓国人なのか?」と言ってるのを、
タターガタで聞きました。

 

いいえ。私は日本人です(笑)

 

どこの誰かが勝手に、
たまたま組み合わさった画用紙の配色を見て、
ブログを見ながら心の中で思った事。

 

これを聞いてる。これがタターガタ。

 

私、個人的には、きょうだいが、
韓国の人と結婚してますから、
可愛いハーフの姪っ子と甥っ子がいるので、
韓国びいきではあるのですね。

 

けれども、このタターガタで聞いた事を境に、
赤ときみどり色の組み合わせの画用紙は、
出さないようにしたのです。

どうしてこの人が、これを言ったのか?
話した事が私に、聞こえたのか?
本当にどうでもいい事なら聞こえない。

聞こえてることにも知性があるから
選別して聞こえているのです。

聞こえてるのに、
変えないのであれば、
それは、聞こえてないのと同じなのですね。

タターガタとブッダの違い。
タターガタであれば、聞いてるけど、
聞いてるだけ、変えなくてもいい。

 

でもブッダまで成長していくのであれば、
なぜ聞こえたのか?

「洞察する」という部分にまで
知性がしっかり目覚めてくる必要があります。
そして、大事なことは、
そこから行動が変わることです。

 

「韓国人なのか?」と言った人の、
身内が韓国人を大嫌いなのですね。
「そんなの関係ねぇ〜」と思うことも出来ますが、

ここに私が、想いを馳せるという事。
これが必要だと知性が伝えているのです。

実際に、日本は戦争をしていたので、
年配の方ではアンチの人もいるわけです。

私は若い世代で関係ないわ!
韓国が好きだからこれでいいよね。

これでは、ただのタターガタ。
場合によってはいけない場合があるのです。

これを知性は伝えています。

とにかく、行動が変わってくること。
これがタターガタから、ブッダ(目覚めた人)
への成長ですね。

 

 

今日の話は、難しかったね。

またこの話は次回に続きます。

お知らせです。

次回伝授&瞑想会は、6月12日(日)です。

瞑想みのりサイト

 

雑念も出せない瞑想はどうかしてるぜ!

川崎にて
こんにちは
瞑想みのりです。

6月タラの伝授&瞑想会はあと1席になりました。
まだ解説が追いついておりませんが、
7月くらいにはUPできると思います。

今日は初歩的な瞑想のお話です。
タラは、特に「空」が動く質(シャクティ)を
育てていきますので、
これを理解しておかないと、飛ばされてしまいます(笑)
人によっては嵐のような体験が長く続きます。
今日はこの嵐の意味を理解しておきましょう。

瞑想中の雑念についてです。

私たちは勝手に瞑想中の体験に、
善悪を持ち込んでしまいます。

その中の一番大きいものは、
瞑想中の雑念(思考が沢山、出てくる事)を
「悪」だと扱う事です。

勝手に私たちが良い瞑想だと思い込んでいる体験は、
静かで心地よく、雑念のない瞑想ですね。
これを「良い瞑想」「善なる瞑想」と思い込んでいると、

ひとたび、雑念だらけで、心地悪い体験が続くと、
「瞑想がちゃんとできてない」
「空」を経験できていないと、
素人判断をしてしまうのです。

結果的には、この体験が続く時、
瞑想ができてないと素人判断が入り、
せっかくつかんだ「空」の体験を捨ててしまう
(瞑想を辞めてしまう)のです。

あ〜もったいないですね。

理論的に何が起きているかを理解しておきましょう。

瞑想中の「良い瞑想」と私たちが勝手に判断してるもの。

心地よくて、雑念がなくて、ずっと留まっていたいと思う体験。
主観で、深い瞑想と感じる体験です。

多くの人がこの体験を求めます。
私もこの体験の方がそりゃ好きですよ。
皆さん、好きに決まってます。

この体験は、心地よい至福感に包まれますが、
起きていることは、
「空」の中で意識が拡大している体験です。
主に、意識の拡大が起きていますが、
根深いストレスの解放という意味では、
そんなに起きていません。

