エゴを裁かないで・・

こんにちは
瞑想みのりです。

今年最後の瞑想会がおわりました。
瞑想会が終わった後に毎回、幸せを感じます。
幸せは理屈じゃなくて、ハートで感じるもの。
参加のみなさん ありがとうございました!

新年は、1月9日(日)
10時からはラブ・マントラの伝授と11時から瞑想会。
16時からは、ニューライフ・マントラの伝授で決定してます。
同じマントラの伝授であれば参加できます。

豚の角煮弁当

今日は、ラブ・マントラの夢の質問です。
ラブ・マントラは 本当に知性的ですね。
あまりに賢いので、うっとりしてしまいます。
そして社会性があります。
この世と関わる事が起きてきます。

日常(現実世界)、夢、無意識の世界(精神世界)
ここを知性の目をもちながら、
つなぐようにラブマントラのシャクティ(神通力)が
通り抜けていくのです。
私は夢の解釈をしますが、ラブ・マントラがあなたに
伝えたいことを通訳してるだけなのですね。

 

睡眠中の夢は、目覚めてない時は、
歪んでおりゴミですが、
目覚めた時は(悟りの意識状態では)
知性の塊ですよ。

(頂いた質問)
ロッククライミングばりの急な長い坂道を、
車で登っています。
私は後部座席に座っています。
車がひっくり返りそうな角度なので、
恐怖で下を見下ろすと怖いです。
それにも関わらず車は高度を上げどんどん登っていきます。
もうしがみついて乗っているしかないです。酷い恐怖です。

次の場面では、着いた先で順番が来て、
厳かな広い神社の拝殿の畳の上です。
ひざまずいて参拝をしているところでした。

参拝を終え、天気も良く帰り際の坂道で、
しまったー、記念に写真撮っとけば良かった!と、
咄嗟に思いました。
こんな場で不謹慎ね!と自分にツッコミを入れました。

(みのり お答え)
これは、知性の夢です。
アイデンティティ(存在証明)の変化について、
そして、今後の仕事(新しいアイデンティティ)
についての知性の夢ですね。
ラブマントラのシャクティ(神通力)は、
社会性があり、そこに先導していこうとしてます。

この人の漠然とした(悩みまではいかないけれど)疑問は
「私って一体、何者だろう???」なんですね。
我(エゴ)についての疑問です。

もしかすると、それを知りたくて、
瞑想を始めたのかもしれません。
そして、1つは瞑想を始めたことで、
答えを得ているのです。
その答えは「私とは、何もないもの(空)」
だと云うこと。
「空」は「真我」本当の自分の事ですから。

あなたの魂はこれに納得しています。
けれども、具体的な形のある現象の世界を
生きてるあなたは、もっと形のあるもので
「私は何者か?」の答えが欲しいのです。

 

これも1つは得ました。
子供を生み育てる経験の中で、
「私とは何者?」と聞かれたら、
「私は◯◯ちゃん◯◯くんのお母さん」という
アイデンティティ(存在証明)を得ました。
1つの大きな大役をなしとげたのです。
ここは、自分自身を褒めてあげましょう。

 

けれども、今、子供が大きくなってきて、
子育てが終わる時期が来てるのか?
未来に向けて、
このアイデンティティが
グラグラと揺らいでいるのです。
私は今後、
何を心のよりどころにしたらいいのだろう?

それで、もっと具体的な「私は何者?」の
証明が欲しくなってきているのです。
もっと社会に出ていき、それをつかみたい。
今は、何者でもない気がしてるので、
何者かになりたいのです。

「写真をとっておけばよかった・・」は、
「私とは何者か?」の はっきりした、
自分でも納得できる証明が欲しいことを示します。
だから残りの人生で取りに行きましょう。

具体的には・・

 

夢の中では、
後部座席に座っていますよね。

◯◯ちゃんのお母さん。
このアイデンティティでは、
後部座席でOKだったのです。
(ハンドルをご主人が握るから)

 

でも、自分が何者かになりたい今は、
しっかりハンドルを自分が握る必要があります。
知性は「後部座席から出てきてハンドルにぎれ!」と、
言いたいのです。
そもそも、
ハンドルを自分が握らないから怖いのです(笑)

