地面が崩れ落ちていく・・

今日は不思議なお話を書いてみようかな?
スピスピした お話になります。

マロンタルト

これは、私が瞑想の講師になる前の話です。

私は、子供の時から過去世と呼ばれるものの
記憶がありました。
けれども、しっかりと、
信じていたわけではありません。

幼稚園の時は、
母親がキリスト教だった関係で、
自宅から、かなり離れた幼稚園に通っていて、
わんぱくに遊んでばかりいる子供でした。

小学1年生になり、
校区内の小学校に通う事になりました。
初めて教室に入った時、
きれいに机が並んでいて、
皆さん同じ幼稚園出身の人が多く、
仲良さそうに話をしていました。
私は、知ってる人が誰1人いない空間でした。

幼稚園の時とのギャップを感じて、
窮屈で、
さみしくなったのは覚えています。

すると、突然、
その並んだ机をみた私の中から、
ムクムクと6歳の少女とは、

明らかに違う人格の大人が、
登場して、話しはじめたのです!

「私にとって、勉強とは、
方々の町をめぐり、人々に話をすることなのに、
これが勉強とは如何に!」と・・

まず、こんな大人びた言葉を
使った事もありませんでしたし、
それを訴えているのは、
背が高く、痩せた、スキンヘッドで、
オレンジ色の袈裟(ボロ布)を着ていました。

6歳の少女の人格の半分が、
知らないおじさんになってしまったのです!
「6歳の少女の中に、オレンジの布をきた、
おじさんがいる。それは私だ」
これだけは、分かりました。

当時は、子供なので、
時間の概念がありませんから、
過去世という言葉も知りませんし、
お坊さんという言葉も知りませんでした。

当時は、不思議という言葉も知らないので、
現象として起きた事だけは覚えていますが、
でも、すぐに子供だから忘れて、遊んでいました。

小学校の5年生の頃に、
TVで、アジアのお坊さんの映像をみた時に、
すごく懐かしくなり、
オレンジの服の人は、お坊さんだと判明したので、

TVに向かって指をさして
「これ!私。私、お坊さんやねん!」
と、言ってました。

それからは、仲良くなった友達にだけは、
「この話。内緒だよ。実は私、お坊さんなんだ!」
と、打ち明け話をしていました。

知らない人が見たら、
とんだ人格障がい女です(笑)
でも、この時も、全然、
過去世というものは信じていませんでした。

私の家は、
親が会社を経営していたので、
目に見えるものが大事な現実主義の家でしたし、

同級生の親とかが、
私の親の会社でパートをしていたり、
会社で働いていたので、
「ちゃんとしてないといけない」
そんなプレッシャーを子供心に
感じていたからです。

そんな事で、
この人格障害こまったちゃん女は、
小学生の卒業の頃を最後に、封印されていきました。
ある日が来る時までは・・

この記憶は、短大を卒業してOLになる頃まで、
封印されていて、思い出すことすらありませんでしたが、

親の会社の経営が傾き始めて、
生まれてはじめて、チャネラーと呼ばれる、
霊能師さんのところに、噂をききつけ、
親の会社の経営の相談に行ったのです。

そこで、的確なアドバイスをいただき、
最後に時間が余ったので、
「何か他にアドバイスはありませんか?」
と質問してみたのです。

そうしたら、その人が、
全く、関係無い、私の話を始めました。

「密教の教えを紐解きなさい。
あなたお坊さんだったでしょ?
あなたが、密教の書物をペラペラとめくれば、
何が書いてあるのか、
読まなくてもすべて理解できるから」
と言われたのです。

当時は、ただのOLですよ。

「この人、絶対に怪しい〜!
それは、言っちゃダメだ〜!」と
心の表面では、叫びに近いような抵抗をしていましたが、

私の心の深いところで、何かが、
音を立てて崩れるような衝撃がありました。
自分が、
ここが地面だと思っていたところが、抜け落ちて、
崩れていくような衝撃でした。
魂が・・
この人との出会いに喜ぶのが分かってしまうような、
ハートの振動も感じました。

小学5年生の時に、
秘密で数人の友達に打ち明けただけの秘密を、
初めて訪れた知らないチャネラーさんの口から
聞かされてしまったのです!

