恋よりも魔境に落ちてみたいものだ

今年の目標 お弁当づくり

こんにちは 瞑想みのりです。
今日は頂いた質問からいってみよう♪

(頂いた質問)
少し気になることがあったので質問させてください。
瞑想をしていると魔境に落ちることがあると目にしたのですが、
注意事項を守って行っていれば大丈夫でしょうか?
なにか他に気をつけなければいけないことありますでしょうか?
少し不安になりご連絡しました。

よろしくお願いします。

(みのりお答え)
気をつける事は、特にないけれど、
せっかくの機会なので
「世間は、これを魔境と言ってるのか?」
と思いつく事を、
つらつらと書いてみたいと思います。

「空」を経験する瞑想の場合は、
オーラに自動的に保護膜(シールド)をはります。
このシールドのことをカヴァチといいます。
そして「空」は、何からも侵害されない領域でもあります。
というか、空より安全な場所がないから、
私の場合は、万が一、
自分が怖い思いをする事があるならば、
「瞑想して安全を確保する」という感じですかね。

 

まず怖い思いをする事があまりないので、
良い例が見つかりませんが、
大きな地震の時などは、私もさすがに怖いです。

だから、地震の時に瞑想していたら、
逃げずに揺れながら瞑想を続けます。
「神様〜マスター助けて〜」とか
言いながら瞑想を続けます。
一番、危険から逃げてる状態が瞑想中だからです。

他にも
肉体のない人(霊)が、そばにいて、
天に上がっていく時も、瞑想しますね。
でも、これは怖い思いには、当てはまりません。

この経験が起きる時、めちゃくちゃ気持ちいいし、
「なんか知らんけど、人助けしたな」と感じるからです。
「怖い」じゃなくて、お願いだチャンスがあれば、
またさせてくれ(笑)って感じの体験なのです。
そんなチャンスがなかなか無いのが、
実際のところなのです。

 

また瞑想は肉体から魂が抜け出てしまう事ではありません。
幽体離脱と呼ばれる、魂と自分の肉体の繋がりが、
薄くなる行為はしてはいけません。

幽体離脱と呼ばれるものは、
一言でいえば、自然じゃないからです。
そして「肉体を嫌う」という事は、
根本的に自分を嫌っているのです。
幽体離脱に興味がある人は、
まず自分を好きになる事を目指しましょう!
自分を好きになる行為。これが瞑想。
心理学もいいと思います。

 

あとは、肉体に制限されない世界が、
自分の外側にあると思うのをやめることですね。
(それを探しに行こうとする行為が幽体離脱でしょ)
無限の宇宙が自分の内側に拡がっていると捉えた方がいいですね。
またしても・・これが瞑想よ。

 

あとは、日本で言うところの丑三つ時ってありますよね。
夜中の寝静まっている時です。
そういった時間帯に瞑想すると、
瞑想という行為が、ストレスの解放の意味合いもあるので、
深い激しい解放の体験になりやすいです。

だから瞑想の熟練者の人はこの時間を好んで瞑想しますけど、
初心者の人は避ける方がいいでしょう。

深い激しい解放の体験とは、
何世代にもまたがって、長い間、
抑圧していた激しい感情や、
過去世と言われる今とは違う人生での、
何かの出来事やそこにあった感情、
記憶を解放していくからです。
多くは楽しい体験ではありません。
記憶に残っているのは、
ネガティブな体験なのです。

ご先祖様の身に起きた激しい体験なども、
瞑想中といえども、解放される時は、
心の精妙な領域から、よりわかりやすい
具体的な領域に出てきて、解放されます。

それらはすべて、自分の中から何らかのゴミの
ようなものが去っていく体験なのですが、
それを経験する時、まるで自分とは別人格の性別であったり、
味わったことのない境遇の記憶や感情を伴って、出ていきます。
出ていくので、喜んでいれば良いことなのですが、
感情や別人格のような個性を感じているので、
まるで入ってくるかのように感じられる場合があります。