簡単には、仕事であれば、
責任を持つというか、
主任、係長、責任者、正社員などなど、
とにかく役職として上に行けるのであれば、
それを恐れずにどんどん引き受けてほしいのです。
新しいアイデンティティをつかみに行くの。

今は、それが怖くて、
責任ある仕事が来た時、
「え〜!だって私は◯◯ちゃんのお母さんなのに!責任を持つの?」
と、終わっていくアイデンティティを、振りかざして、
言い訳に使いたくなっているはずです。
そしてその心の裏には、
「お母さんなのだから、責任持たなくていいでしょ。許してちょ」
みたいな逃げがあります。

この夢を見るということは、
実際に、仕事場で、役職がつくような、責任を任されることが、
起きていて、坂が急な事からしても、
かなりのプレッシャーに感じているはずです。

でも知性は「それを喜んで引き受けろ!」と言いたいのです。
坂が急である分、見方を変えると、急成長でもあるのです。

そして、もう1つ。
「夢の中では、写真を撮ればよかった」と・・
(私とは何者か?の具体的な証明がほしい私)
に対して「こんな場で不謹慎ね!」と
自分にツッコミを入れてますね。

 

この点は、エゴの捉え方を
変える必要性があります。

 

今まで、エゴ(私)とは「二児の母」という
子供のために自分を投げ出す。
これを長い期間やってきました。
「人のため・・なので、エゴは、
良いことをしてるような感じがあるから、
混乱しませんでした。

でも、この期間があまりに長かった為、
いざ、社会に出ることになった今、
自分を満たす事。自分の為に、
お金を稼いで使う事や、
時間を使うこと、
おしゃれして外出すること、
勤務中に美味しいランチすること、
こういう自分が満たされる事をする時、
すっかりやり方を忘れており、
まるで、自分を満たすことが悪いことかのような、
「ワガママではないだろうか?」と、
不謹慎という錯覚に陥るのです。

 

そうではなくて、エゴ(些細な自分の欲求を満たすこと)が、
社会(世のため人のため)を満たすことにちゃんと繋がるのです。
これを分かっててください。

こっちの方が健全なエゴなのです。
だから、エゴをワガママだと言って自分を裁いてはいけません。

将来的に、仕事を頑張って、
自分も納得する何者かになった時、
新しいアイデンティティは、◯◯会社の 役職◯◯さん。
こんな感じで、責任が重いからプレッシャーはあるけれど、
その分、自信を得るし、自分も誇らしいと思える日が来るから。
責任を持って、お仕事をがんばりましょう!

 

子供もそんな、自分も満たして、社会を満たす。
そんなお母さんの姿を見た時、わがままな人だなんて思いませんよ。

将来、子供が大人になる時、
社会と関わろうとするし、
自分の仕事に誇りをもちます。
だから、新しい社会の中で責任を取るお母さんの姿を見せましょう。

瞑想みのり

 

今年印象に残った瞑想体験&出来事3位

こんにちは 瞑想みのりです

12月12日(日)の伝授&瞑想会は、
あと1席になりました。
来年度1月9日(日)は残席4あります。

毎年この時期には、
印象に残った瞑想体験&出来事の
ベスト3を書いてるので、
今年もそうすることにしますね。

 

まず、今年の3位は・・

自分が、思っている以上に、
意識が目覚めていた事に気づいた体験ですね。
そして、そんな自分の状況を受け入れた事。
これが3位です。

 

この状況が悟りの意識状態で
起きてくる経験なのだと理解して認めたからです。

「気づくのが遅すぎた!」とは思いますが、
「気づきたくも無かった」というのが正直な私の感想なのです。

 

実は・・瞑想歴3年目くらいからは、
他の人に、分からないことが、透けて通るので分かってしまう
という知覚の変化の自覚はありました。
よくブログにも書いてましたしね。
でも・・まだ幼い20代の時です。

その時に、感じたことは人が見てないものを見たり、
聴いたりすることで、良い点もありますが、
同時に「それ、私が知る必要あるの?」
と思うことも沢山あったのです。

 