過去世というものが
「有るか、無いか」「信じる、信じない」

という論争以上に、
「過去世ってあるんだ・・」と、
いきなり証明されてしまった!という驚きでした。

 

もう1つ不思議な体験があって、
小学生よりも幼い時は、
自分を守ってくれている存在がいて、
祖父のベッドをトランポリン代わりにして、

2人で飛び跳ねて遊んでいた記憶があり、
昔のヨーロッパの貴族のような
あまり見かけないような
服を着ている人でしたが、

これもさすがに、
他の人に見えてない事がわかった時に、
頭がおかしいと思って、封印して、
誰にも話をした事もありませんでしたが、

このチャネラーさんが、
私の背後についている天使だと、
絵を描いて2人が同じ時代に、
生きていた時のエピソードなども詳しく、
教えてくれました。

その絵が、私が幼い時に、見ていた、
ヨーロッパの貴族のような服装そのままで、
「守護天使って・・本当に存在してたんだ!」
という、衝撃がありました。

心というものは、
目に見える波だけが全てではなくて、
見えない海の底も含めて心なのだと、
思い知らされる出来事でした。

今でもその霊能師さんとは、
仲良くさせていただいてます。

瞑想をはじめるようになって、
海外旅行に行くと、
普通に過去世と呼ばれるものや、
その土地で起きた記憶がわかるようになり、
それが旅行の楽しみになったので、
帰国してから、
私の記憶が正しいのかどうかを、
この人に写真を見せて
答え合わせをしに行く事があります。

全部、正解していますし、
私が思い出したこと以上に、
詳細を詳しく話してくれます。

今では、今を生きている一生は、
死んだら肉体はなくなりますが、
何かが(魂?)永遠に残るのだな・・

というのは、
私の中では真実ではないかと、
受け入れています。

ちなみに・・
私が、霊能力を使ったチャネリングというものを、
仕事にしない理由は、
若い時から、この人の素晴らしい能力を、
間近で見ているからですね。

 

明らかに、おぼろげな記憶の私より
詳しいワケですから。

同じスピリチュアルでも、
私がそれを仕事にする理由が、

どこにもないのです。
まさに、この人の天職だなと思います。

目に見えない事が得意な人もいますし、
目に見える事が得意な人もいます。

それぞれに合った職についている時、
周囲の人も、世界も(宇宙も)サポートをします。
そして、それが普通に出来てしまうので、
本人にも摩擦がありません。
これがダルマ(自然の流れ)と呼ばれるものです。

 

宣伝広告やインターネットのサイトも持ってないのに、
人の紹介だけで30年以上もの間、

人が集まり、仕事として、成立してるのですね。
凄いことだと思いますよ。

話を戻して・・
チャネリングを受けた当日は、
過去世があるんだと証明されてしまった事で、
地面が抜け落ちて、ワナワナと、
放心状態でしたが、

翌日、早速、図書館に行き、
密教の分厚い本を手に取り、
パラパラとめくってみました。

そうしたら・・驚くべきことに!

全く、何もわからない(笑)

「あっ!霊能師さんが言った事、ハズレたな!」
と思ったの。

「こんなオチあるか〜い!」
と思いましたよ。当時は・・。

でも、数年後、この瞑想を始めて、
どハマりしちゃったんですよね。

 

「こんな面白いものが世の中にあるのか!
これを知らないで、ストレスだらけの中で、
生きてる人が沢山いるのか!
それなら、私が教えよう!」

と思った事がきっかけで、
瞑想の講師になるのですね。

この瞑想は、
伝統的なヒマラヤのヨギ達の、
密教の智慧に由来します。

本当の学びは書物の中ではなく、
体験の中にあるのです。
霊能師さんが言ったことは、
形を変えて、正解だったな〜と
後々になってから気づきました。

今日は、不思議なお話でした。
(毎度、不思議な話とも言えますが・・)
たまには、要望があれば、
こんな話もしてみたいと思います。

ではでは
今日もめいっぱい楽しみましょう!