マインドは印象を映す鏡で、ただの鏡には、
去ろうとしてるのか、入ってきてるのか
分からないからです。

だから、ただの解放でも、
とっても恐ろしい事が起きたように思えます。
部外者がこれを見たら、まるで誰かが、乗り移ってるのか?
と思って笑ってしまうかもしれません
(違うねん。過去(生)の自分の(または先祖の)
個性(ゴミ)が去っていってるだけなの)
こんな知識がなければ、「魔境」と思うかもしれませんね。

 

他にも瞑想している自分の事を、必要以上に、
素晴らしい事をしていると思いすぎる傾向の人がいます。
私からすると、こっちの方がよっぽど魔境です(笑)
痛い人です。

 

瞑想って、ただの趣味ですよ。
ピアノが趣味。野球が趣味。ゲームが趣味。
それと同じでいいと思います。
なのに、瞑想だけは、
ライトワーカーとか、奉仕者とか、
ボランティアソウルとか、
なぜか誇らしい高尚なタイトルがついてしまうのです。

これは、精神世界の悪いクセだと思う。
エゴですよね。

もしもタイトルをつけるとしたら、
瞑想者は「人一倍よく休息してる人、寝てる人」
これでいいと思う。エゴを助長させないからです。

それでは今日も長くなりました。
1月22日(日)伝授は10時〜金タラで決定してます。
私も楽しみです。金タラ。
瞑想会は残席1名です。

3月以降の予定が出せずにすいません。
2月にはお知らせしますね。

瞑想みのり

 

 

 

 

型どおりに

毎年恒例の新年お茶会。日本酒からはじまりました

瞑想みのりです。
内側に外側に拡大の1年になりますように!
今年も よろしくお願いします。

新年は毎年恒例になってきてます。
帝国ホテルでのお茶会でした。
今年は6名の方が集まりました。

今年2023年の目標は、
日々の食事に気を配ろうと思ってます。
あとは、英語と心理学のおさらい。
不動産の管理など。投資も・・
新NISAがスタートしますので枠いっぱい攻めます!

仕事と学習がメインの1年になると思います。
もちろんベースは瞑想ですね。
あとは 後半はOG会もぼちぼちと開催していきますよ〜。
楽しくまいりましょう!

新年に面白いCMを見ました。
短い時間で、会社の特徴をわかりやすく伝えていますよね。
旬の人でもあり、ギャップもあり、親子でもあり、話題もあり。
凄いな〜と感心しました。

https://youtu.be/SMPpWl71Jyo

このCMが気になったという事は・・
今年は「型にはまれ」これが私のテーマなのか!
感情をはさまずにただ、型にはまるのです。

異物を除く事に、
いちいち感情を挟む必要はないのです。

1月の伝授&瞑想会の日程は、
1月22日(日)で、金タラで決定しております。
金タラは、ビジャ・タラ・赤・白タラを
お持ちであれば受講可能です。
(グリーンがあると、なお良しです)
3月以降のスケジュールは、
2月にお知らせしますね。

今年もよろしくお願いします。

瞑想みのり

印象に残った瞑想体験2022年 1位・2位

クリスマス


甥っ子、姪っ子が遊びに来たので、

クリスマスの料理を作りました。

丸鶏を焼いて(焦げて)
じゃがいもを揚げて、
クリスマスリース風にしたら、
これが、子供に大ウケでした。
じゃがいもの添えに、
クリスマスらしくヒイラギとか、
飾りたかったのに・・(無くて春菊トホホだね)


ではでは、
今年印象に残った瞑想体験2位と1位は、
まとめて、瞑想によって起きてくる
神のような精妙な知覚の色々ですね。

この新しい知覚を見る(聞く)事で、
そこから私も色々と検証が出来るわけですね。

1位は、犬の鳴き声とともに赤い線の入った、
数値の書いた紙が登場する夢。
「健康状態に気を配れ」と伝える知性の夢。


鳴き声だけの犬(聴覚)ですが、
この声の背後に人間の意識がありました。
簡単には姿は見せたくない医療関係者が
「もっと健康に気を配れ!」と、
私に伝えたいのです。