多くの人が悟り(目覚め)というものを 
光が降ってくるような体験とか、
世界がパラダイスに見える素晴らしい体験が
自分に起きることだと想像しています。

透明度の高いマインドの鏡から世界を見るので、
世界がきれいに見える・・これは正しいのですが、

「人間である自分に神のような精妙な知覚の変化が起きる」
こちらの方が大きいのです。
これが・・まぁ〜 良くも悪くも透けて通るのです。

本当に悟りを得たいと思ったら、
知覚の変化によって、ポジティブな面もネガティブな面も
両方知ることになると理解(覚悟)しておく事。
ネガティブな面に対処が出来るようになっておく事。
これが悟り(目覚め)の秘訣だと思いました。

 

多くの人が、知覚の変化の
「良くも・・」
の部分だけが欲しいのです。
「悪くも・・」の部分は
欲しくないのです。

この2年ほどは、20年ぶり位に
民間企業で働く機会があり、
瞑想と全く関係のない沢山の人に
お会いする機会がありました。

 

働いてみたら・・
あまりにも意識が透けて通るので、
対処方法を学ばないといけなくなり、
「こんなにも意識が目覚めていたのか!」
という気づきにもなり、
自分の状況を
受け入れるしかありませんでした。

 

職場というのは、
仕事の本質に気づくまでは、
阿修羅の世界です。
(気づいたら変化しますけどね)

 

競争が激しいところであれば、
「死ね!」という心の声。
「怪我して仕事できないんだったら、
仕事辞めたら?」
「じゃま!」
普通に口に出してない 
こんな心の声が聴こえてましたね。

 

言葉というのは、
口に出して表現される前には、
心の中にすでにあります。
だから、意識が目覚めていると、
口に出さなくても透けて通ってしまうのです。
(またこれは、妄想とは全く違うものです)

ラブ・マントラは、この目覚めが早く起きてくると感じます。
だから、ブログで受講生さんに向けて対処方法などもできるだけ具体的に
書くことにしました。

 

話戻って・・上記に書いた事は
全部、私に向けて言われている事ですけど、
「これ聞こえる必要あるかな?」って思いますよね。
これ、対処方法を知らないと、凹んで泣いてると思います。

 

私は・・笑いましたけどね。

 

「じゃま」は、
言ってる本人が居場所がないのね。

「怪我して仕事できないんだったら、
仕事辞めたら?」これも正論のようで・・
すべてが戦いになってる。
まさに阿修羅(戦い続ける道)です。

ここから 早く出なくては!(笑)

 

「死ね」はさすがに、苦笑いしましたけど、
実は、この「死ね・・」は、奥が深い。

「本当に私に死んで欲しい」 
そのままです(笑)

 

で・・
ある時、ふと気づいたのです。

 

これが自分の(初期の)上司の心の声であり、
私は、成長していこうと思って、
この職場を選んでいるのです。
ならば、素直に聞かないといけません。
だから「死ねばいい」のです。

 

皆さんも「死ね!」と言われたら
ショックを受けずに、パワハラだと言う前に、
死ぬが正しい対処法です(笑)

何に対して「死ね」といわれているのか?
自分自身の中に、その部分を探して、
自分で自分の一部を殺すのです。

 

ありました!
「ポンコツなのに反省しないで笑ってる自分」
これですね。これを殺すのです。

するとね。しっかり殺すと、
不思議なことに状況が変化するのです。
この2年で同じ会社の中で部署が2回も変化してるのです。

 

でも・・部署の変化とともに、
階層が上がっていきましたね。

「畜生の世界」そして、
「阿修羅の世界」から出ることが出来ました。

今は、誰とも戦わない世界にいます。
戦うとしたら自分と戦うだけ。

 

ポンコツなのに
どんどん栄転(笑)

今年は、明らかに「階層が変わった〜」と思いました。
だから私にとっては、この1年は、しんどかったけど
「抜けた〜」と思えるような、嬉しい年になりました。

そんな事で、「自分の目覚めを受け入れた事」
これが3位です。

編集後記
今日の話は、悟り(目覚め)を
知らない人からしたら、
「妄想の話」と思うでしょうね。
妄想の話とは、全然、違う話です。

私が書く理由は、受講生さんに目覚めが起きてきてるから、
対処法をしっかりブログで書いていこうと思ったのです。

良くも悪くも「目覚め」を受け入れるのです。


今日は目覚めのネガティブな

面を書きましたが、
怖がらずにいてね。

 

なぜなら、
ポジティブな面の方が多いから、
かなり私も助けられてます。
悟りは女神が友達ですから。

それについては、
また来年度、どこかで書きましょう。

今年もあと1ヶ月と少し
めいっぱい楽しみましょう!