瞑想みのり
9月の瞑想伝授&瞑想会は9月12日(日)です。

瞑想みのりサイトはこちら

 

発達していく神意識3

こんにちは
瞑想みのりです。

まんじかふぇ

ではでは・・本題です。
前回は、
神意識の状態の話で終わってしまいましたので、
今日はその続きです。

神意識(例えば、旧マントラであれば、
プロスペリティや加速マントラなど)
でも分離感は、なくなりますが、
じゃあ、
ブラフマン意識の分離感がなくなる体験と、
どう違うのか?

神意識は、人間の知覚が、
神のような精妙な知覚に変化して、
世界を観ることだと書きましたが、

この状態で世界を観ると、
物質の輪郭は、はっきり、
くっきりと観ている状態です。

山は山として、雲は雲として、
太陽は太陽として、
その個性がはっきり感じられます。
物質も、輪郭がはっきりして、
自分の好きなもの、嫌いなものが
はっきり、くっきり分かる感じで、

磁石のように、
自分の中の知性に合うものが、
引き寄せられてくる感じです。
景色もそれぞれの自然の個性が、
自分にせまってくるような感覚があります。

これが起きてくる初期の頃は、
道を歩いていても、
花に「こんにちは」と挨拶したり、
太陽に手を振ったり、世界が美しいので、
いちいち立ち止まって、
挨拶する感じがあります。

「世界が微笑みかける」と言いますが、
ほんとその通りです。

これが普通になってくると、
普通の事なので、いちいち道を歩いてても、
立ち止まったりしません。
私達、人間は、
自分のあたりまえの事は認識できないので、
その感覚を当たり前として、
生きていくようになります。
ちょうど、空気は私達にとっては、
当たり前なので、
普段、認識しませんよね。それに似ています。

その人にとって当たり前ですが、
明らかに瞑想の「空」を経験してない人とは、
知覚が変化している状態なのです。

ここにブラフマン意識のマントラが加わると、
それが、もっと空間に拡がっていく感じです。

私は、あまり宇宙という言葉は、
スピリチャル過ぎて使うのは
好きでありませんので、
空間に(世の中に)拡がっていく。
と表現しましょう。

(本当は宇宙にまで拡がっているかもしれませんが、
宇宙に行ったことがないので、わからないから、
世界に拡がる・・に、とどめておきましょう)

ブラフマン意識は、
風に例えることが出来ますが、
神意識で木を観る時、その輪郭や生命力に
具体的に気づくとしたら、
ブラフマン意識では、
木の葉っぱの一枚一枚を意識が通過して
揺らしていく感じです。

「透けて通る」という表現が、
私の中ではピッタリきます。

ブラフマン意識は神意識が、
空間に風のように拡がって
透けて通ってしまうのです。

 

今の、新しいプログラムは、
私は最初、
あまり好きではありませんでした。

旧マントラで起きてくる体験は、
宇宙意識と神意識、統一意識の体験は、
それぞれに明らかに違いがあり、
具体的で、
瞑想を教えやすいのに対して、
新しいプログラムは、
いきなりブラフマン意識から始まるので、
抽象的で、
言葉にしにくいというのがありました。

「すごくいい感じがするんだけど・・」と、
その後の言葉に詰まり、
具体的に表現することが
難しかったです。

瞑想の講師が抽象的だと感じるものを
どうしたら、
受講生に分かりやすく
具体的に伝えられるのか?
これは、迷うところではありましたが、
神意識の状態が発達して、
空間に広がり透けて通る。

これが、今現在、私の中では、
表現としては、ぴったりきます。
これを「発達した神意識」
と、言っても良いと思います。
明らかに、
具体的な神意識の体験とは違う体験ですから。

 