それで、食べ物や運動に気を配るようにしています。
これは、日々の課題ですね。来年は、
もっと食べるものや食べ方にこだわりたいと思っています。


2位は、
今年は色んな人の死があった事です。
遠くですし、話もしてないのに、
何故か知っているというのは、
身内の人が私に向けて(心の中で)話すから
それを聞いてるだけなのです。

一つは、
以前のパートナーのお母さんの死ですね。
なんか、昔(過去世?)友達だったよね?
そんな感じのお母さんでしたから、

天満のカラオケに昼間、
よく二人で歌いにでかけた思い出があります。
感謝しかありません。かわいい私のお友達。
涙が出ます。ご冥福をお祈りします。

そんな事で今年の印象に残った瞑想体験は、
すべてが精妙な知覚にまつわる事。
そして、その新しい知覚との付き合いかたです。


今日はいい天気。でも寒そうですね!
甥っ子と姪っ子に、
プレゼントを準備します!

次回の瞑想伝授&瞑想会は
1月22日(日)です。

瞑想みのり

印象に残った瞑想体験2022年 3位

色んな意味で、お料理の写真撮影禁止。


この間はノートグループの忘年会があり、
天王寺の明治屋さんで飲み会でした。
30年通い続けている名店です。
日本酒も美味しいですけど、
小芋を目当てに

一人で出かける時もありますね。
薄味で色が白くて美味しい。
芋の味がちゃんとするというか、
何十年もの定番商品だから、
芋を煮る事だけに集中してる味というか。

最近、料理が嫌いになりそうな状況に
追い込まれていて、美味しいものは
ゆったりした気分で作りたいですね。

今日は、
年末の印象に残った瞑想体験3位と
料理の話を混ぜて書きます。

この話は、
瞑想で聴覚が目覚めてきた20代の時の話です。
その時は、マクロビオティック(自然食)
のキッチンで働いていました。
ある時、料理教室の校長先生に
料理を何品か作って試食してもらう機会がありました。
もう業界では誰もが知る有名な方です。


試食会は、普通に「美味しかったわ!」
ということで滞りなく、終わりました。
でも・・
夜に寝たら、目覚めた聴覚の触手が、
空間に伸びていき、
校長先生の意識をキャッチして戻ってきました。

目覚めた聴覚は、
いくつかの条件が重なる時に無意識で起こります。

その条件とはまず
・精妙な人間の知覚が瞑想の空の経験で、目覚めている事。
・こちらが相手を理解したいと思っている事。
・相手がこちらに理解してもらいたいと思っている事。
・相手も「空」のパワーを持っている事。
この4つです。

だから知らない人、興味のない人、
はっきり言って全くわかりません。

(そこに意識が向いてないから、
触手が伸びる理由がないのです)

校長先生は私の当時、学んでいたマクロビオティックの
料理の先生でもありますから、
私は向上心もあって意識をしてるから。
4つの条件が全部当てはまったわけです。

そして触手が、キャッチしてきたことは、
「私がこの厨房のリーダーよ!」というエゴが、
どの鍋の料理にも少しずつ塩味として出ている。
だから、もっと(ガスの)火を入れて、
味をまろやかにしなさい」と・・

先生が本当に伝えたかったのは、
こちらのメッセージなのですね。
優しいから傷つけないように、
その場では言わなかっただけです。

めちゃくちゃ思い当たることがありました。
だから、朝起きて「はぁ〜!」っとなって、
真っ先に職場に向かい
「どの料理もガス火をガンガン入れて〜」と
厨房の皆さんに伝えて、
全部の料理を煮るようにしました。

マクロビオティックの料理は砂糖を使わないから
ごまかしがききません。
校長先生は、
私が、どんな心理状態で作ってるかを
食べて見破ったのだと思いますよ。

だからさ・・
ゆったりした気持ちで作るって大事だなと思いますね。
美味しく作ろうと思う事も大事。

いつも話している事ですが、

お母さんが家族に作る料理は最強なのです。
見返り求めずに、愛情を込めて、毎度毎度、
そこに年月が重なる。もう無敵なのです。

さてさて・・
今年印象に残った瞑想体験3位は、

目覚めた聴覚を沢山、経験した事でした。
その事で、目覚めた聴覚の特徴も沢山学びました。


目覚めた視覚よりも、聴覚の場合は、
情報も知性も少なく、本当にただ、
触手が空間に伸びていき、聴いてるだけなのです。
タターガタですよ。


目覚めた聴覚の特徴は、
主語が無い事や、
話し言葉と違ってその場で聞き返せないため、
自分でたぶんこの意味だろうと
推測するしかない部分があるのです。

大阪弁もわからないことが、
今年、判明しました(笑)