瞑想みのり

発達していく神意識3

こんにちは
瞑想みのりです。

まんじかふぇ

ではでは・・本題です。
前回は、
神意識の状態の話で終わってしまいましたので、
今日はその続きです。

神意識(例えば、旧マントラであれば、
プロスペリティや加速マントラなど)
でも分離感は、なくなりますが、
じゃあ、
ブラフマン意識の分離感がなくなる体験と、
どう違うのか?

神意識は、人間の知覚が、
神のような精妙な知覚に変化して、
世界を観ることだと書きましたが、

この状態で世界を観ると、
物質の輪郭は、はっきり、
くっきりと観ている状態です。

山は山として、雲は雲として、
太陽は太陽として、
その個性がはっきり感じられます。
物質も、輪郭がはっきりして、
自分の好きなもの、嫌いなものが
はっきり、くっきり分かる感じで、

磁石のように、
自分の中の知性に合うものが、
引き寄せられてくる感じです。
景色もそれぞれの自然の個性が、
自分にせまってくるような感覚があります。

これが起きてくる初期の頃は、
道を歩いていても、
花に「こんにちは」と挨拶したり、
太陽に手を振ったり、世界が美しいので、
いちいち立ち止まって、
挨拶する感じがあります。

「世界が微笑みかける」と言いますが、
ほんとその通りです。

これが普通になってくると、
普通の事なので、いちいち道を歩いてても、
立ち止まったりしません。
私達、人間は、
自分のあたりまえの事は認識できないので、
その感覚を当たり前として、
生きていくようになります。
ちょうど、空気は私達にとっては、
当たり前なので、
普段、認識しませんよね。それに似ています。

その人にとって当たり前ですが、
明らかに瞑想の「空」を経験してない人とは、
知覚が変化している状態なのです。

ここにブラフマン意識のマントラが加わると、
それが、もっと空間に拡がっていく感じです。

私は、あまり宇宙という言葉は、
スピリチャル過ぎて使うのは
好きでありませんので、
空間に(世の中に)拡がっていく。
と表現しましょう。

(本当は宇宙にまで拡がっているかもしれませんが、
宇宙に行ったことがないので、わからないから、
世界に拡がる・・に、とどめておきましょう)

ブラフマン意識は、
風に例えることが出来ますが、
神意識で木を観る時、その輪郭や生命力に
具体的に気づくとしたら、
ブラフマン意識では、
木の葉っぱの一枚一枚を意識が通過して
揺らしていく感じです。

「透けて通る」という表現が、
私の中ではピッタリきます。

ブラフマン意識は神意識が、
空間に風のように拡がって
透けて通ってしまうのです。

 

今の、新しいプログラムは、
私は最初、
あまり好きではありませんでした。

旧マントラで起きてくる体験は、
宇宙意識と神意識、統一意識の体験は、
それぞれに明らかに違いがあり、
具体的で、
瞑想を教えやすいのに対して、
新しいプログラムは、
いきなりブラフマン意識から始まるので、
抽象的で、
言葉にしにくいというのがありました。

「すごくいい感じがするんだけど・・」と、
その後の言葉に詰まり、
具体的に表現することが
難しかったです。

瞑想の講師が抽象的だと感じるものを
どうしたら、
受講生に分かりやすく
具体的に伝えられるのか?
これは、迷うところではありましたが、
神意識の状態が発達して、
空間に広がり透けて通る。

これが、今現在、私の中では、
表現としては、ぴったりきます。
これを「発達した神意識」
と、言っても良いと思います。
明らかに、
具体的な神意識の体験とは違う体験ですから。

 