抽象的ではありますが、
実際に使っている受講生さんの日常の体験では、
最初は、抽象的でも、コツコツと瞑想を続けていると、
心の変化や肉体や容姿の変化、そして、
透けて通る体験が起きてくるので、その都度、話をする事で、
「これが透けて通るなのか!」
としだいに理解できるようになってきます。

だから、瞑想会で講師の先生と
日常に起きている体験を、
しっかり話をすることが大事ですね。

まだまだブラフマン意識の
透けて通るの具体的な話は出来そうなので、
実際の体験もまじえて、追々、書いていきますね。

 

次回は、天職と宇宙意識の続き書きます。

9月の伝授&瞑想会は2名以内で開催します。
スケジュールはこちら

FBグループでは瞑想質疑応答&シェアー会(無料)
は、9月中旬から下旬にZOOMで開催します。

では、今日もめいっぱい楽しみましょう!

瞑想みのり

 

発達していく神意識2

こんにちは
瞑想みのりです。

オリンピックも終わりましたね。
無観客であったのが残念でなりません。
馬術もっと見たかったです。
フランスのオリンピックの頃には、
コロナも収束してるといいですね。

今日は、発達していく神意識の
つづきを書いてみたいと思います。

最初のステップ 
ラブ・マントラでの、
「分離感がなくなる体験」
について、書いてみたいと思います。
このマントラは、不思議なほど、
分離感がなくなるマントラですね。
喧嘩とか消えてしまいますよ。

「愛は世界を繋ぐ糊(のり)」とは、
TM瞑想のマハリシの講義の中での言葉ですが、
非常に 素晴らしい例えだと思いますよ。

神意識(例えば、旧マントラであれば、
プロスペリティや加速マントラなど)
でも分離感は、なくなりますが、
じゃあ、ブラフマン意識の分離感がなくなる体験と、
どう違うのか?

これは、体感としても、
大きく違うので、書いてみたいと思います。

神意識の状態は、
人間の5感覚が神のような精妙な知覚に変化して、
世界を見ることです。

視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚・この5つが変化します。
実際に受講生さん達の体験を挙げてみましょう。
(私の体験は沢山、過去ログにも書いてますからね)

●都市ガスのガス漏れに気づいた。
誰に話してもガスは出てないと言うが、
確実にガス臭いので、ガス会社に電話したら、
本当にガス管が、
劣化してて穴があいておりガス漏れしていた。

これは、嗅覚が神の知覚に変化していく体験ですね。

●土砂降りの雨が降ってきたので、
ベランダの洗濯物を取り込もうと思って、
ベランダに出たら、外は晴れていた。
雨が降ったのは、夢の中の出来事だったのかと、
その時に気づいた。
夢がリアルすぎて、現実と見分けがつかなった。

これは、触覚が神の知覚に変化していく体験ですね。

●欲しかった不動産を買う事になり、
銀行の融資もおり、売主との交渉も終わり。
契約成立を喜んでいたら、
売主が、心変わりして「売るのをやめよう!」
と言ってる事に夢の中で気づいた。

仲介業者も、売買が成立したので、
どんどん交渉を進めていたが
(私だけが、売り主が断ることを知っていて)
案の定、売主は、断ってきた。

これは、聴覚が神の知覚に変化していく体験ですね。

これらは、オカルトチックな話ではなく、
普通の人間の能力なのです。

最近、私は
「悟り」というものが、
普通の人間のあたりまえの体験として語られる時が
到来したのかなと感じています。

ブッダ(おしゃかさま)自身は、
自分の事をブッダとは、
決して言わなかったそうです。

(ましてや・・崇(あが)めてほしいなんて、
これっぽっちも思ってなかったと思いますよ)