今年、面白いなと思った目覚めた聴覚の体験は、
「おかしないよ・・」と関西弁で言われて、
それが、
「まちがえてないよ」
(可笑しくは無いの意味)

なのか、
「お菓子がこの場所には置いてないよ」
(お菓子無い)

なのか?
聞こえてても少し推測しないと分からなかった事です。

何気ない体験ですが、
目覚めた聴覚と視覚の違い
という意味でも、私にとっては面白いなと思う体験なので、
3位にあげておきます。

日常に神の聴覚を、活かそうとすれば
「主語がない」この理解もすごく重要で、
私たちは心の中で当たり前のように、
思う事や願い事に主語をつけませんよね。

例えば、
「お金持ちになりたい」と心の中でつぶやく時、
主語をつけませんよね。
自分には、当たり前のようにそれを言っている
私、本人の願いに決まっているからです。


これが神の知覚に向けて伝えているのであれば、
神様はあなたの心の中での願いは、
透けて通り、キャッチしてます。

けれども、本当に神様からの
フィードバックを自分に欲しいなら
とりあえず自分の名前(主語の固有名詞)は伝えておこう。
私という主語もダメです。世界中の人が全員、
「僕か私」という主語です。


主語を入れてなくて、近所の人がお金持ちになっていたら、
それは、あなたの願いが神様に聞き届けられたのかもしれないよ(笑)
だから、よろこぼう。

日本の有名な伝統的な神社でご祈祷をした事はありますか?
住所や番地、名前の正式な音であるフリガナや濁点まで、
詳しく聞いてきますよね。
自然の流れを阻害してない願いなのかどうかも含めて、
まぁ事細かに聞いてきます。

でもね・・
神の聴覚を理解した時は、
これは誠実なご祈祷だと思うよ。


瞑想みのり

次回の伝授&瞑想会は

12月11日(日)です。
瞑想会の時間が少し遅くなります!
また参加の方にお伝えしてます。

「肉がかたい・・」なら食うな!その1

人間はどこに向かうの?


最近は、自宅での料理が楽しいですね。

でもこれもタラ・タントラで起きてきてるのだろうなと思うので、
今日は長年愛用している料理道具の事などを書いておきます。

最近、外食してて考えさせられることが沢山ありました。
京都の焼き鳥屋の名店に入ったら・・
ビックリするくらい不味くなってる。
人気が出過ぎて、まぁ全部、外国産の肉と
タレも人工甘味料に変わっているんだよね。

大阪の居酒屋さんで注文したお料理は、
大きな砂肝のあえものでした。
切ってるのにこんなに大きな砂肝は、見た事がないです。
「私は一体何を食べさせられているのだろう?」(笑)
恐怖に近いものがありました。
外食の場合は、知らない間に、
それを安いね・・
サービスだねと思って食べていたりします。

肉がかたいと要求したら、薬品が柔らかくしてくれるし、
魚の骨が邪魔だと要求したら、薬品で骨を溶かしてくれる。

人はどこに向かおうとしてるのだろう?
「肉がかたい・・なら食うな!」(笑)

それがタラの教えだから。
(身体に合わないならば、
もう食べる必要がなくなってるの意味ね)