抽象的ではありますが、
実際に使っている受講生さんの日常の体験では、
最初は、抽象的でも、コツコツと瞑想を続けていると、
心の変化や肉体や容姿の変化、そして、
透けて通る体験が起きてくるので、その都度、話をする事で、
「これが透けて通るなのか!」
としだいに理解できるようになってきます。

だから、瞑想会で講師の先生と
日常に起きている体験を、
しっかり話をすることが大事ですね。

まだまだブラフマン意識の
透けて通るの具体的な話は出来そうなので、
実際の体験もまじえて、追々、書いていきますね。

 

次回は、天職と宇宙意識の続き書きます。

9月の伝授&瞑想会は2名以内で開催します。
スケジュールはこちら

FBグループでは瞑想質疑応答&シェアー会(無料)
は、9月中旬から下旬にZOOMで開催します。

では、今日もめいっぱい楽しみましょう!

瞑想みのり

 

発達していく神意識2

こんにちは
瞑想みのりです。

オリンピックも終わりましたね。
無観客であったのが残念でなりません。
馬術もっと見たかったです。
フランスのオリンピックの頃には、
コロナも収束してるといいですね。

今日は、発達していく神意識の
つづきを書いてみたいと思います。

最初のステップ 
ラブ・マントラでの、
「分離感がなくなる体験」
について、書いてみたいと思います。
このマントラは、不思議なほど、
分離感がなくなるマントラですね。
喧嘩とか消えてしまいますよ。

「愛は世界を繋ぐ糊(のり)」とは、
TM瞑想のマハリシの講義の中での言葉ですが、
非常に 素晴らしい例えだと思いますよ。

神意識(例えば、旧マントラであれば、
プロスペリティや加速マントラなど)
でも分離感は、なくなりますが、
じゃあ、ブラフマン意識の分離感がなくなる体験と、
どう違うのか?

これは、体感としても、
大きく違うので、書いてみたいと思います。

神意識の状態は、
人間の5感覚が神のような精妙な知覚に変化して、
世界を見ることです。

視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚・この5つが変化します。
実際に受講生さん達の体験を挙げてみましょう。
(私の体験は沢山、過去ログにも書いてますからね)

●都市ガスのガス漏れに気づいた。
誰に話してもガスは出てないと言うが、
確実にガス臭いので、ガス会社に電話したら、
本当にガス管が、
劣化してて穴があいておりガス漏れしていた。

これは、嗅覚が神の知覚に変化していく体験ですね。

●土砂降りの雨が降ってきたので、
ベランダの洗濯物を取り込もうと思って、
ベランダに出たら、外は晴れていた。
雨が降ったのは、夢の中の出来事だったのかと、
その時に気づいた。
夢がリアルすぎて、現実と見分けがつかなった。

これは、触覚が神の知覚に変化していく体験ですね。

●欲しかった不動産を買う事になり、
銀行の融資もおり、売主との交渉も終わり。
契約成立を喜んでいたら、
売主が、心変わりして「売るのをやめよう!」
と言ってる事に夢の中で気づいた。

仲介業者も、売買が成立したので、
どんどん交渉を進めていたが
(私だけが、売り主が断ることを知っていて)
案の定、売主は、断ってきた。

これは、聴覚が神の知覚に変化していく体験ですね。

これらは、オカルトチックな話ではなく、
普通の人間の能力なのです。

最近、私は
「悟り」というものが、
普通の人間のあたりまえの体験として語られる時が
到来したのかなと感じています。

ブッダ(おしゃかさま)自身は、
自分の事をブッダとは、
決して言わなかったそうです。

(ましてや・・崇(あが)めてほしいなんて、
これっぽっちも思ってなかったと思いますよ)