ブッダの意味は「目覚めた人」の意味ですが、
周囲の人が「目覚めた人」と呼んだだけで、

おしゃかさま自身は、
自分の事を「タターガタ」と呼んだそうです。

タターガタは
「ありのままのものを、ありのままに見れる人」
の意味で、
おしゃかさまは、悟りとは、
「人間の普通の状態だよ」と言いたい訳です。

同じく、
ヒマラヤのヨギの伝統の中では、
脳の色んな領域を使っていくことを、
「シッディ」と呼んでいます。

「シッディ」は、超能力と訳されてしまいますが、
違う違う。ヨギが訳すると「超普通の能力」を意味します。

脳の使ってない箇所が、まだまだ沢山あり、
「ありのままのものを、
ありのままに見れていない状態」なので、

それを普通に使っていこうね!と
いうのが、瞑想の「空」の経験です。

だから、普通の事として、
上記のような知覚の変化が誰にでも起きてくるの。

悟りとは、世界は、何も変わりません。
自分の認識が変わることです。

曇りだらけの歪みだらけのメガネをかけて、
世界を観ていると、
世界は、曇りだらけで歪みだらけです。

悟りは、黄金の眼鏡から世界を見ること(神意識)
虹色の眼鏡から世界を見ること(ブラフマン意識)

人が自分と同じ世界を観てると思ったら、
とんでもない大間違い(笑)

瞑想者は、世界と、よろしくやってるよ!

長くなったので、本題に入れないままに(笑) 
また続き次回書きますね。

 

この月曜日は、
FBグループで無料のオンライン瞑想質疑応答あります。

9月の伝授&瞑想会は、
9月12日(日)ですね。

瞑想みのりサイトはこちら

神鳴りのように竜巻のように・・

こんにちは
瞑想みのりです。

奈良の大仏

この間、
オンライン質疑応答&瞑想ライブをしました。
瞑想歴が4年から10年超えてる人が多く
10名の方が参加されました。

一番新しい人達でも、
ブラフマン意識の経験をしているのですね。
神の知覚が、目覚めて、空間に透けて通る体験です。

 

私も皆さんの体験を聞いて、
凄いな〜と思いましたし、
嬉しかったです!

「透けて通る・・」を別の言い方をするとしたら、
自分のエネルギーのフィールドが、
宇宙に(世界に・空気中に)拡がり、
目覚めているということです。

瞑想は、リラックスして始めます。

ブラフマン意識になると、
自分の身体の輪郭をしっかり感じるというよりは、
その輪郭が消えてしまうような感じで、
瞑想を始めていきましょう。

手のポーズとか、
アグラとか、どうでもいいです。
私は、昔から・・
手のポーズにこだわったり、
背筋をしっかり伸ばすとか、
身体のスタイルにこだわりすぎる瞑想は
しようもないと思ってました(笑)
今も・・思ってます。

「身体を超えて意識が拡がっている」が、
正しいからです。

尾てい骨から上昇していくエネルギーを
クンダリーニと言いますが、
これも、身長160センチ足らず人であれば、
頭頂から尾てい骨の90センチ足らずだと思って
瞑想してる人が多いです。
肉体に囚われているのです。

クンダリーニはそこじゃない。
クンダリーニは龍や蛇に例えられますが、
自然現象の竜巻をイメージするといいです。
(あんまりお目にかかりませんけどね)

もっと分かりやすいのは、
夏のカミナリです。
カミナリは、神鳴りとは、よく言ったもので、
天から地に電流が走りますけど、
瞑想してる人は、
あれが、自分の背骨だとイメージするくらいで
丁度いいです。

雲を脳に例えると、
雲の合間(松果体)から、
私達の知覚を変化させるソーマと
呼ばれる若返りのホルモンが生成されて出てきます。
(これは「空」を経験する瞑想に限ります)

ソーマは、瞑想中、内なる目で見るときは、
乳白色のクリームですが、
この体験が増していくと、磁気的傾向が強くなり、
まさに神鳴りの電流のようです。
「天から大地」これが私達の意識の
フィールドだと思ってください。

タラ・タントラ使っている人も同じです、
赤タラで上昇し、白タラで降りる。
赤で雲まで、突き抜けて、
白で降りるは雲から大地まで突き抜ける。
自分の肉体からはみ出ている。こんな感じです。
これが私達のエネルギーフィールドです。