この心地よい体験が続いた後は、
今度は、意識が拡がった分だけ、
また新しく、
根深いストレスを扱う事が出来るようになります。
ちょうど、一つの部屋が綺麗に掃除されて、
ホッと一息ついた、
そしたら、次の知らない部屋に入ると、
ゴミだらけで
また掃除を始めるような感じです。

その時の体験が、雑念だらけで心地悪い、
いてもたってもいられない
浅いと感じる瞑想の体験です。
悪い瞑想と思い込んでる体験です。
浅いと感じるのは私たちの主観であり、
本当はこの時も、ELM瞑想(フルフィルメント瞑想)では、
「空」をちゃんと経験しています。

根深いストレスが、
瞑想中の雑念に乗っかって出ていくのです。

この雑念だらけの体験は、
意識の拡大はそんなに起きていませんが、
主に根深いストレスを取り去る作業をしています。

だから、周期的に、意識の拡大。
そして、根深いストレスを取り去る。
この体験が交互に起きてくるはずです。
これは、何日周期とか具体的な事は言えません。
人それぞれですからね。

雑念だらけの体験が続く時は、やはり、心地悪いです。
けれどもそれは悪ではありませんし、
瞑想がちゃんと出来てない訳でもありません。

「あっ!今、根深いストレスが、去っていこうとしているんだ!」
そんな気持ちで瞑想を続けてくださいね。
雑念は、抵抗しないで、垂れ流しが一番、
スムーズなのです。

悪の判断をしてると、苦しくなります。
抵抗してる事だから。
タラはこの体験が、今までに経験した事がないような
嵐のような体験になります。

瞑想を長く続けている人は、
もう気づいてるかもしれませんが、
現実が大きく変化するのは、
実は・・雑念の体験が続いた後なのです。
雑念の体験が続いた後の日常に目を向けてください。
本当に何かが去っています。
何か大きなストレスを手放しています。

 

だから、私としては、
雑念も出せないような瞑想の方が、
どうかしてる!と思うのですね(笑)
それは、どこにもパワーがない事を
意味していますから。

瞑想中の体験なんてどうでもよくて、
瞑想は何のためにしているのかと言えば、
瞑想してない時間
(日常生活、睡眠の質、仕事中や家族、友達と過ごす時間)を、
摩擦なくスムーズに過ごす為にしています。
1日に朝夕30分の瞑想をするならば、
残りの23時間の質を変える事が出来ます。
これが瞑想の意義です。

タラの意味は、
「渡る者」という意味があります。
ストレスだらけの現実世界を
「サムサラの河を渡る」と
表現しますが、タラは、
荒れ狂う河に橋をかけて渡ります。

 

サイモン&ガーファンクルの
「明日にかける橋」
という名曲がありますが、
昔から大好きでした。
これ、タラの事だなと思って、
よく聴いていました。

最近は、サイモン&ガーファンクルよりも
プレスリーが歌う
「明日にかける橋」をよく聴いています。
プレスリーが、すごくパワフルで、
今頃、はまってしまいました。

果物の桃を見てもタラに似てるなと思います。
(どんな例えだよ!余計わかんなくなるだろ!)

うまく言えないけれど、タラはシャクティの化身で、
シャクティというのは、色気でもあるからです。
色気にまつわる色んな事が起きてきます。
これもまた追々、書いていきますね。

タラは「渡る者」
泥だらけのサムサラの河に、頑丈な橋をかけて渡ります。
「空」は瞑想中だけにありません。
現象の中に嵐のように登場します。この嵐が、
やがて、知性を持つ触手に変化していきますので、
五感覚が、神のような精妙な知覚に変化していきます。
それがタラです。

今日も熱く語ってしまいましたが・・・
とにかく、楽しいし、多くの瞑想ファンが
一番好きなテクニックにあげるのがタラです。
私も愛してやまないタラですね。

6月から、楽しくまいりましょう!

瞑想みのり

期待するな!期待以上のものだから

こんにちは 瞑想みのりです。
前回は、ダイエットにまつわる瞑想での解放の質問でしたね。

瞑想で具体的な悩みを解決したいと思って始める人もいます。

私がいつも受講生さんに最初に、話しているのは、
「瞑想に期待するのをやめろ!」と話しています。
これは理由があって、
期待した事が得られないからではありません。

まさか〜!