ブッダの意味は「目覚めた人」の意味ですが、
周囲の人が「目覚めた人」と呼んだだけで、

おしゃかさま自身は、
自分の事を「タターガタ」と呼んだそうです。

タターガタは
「ありのままのものを、ありのままに見れる人」
の意味で、
おしゃかさまは、悟りとは、
「人間の普通の状態だよ」と言いたい訳です。

同じく、
ヒマラヤのヨギの伝統の中では、
脳の色んな領域を使っていくことを、
「シッディ」と呼んでいます。

「シッディ」は、超能力と訳されてしまいますが、
違う違う。ヨギが訳すると「超普通の能力」を意味します。

脳の使ってない箇所が、まだまだ沢山あり、
「ありのままのものを、
ありのままに見れていない状態」なので、

それを普通に使っていこうね!と
いうのが、瞑想の「空」の経験です。

だから、普通の事として、
上記のような知覚の変化が誰にでも起きてくるの。

悟りとは、世界は、何も変わりません。
自分の認識が変わることです。

曇りだらけの歪みだらけのメガネをかけて、
世界を観ていると、
世界は、曇りだらけで歪みだらけです。

悟りは、黄金の眼鏡から世界を見ること(神意識)
虹色の眼鏡から世界を見ること(ブラフマン意識)

人が自分と同じ世界を観てると思ったら、
とんでもない大間違い(笑)

瞑想者は、世界と、よろしくやってるよ!

長くなったので、本題に入れないままに(笑) 
また続き次回書きますね。

 

この月曜日は、
FBグループで無料のオンライン瞑想質疑応答あります。

9月の伝授&瞑想会は、
9月12日(日)ですね。

瞑想みのりサイトはこちら

発達していく神意識

こんにちは
みのりです。

フィットネスクラブで飾っていたお花が
あまりにもきれいだったので、
写真を撮らせていただきました。

人間も 自分らしく!

ユリはユリとして、
紫陽花は紫陽花として、
カーネーションはカーネーションとして、
見事に咲いています。
神の知性というのは、
方向を変えることは出来ません。
ユリが突然、
カーネーションになろうという事は出来ないのです。
人間は神と違って、自由意思があるので、
(良くも悪くもですが)
方向を変えることが出来ます。

 

人間も自分の中の神の知性に気づいて、
自分自身になるということが、大切だな
いつも花をみて、感じます。

仕事とは「事に仕える」と、書きますが、
この花を育てた人、土や肥料屋さん、
花屋さん、花を生けた、フラワーアレンジの人、
花瓶を創った人、空間を設計した人、
掃除をした人、
この写真は、アイフォンで撮影しましたが、
アイフォンを開発した人、などなど、
ここに、沢山の、人間の仕事が介在しています。
そこに気づき、注意をはらえるということ。
世界は美しいですね。これが神意識です。

宇宙意識の状態というのは
「空」から物事を目撃してるだけです。
興味は、まだまだ、
本当の自分である「空」にあるだけの状態です。

これも素晴らしい状態ですが、
ここは、砂漠の意識状態とも言われています。
早く、かけ抜けて、
世界とつながったほうが良いのです。

人間の5感覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)が、
大きな「空」にすっぽりと、一時的に飲み込まれるからです。
これは、悟りの意識状態の旅の途中でしかありません。

ここから、「空」が、動き出して、
外側の現象の世界にシャクティとして登場する時、
5感覚が、外側の世界の神の知性にも、
はっきりと気づくようになる状態が、神意識です。
宇宙意識が外側の世界に興味がない状態とすると、
神意識は、
好奇心が外側の世界に向かいます。

神意識の最初の状態は、
現象界の物質の輪郭がはっきりしてて、
世界がキレイに見えます。
「自然が美しいな〜」と感じたり、
自分にピッタリ合う、人間関係や、
物質が引き寄せられてきますね。
自分の中の神の知性と、
物質の中の神の知性が磁石のように反応するので、

瞑想を始めると、
洋服の好みが変化したり、
インテリアを自分に合うものに変えたり、
多くの人が住まいを変えるというのも、
色んな人から聞かれる体験です。

神の知性にハッキリ気づいている人というのは、
外から見てても素敵だなと思います。
それは「自分をよく知っている」からですね。

感覚が目覚めており、
上手に自分を表現する、
洋服やアクセサリーを見つけてきたり、
物を大切にしますね。

安いからコレを買うとか、
高いからコレを買うとか、
頭で物を購入しているのではなくて、
神の知性から物を買います。

たまに大金持ちの女性が、
エルメスのバーキンを100個くらい持っていたり、
ブランドの靴を1000足くらい揃えていたり、
TVで放映してますけど、
1年は、365日しかないのに、どうする気だろう?と、
思ってしまいます。

