婚活のカウンセリングなどしていると、
愛がわからない人っています。
「お願いだ!婚活より前に!瞑想してくれ!」
愛は、考えることと、感じる事(感情)とも違います。
愛は、ハートの中にある力強いエネルギーです。
瞑想は、愛とつながります。
だから、
瞑想してる人は、
皆さん、内側の愛を知ってます。
知らないとしたら・・
「お願いだ! 愛を体感できる瞑想に!
さっさと変えてくれ!」
瞑想してる人は、
体感で愛を知っている・・
けれども、
これは、内側で自分が感じている
エネルギーの状態であれば有効なのですね。
私達は、
目に見える世界と見えない世界
両方にまたがって生きていますね。
だから、
外側の世界を見るにあたっては、
「愛って何か」をしっかり、
定めておく必要があります。
自分のハートの中にある力(愛)
これを、何と定めるかですよ。
これを「定義づける」と言います。
そうしないと、
愛を内側で感じている。
あることを知っているにもかかわらず、
外の世界で、認識できないのです。
例えばね。
愛が「優しくする事、すべてを受け入れる事」
と、定めていると、
子供を成長させようとして、
親が叱ってくれた事、
成長させようと、課題を与えたり、
プレッシャーをかけてくれたこと、
これが愛だとは、決して見えません。
だから、ずっと、親がしてくれた事、
全部を恨みに思っていたりします。
そして、自分の子供を、
諭したり、叱る時にも、
罪悪感や後ろめたさを感じます。
私には愛がないと、
自分が定めたとおりに、
間違って感じてしまうからですね。
「自分を愛する」
これも、定めていることが
「優しくする事、すべてを受け入れる事」
だったりすると、
たいした事してない自分を甘やかす事。
わがまま言う事。だと信じて疑いません。
あたり前の事しだだけなのに、
なぜか、自分へのご褒美だらけになる(笑)
こういうの、
愛とおもっていると、
自分が苦しくなりますね。
他にも例をあげるとしたら、
愛を「つながっていること」
こう定めていると、
外で、
必死で働くお父さん、
残業だらけの夫の愛が理解できません。
自分が定めてないから、
本当に、本当に・・見えないのです。
それで、夫には、愛がない冷たい。
愛されてないと思ってしまいます。
実は、
冷たいのは・・自分の方です。
病気などもそうですね。
愛を小さく捉えていると、
がん細胞とか、病原菌に対して、
受け入れて包み込み、
つながって、
優しくしちゃうから、
NOと言って、
体の外に排泄することが出来ません。
ウェルカム病原菌。
結果、
一番に愛すべき自分の肉体が死に至る。
愛じゃなくて、
それ残酷なんですけど・・・。
「あんなにいい人なのに、
なんで病に侵されるの・・」って、
よく聞くドラマのようなセリフは、
勘違いの愛いっぱいの良い人
だからなのかもしれません。