瞑想というのは、
あなたの期待以上のものが得られるから。
だから、期待するな・・と話しているのです。

瞑想では「この悩みを具体的に解決したい」と思っても、
それがいつ、何月何日に解放されるかなんて、わからない。
「さぁね。いつか・・」としか、言いようがないのです。
でもその「いつか」の間に、思ってもみないものが
解放されていてびっくりするのです。
ブルドーザーのように、
根こそぎゴミをまとめて解放していくのです。

瞑想に何かを期待してる状態を、
「リンゴの実が欲しい!」と
切実に思ってる状態だとしましょう。

瞑想は、土に植えた種にむかって、
水をあげるような行為です。
その種にむかって、水をあげたからといって、
リンゴの実が得られる保証はどこにもありません。
「さぁね。わからない」としか言えないのです。

けれども、水を根気よくあげていたら、知らない間に、
葉っぱが出てきて、幹が出来て、枝が広がり、
キウイとか パパイヤ、マンゴーの実がなっててびっくりする
感じに似ているのです。
そして、キウイとかパパイヤとかマンゴーの
果実を収穫して食べて喜んでいると、
リンゴはどうでもよくなっていたりするのです。
瞑想とは、本当にそんな感じです。

リンゴ(自分がほしい成果。期待)に執着しない理由は、
そこに執着したために、キウイやパパイヤ、マンゴー、
一生、果実が成り続ける種を間違えて手放してしまうからです。

大木というのは、重くて持ち運ぶ事が出来ません。
けれども、種はどうでしょうか?ポケットにいれて、
誰にも知られずに持ち運ぶ事が出来ます。
一生実が成り続ける大木です。

長く生きてると、人間にとって、
本当に大切な事って、
山ほど沢山あるわけではないことがわかってきます。

「空」の直接体験というのは、
人間にとって、大切な経験の1つです。
だから、「空」の別名を
「相対(比較の対象があること)」
に対して、
「絶対(比較の対象がどこにもないこと)」
と呼ぶのですね。

また次回は、
悟りシリーズか食べ物の事、書いてみようかな。

瞑想みのり

大好きなピンク色

 

太る質問

では、今日もさっそく、行ってみよう!
ラブマントラの方の質問です。

三田のエスコヤマのクランツ。太りそうなバタークリームのお菓子取り寄せてみた!

(質問)
今までダイエットとリバウンドを繰り返してきました。
友人と話していた時に自分の感情が大きく動いて

「このコンプレックス!!!こじらせまくっているけど
なぜか・・なぜか・・・もう簡単に解消できる気がする!!」

とそう思ったんです。
で、そう友人に話したその夜、瞑想を始めました。

すると、すぐに私は号泣し始めました。
押し殺すように。むせび泣くように。
30分、ずっと深呼吸をしながら泣き続けました。
頭の中では、過去生でずっと繰り返してきた
時代に翻弄されて愛と調和で生きてこれなかった
すべての人生が、本のページをめくるように現れてきて
私は頭の中で何度も

「いいよ、全部私が光に変容させてあげるから。
大丈夫だから!!私はわかっているから!!」

そんな言葉が繰り返し頭の中で響いていました。

怒涛の30分の瞑想後すっきりしましたが、
夜中に、いつもは一度寝ると起きる事のない娘が
「お腹がいたい」と起きてきました。
トイレで用を済ませたら少し楽になったようで
そんな娘と一緒に私も布団に横たわりました。

すると、夢の中で
娘が病気になったという夢をみました。
(※まさに現実とオーバーラップする感じでした)
だけど、なぜか、家の中にお医者さんが常駐していて、
それで娘が助かる・・という夢でした。

普段ほとんど夢を見ない(覚えていない)私が
昨日の瞑想で号泣、そして夢をみた、という流れでしたので
みのり先生のご意見を聞いてみたくなりました。

(みのりおこたえ)