場合によっては、
自分を見失っているのかもしれませんよ。

バーキンが、かわいそう!
1個、私にちょうだい!(w)

反対に、男性の例で挙げると、
所ジョージが、アメリカ車が好きで、
集めている。
こういう話を聞くと、
「あぁ自分(に合うもの)を、
よく知っている人だな・・」と好感を持ちますね。

アメリカ車というのは、
私の中の神の知性とは引き合わないので、
全然、興味がありませんが、
この人には、ピッタリ合ってますよね。

こういう人は、
物を購入する事だけではなく、
自分の心(特にハートの中の神の知性)と、
繋がって、
何を仕事にしたら、
誰と一緒にいたら、
自分が幸せを感じるのか?
不幸と感じるのか?
こういう事も、
上手に選択していると思いますよ。

自分自身になるって、
外側の世界も含めての話です。

私は(全ての物質)家電製品なども、
生き物ではないけれど、
まるで生きているかのように、
壊れるまで使うことが多いです。
そこに神の知性を感じるからです。
壊れた時は「今までありがとう!」と、
言ってしまいます。

冷蔵庫の中のものも、
あまり捨てないです。
以前のパートナーが、
私が食材を捨てずに使い切る事は、
よく褒めていましたが、
(そこしか、褒めるところないのか!)
やっぱり、生き物だから、物質以上に、
神の知性はハッキリしています。
たまに、かなりの賞味期限切れで、
こりゃいかん!
って捨てる事もありますけどね。

 

神意識でも世界と繋がるので、
分離感はなくなりますが、
じゃあ、ブラフマン意識とはどう違うのか?

フルフィルメント瞑想(ELM瞑想)の
ラブ・マントラから始まるステップは、
神意識の上の段階、
ブラフマン意識からスタートします。

ブラフマン意識に神意識が加わる時、
神意識は、さらに上級の神意識に発達していきます。
これが面白いですね。

この話は、また長くなったので、
また今度。
今日もめいっぱい楽しみましょう。

瞑想みのりサイト&おみくじ

 

本当の悟り 統一意識の兆候とは?

今日は、瞑想の意識状態のお話です。

誓文祭のお食事

本当の悟り 統一意識とは、

瞑想中に経験する「空」の意識状態。
そして、瞑想から戻ってきた時の日常の意識状態。
この境目が無くなることです。
どこにでも「空」があることです。

 

受講生さんの体験がどれくらい進んでいるか、
一つの目安として、
私がみている事があります。

 

これは、瞑想中の体験として、
「何を受講生さんが話すか」ですね。
これが、統一意識の大きな、
判断基準になりますね。

 

瞑想を始めたばかりの人は、
瞑想日記をつけようとしますが、
私は、これは、
全然、おすすめしておりません。
日記付けるヒマがあれば
「日常に気を配れ」と、話します。

 

瞑想している30分
この時間内の体験は、
雑念だらけでも、
心地よくても悪くても、
どうでもいいのです。

 

そして、瞑想中は、
心のゴミ出し体験なので、
たいした体験は 起きてないので、
日記自体がつまらない事も多いからです。

 

瞑想は、心のゴミ出しなのですが、
この30分を2回 続けることで、
残りの23時間の質が圧倒的に、
変化していくことに意味があります。

 

瞑想をした事がない人や、
瞑想初心者の人も、
瞑想中の体験を上手に
話すことは出来ませんよね。
これは、経験がないし、
認識力がまだ少ないからです。

 

そして、悟りの意識状態 
統一意識を経験してくると、
これまた、
初心者の人と、同じように、
瞑想の体験を話すことが
出来なくなるのです。

 

初心者の人と熟練の人の話すことが
同じになってくるのです。

けれども、意識の状態では
もう天と地ほど、違いがあります。

 

なぜなら、
熟練の瞑想者の語る、空の意識は、
もう 瞑想中だけになんて無いからです。

 

夢の中、そして、
日常に瞑想の「空」体験が移動していくからです。

 

だから、瞑想の体験を聞かれて、
瞑想中の体験を話せなくなってきた時、
他愛もない、日常の話を瞑想体験として、
話しはじめた時、
それが統一意識の兆候ですね。

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誓文祭での落語