私達は、ブッダの事を「大仏」と呼びますよね。
これもぼ〜っと聞いてちゃダメ(笑)
自分の身に起きることです。
人間が到達しうる意識の状態を表します。
文字通り、目覚めた意識が・・大きいの。

奈良在住ですが、
奈良の大仏には沢山のインスピレーションを頂きます。
門から大仏殿まで、めっちゃ遠いのですが・・
これ、奈良が田舎だからじゃないのです。

大仏の仏像がブッダの身体じゃないもの。
薬師寺とか、長谷寺とかも全部がデカイですが、
これも意味するところがあるのです。
奈良は素晴らしいよ〜。

と・・脱線してしまいましたが・・

ソーマが大量に流れる体験を
ダーマ・メガ・サマディと呼びますが、
「ソーマの雨が大量に降る」という意味です。

神鳴りの後には大量の雨が降るように、
瞑想で起きる体験と自然現象は同じですね。

瞑想みのり

 

未来をつくれ!

こんにちは 瞑想みのりです。
昨日22日(木)は、
21時からオンライン瞑想質疑応答ライブでした。
10名の方が参加されました。

 

FBグループで、認識についての質問がありました。
ちょうど瞑想会で、良い事例がありましたので、
具体的に例を挙げてみたいと思います。 

(頂いた質問)
みのり先生に
「瞑想は体験と同時に起きている事への認識が重要」 
と言われました。
この意味がよくわかりません。

桃といえばあらかわ・・美味し。

(お答え) 認識とは、簡単には、瞑想の「空」を経験して、
日常の体験の中での「あっ!そうか!わかった!」
という理解の事です。

この間の瞑想会である方が 
「自分が引っ越す夢を見て、その家に行ってみたら、
とても広い家で、表札が違うから、すごすご帰った」と、
話していました。
使ってるマントラはクリシュナ・マントラです。

この時に
「あっ!わかった!これが
クリシュナの多次元宇宙か!
自分の知らない自分を発見するんだな!」と、
自分で理解できていたら、認識が進む事になりますが、

質問するまでは、自分では、
わからなかったの。
講師に聞いて初めて
「あっ!わかった!」に変わりましたよね。
わかったら、ここに向かって、
現実を形創る事が出来ます。
それを、していかないといけません。
何が何でもです。
時間をかけて良いから、 
ここは、あきらめないで行動するです。
自分でもまだ気づいてない、
気づかないふりをしている
ハートの深い望みだからです。

行動していかない時、
「瞑想してるけど、あまり変化がない」 と、
言い続ける事になるのです。

クリシュナは合図を送っている。 
わからないから、
何度もわかるまで、合図を送っている。
こんなに具体的で
分かりやすい瞑想はないと思います。

この事が、
わからないと(認識できないと) 
ここに行動を起こしていけないのです。 
夢を見たな。それも同じ夢を何度も見たな・・
ここで終わっちゃうの。

 

夢は通常は、
ストレスの解放で見るので、
分析する時間が無駄なほどのゴミです。

けれども悟りの意識状態では、
全く違う意味合いを持ちます。
知性の夢を見るのは、条件があります。
マインドが直接、空を経験していて、
なおかつ目覚めている状態である事。
マインドがクリアーである事。
知らない事があり悩んでいる場合、
または、知りたいと意識を向けている場合。

もしもあなたが、全知全能であれば、
知性も教える事がないから、
知性の夢は見ません。

これが普通の人が寝ている時に
見る雑夢ではなくて、 
「空」が日常の中に目覚めて
登場してる知性が教えている夢で、 
新しいご自分の未来だから
ゴミの夢ではありません。
ちゃんと、拾わなきゃ。