この体験もラブマントラらしい体験ですよね。

まず、太っている心理的要因は
「保護」を求めているからです。

びっくりするくらい太っている人って、話を聞いてみると、
子供の時に虐待を受けていたりします。
「守ってもらえない」だから、脂肪を蓄えて守る(これが保護です)
その人が本当に守りたいのは、辛い自分の心です。

瞑想の「空」は「完結する」という性質を持っています。
瞑想してない人は、現実の中か、夢でしか解放ができません。
悲しい、苦しいなどの人生ドラマを作り出して、
感情を感じて完結しようとします。

夢の中の解放であれば、
怖い夢をみて怖いと感じて完結するなどです。

瞑想してる人は、瞑想中は、意識が、
精妙なレベルを経験してるので、
空のすごく近くで完結が起きるので、解放が楽です。
おそらく、太っているとしたら、その原因は、
「守ってもらえなかった・・」という、
何らかの思いが根強くあるのだと思います。

瞑想も初期は、その日に、日中に仕事などでためたストレスの解放で、
せいいっぱいです。
けれども、ある程度、根深いストレスが取れてくると、
過去(子供の時)そして、過去世の根深いストレスを解放していきますね。

過去世の部分は、精妙な領域で完結されているので、
詳しくわからないけれど、たくさんのカルマ(ストレス)を解放しています。
もしも、具体的に見えたとしたら、
気絶してしまうような印象を解放しています。

 

そして、高次の自分(空の自分)の言葉なのかな?
守られない・・と、あきらめて(脂肪をためこむ)ところから、
守られるんだと、思えた何かが内側で起きたのだと思います。
(これが無いと、保護されない=問題解決しないから、必要だったのです)

普段から「私の心と身体は、私が守るから!」と、
深いところから思ってあげるのは大事な事ですね。

本当に深いところから、守られる事が理解できた時は、
太る理由がなくなるから、脂肪を必要以上に溜め込まなく
なります。(こうなれたらいいですよね)

こういう経験を「カルマ(根深いストレス)から自由になる」
って言います。

娘さんの「お腹がいたい」は、
これは、お母さんの解放の影響を受けたのだと思います。
大きな解放の時は、子供も反応しますね。

 

なぜかというと、
カルマ(ストレス)というのは、
2種類あり

・肉体に由来するもの(先祖の身に起きた事)
これは、ダビングのように肉体にまつわる記憶を先祖から受け継ぎます。
(おじいちゃんの戦争体験を孫が瞑想中、解放するなどありますし、
長年、瞑想してる人の親などは、性格がガラリと変化したりします)
これは、魂とは全く関係のない記憶です。

もう1つは
・魂に由来するものです。

これは、肉体がなくなっても、
転生の間、解放されるまで持ち続けるフィーリングです。
(このカルマを解放・完結してくれそうな人生を歩む肉体を
(見えないレベルで)選び、転生し人生が進んでいきます。

どっちにまつわるカルマ(ストレス)なのかは、
厳密にはわからないし、分析の必要もないのだけれど、
(両方、一緒に解放されるゴミから)

 

夢の話は、お医者さんの常駐で
「助かる」よりもニュアンスとしては、
夢が「大丈夫。守られるから・・」
と教えてくれていますね。
これをみる事で安心した(守られた感からくる安心感)
があるはずです。知性でもあるし、カルマの完結を意味しますね。

この夢は、本当のお子さんの事でもあるし、
この太ってるという思い(守られないという思い)が、
ご本人の子供の時に実際にあった事なのではないかしら?
(今世の幼少期、または、過去世の幼少期の記憶の可能性もあります)

とにかく・・
「空」の経験を伴う瞑想の場合は、
これを解放したいと具体的に望んでいる事が、
いつ、何月何日に解放できるかと、
指定することは出来ないのです。
けれども
自分が解放したい、解決したいと思ってもみないことまで、
知らない間に沢山の解放が起こり、成果を得るのです。

面白いシェアーでしたね。

次回の瞑想伝授&瞑想会は4月10日(日)です。
もうすぐ満席です。

瞑想みのり @奈良学園前