だから認識が瞑想の体験と同時に
とても大事なのです。

瞑想の講師は、
何の為に存在するのか?
私は、瞑想の受講生さんの、
認識を拡げる為に、
存在してると思っています。 
だから、何でも質問して、
講師を使い倒すの。
使い倒されても、
それは、瞑想の講師冥利に尽きます。 
「人が変化する姿を見れる」
それは何よりも嬉しい事なのです。

同じ瞑想をしている受講生さんが、 
新しい、自分の未来の可能性の中に
入っていく姿を見れるのは、
魂が震えるくらい嬉しい事なのですね。

認識が進んだ状態で、日常を生きる時、
自信を持って、瞑想を続けていけますね。
それは、必ず、容姿や行動にも出てきます。 
そこに年月が重なる時、
明らかに見た目に差が出ます。

マントラを沢山、持っていても、
認識が足りないと、 
それが外から見ても講師にはわかるのです。
「マントラ本当にそんなに持ってるの?」
(そんな風には見えない・・)と
見えてしまいます。

もちろん、マントラが沢山あることで、
固有の波動があり、
刺激がどれも違うから、 
その事で瞑想を続けられているのは、
とても良い事だと思いますよ。 
そこに講師との良好な人間関係を感じます。
否定はしないけれど、 それだけだともったいないの。

私は、
このフルフィルメント瞑想(ELM瞑想)の事を
「瞑想界のポルシェ」と呼んでいますが、
ポルシェは、そんなものでは、
終わりません。

マントラが、少なくても、
そこに 正しい認識があり、
日常の変化と照らし合わせて、
理解しながら進んでいたら、
私は、そちらの方が価値があると思っています。
講師からすると
「いぇ〜い!やったぁ〜!」 って感じかな?

なので、日々、認識を深めながら、
楽しくまいりましょう。

瞑想伝授&瞑想会は
奈良学園前で月1回開催してます。

瞑想みのり

 

上級者の瞑想は、初心者にも一番効果的なもの

梅雨ももうすぐ終わりそうですね。

今日は伝授&瞑想会でした。
名古屋や兵庫など遠方からも
沢山の人が訪れる楽しい瞑想会になりました。
ありがとうございました。


今日は、ランチの事、書いてみます。

メインは、キャベツメンチカツ。
油は、自然食品店のものを使ってます。

お味噌汁は白きくらげを入れました。
きくらげは、国産のものがいいですね。
今日は、高知の清流、
仁淀川の霧で育てた無農薬、
防腐剤なしのきくらげです。
きくらげは、
カルシウムや、食物繊維が豊富なので、
戻した水も使いたいところです。
中国産は、安いけど、
農薬や防腐剤が怖いので、戻した水が使えないの。
水溶性の栄養がもったいないですよね。

人間だけが、自由意思があり、
方向を変えることが出来ると
この間、ブログに書きましたが、
瞑想を教えている私が、料理をする。
こんな事も方向を変える事が出来る例で、
これは、人間だけが出来る特権なのです。
クリシュナマントラは、
自分の知らない自分を沢山発見しますので、
そこに動いていってくださいね。

食物の中の神の知性を無視して、
甘い梅干しとか、
食中毒が怖いからと、
滅菌しすぎたカット野菜とか、
火を入れすぎた蜂蜜とか、

ぼっとしてたら、
それ意味ないじゃん!ってものを
「身体にいいね」と言って、
食べていたりします。

せめて、
人間が事に仕える時(手仕事する時)
くらいは、
食物の中の神の知性を、
そのままに引き出してあげたいなと思ってます。

今日は、ひじきも砂糖を使わずに、
かつおぶしの出汁をひいて、
梅干しとレモンで攻めてみました。
本当に美味しいひじきは、身体がなれてくると、
砂糖は入れないほうが実は美味しいです。

次回の伝授&瞑想会は、8月8日(日)になります。
誰でも参加できますよ。
瞑想初心者の人でも簡単に続けられて、
とても深い経験がおきてくるのが、
この瞑想です。

上級者の瞑想は、
実は瞑想初心者にも一番良いものなのです。

サイトも少しずつUPしています。
https://www.1satori.com/