もちろん、感動したお店もありますよ。
金沢に旅行した時に、
民泊の近くの焼き鳥屋さんに入りました。
333って店。


若いカップルが切り盛りするオープンしたての店でした。
だから、なにひとつ期待せずに入りました。

地鶏が1品だけ小さい器にのってくる。
器の趣味が・・どれも素晴らしく
まず歳の若い二人がこの器を揃えたセンスに感動!
目利きってこういう事なんでしょうね。


盛り付けも、焼き鳥に塩の粒。
付け合わせの野菜はなし。
地鶏と器が調和してるから付け合わせの野菜は邪魔です。


ただの焼き鳥が、
美しい額縁(器)と絵画(地鶏)に見え、
地鶏に対する畏敬の念が、皿から感じられるのです。


「私たちは、この地鶏で勝負していきます!」
そんなお店の意図も伝わるし、

「命を頂くって、本来こういう事だったよね〜」なんて、
普段忘れている事を思い出させてくれるような店で、
旅先で、予想外の感動を頂きました。

後からわかったことですが、
若い二人は、
大阪のミシュランに掲載の居酒屋で修行してた事が判明。
(この大阪の居酒屋も美味しすぎてヤバいですが、ここでは省略)

余談が長くなりすぎた。

とにかく、普段は自宅でご飯ですよ!
「死ぬまで自分のご飯は自分で作って食べる」
こんな事を考えています。

「肉がかたい・・なら食うな!」が
タラの教えならば、
「自分で作れなくなったら死ね!」です(笑)
タラは、厳しいよ。自然だからね。

まぁ自分で作れなくなった時に、
外食に頼れば良いと思います。
上記にも挙げたように良い店って、
本当にあって、良い店は必ず残るから。
コロナ関係ないから。これも自然の流れだから。

自然淘汰や弱肉強食も残酷に見えるけど、
タラ・タントラから私が学んだ教えです。



長くなったので、
今日は料理の道具。鍋の紹介だけ。
私の長年の大のお気に入りです。

まず鍋の選ぶ基準は
「100歳になっても、自分の手で持てる重さのもの」です。
それでいえば、鉄のかわいい重い鍋は、私は買ってません。
老人になったら持てない。
これが基準で若い時に選んでいるから。


そうなると、私の中では、
フランス製のクリステル旧型一択です。
(グラフィットと呼ばれる鍋)


新型は若干重いですから、90歳では持てますけど、
100歳では少ししんどいかもです。だから旧型です。
一体、いつまで生きるつもりだよ!って感じですが、
大切な事ですね。

アルミの鍋は軽くていいですけど、それなら
京都の名店。有次さんの雪平鍋。
ただ、アルミとアルツハイマーとの因果関係を言われると、
分からないので、私個人的には、使ってないのです。

クリステルは、何より、フランス製というおしゃれさと、
機能性、軽さと取っ手がとれて、全部が重ねられる。

死ぬ時には孫に遺言とともに、一式譲れます(笑)
子供は現役で料理するから譲れませんが、
孫であれば大丈夫。
その時に、もらって困るダサい鍋ではダメなのです。
機能と芸術性が高くないと、あなたの宝物がゴミ箱行きです。

仮に、バカ孫&ダサ孫で価値がわからない場合は、
メルカリで売っても、
買った時と同じまたは値段が上がった状態で、売れます。
凄くないですか!

だから100円ショップの100円の鍋より実は安い(笑)
単に値段だけ見て高い安いではなくて、
「安物買いの銭失い」この言葉は、ある意味では正しかったりしますね。

ではまたつづく。

瞑想みのり

メンタルはマシュマロのように強い

こんばんは
瞑想みのりです。

最近、瞑想の事もですが、
普段の暮らしそのもので考えさせられる事が多々あり、
大好きなA・葉子さんみたいに、

日々の食事を大事にして生きたいなと(笑)
そんな事で、調理用の道具を新しく買い足したりしてます。
これがまた本当に面白い!


ではでは、前回の続きタラタントラが、
エッチだと言われる話の続きですね(笑)

こういう奇抜な体験はやはり、多くの人が反応しますが、
でもそれも瞑想においてはどうでも良い事です。
だからこういうエクスタシーの体験をしたいと思って
瞑想を始めたとしても瞑想が続かないかもしれません。
瞑想で得られる効果はサイトに色々と書いてますが、

それさえもどうでも良いのです。
これらの効果さえも、それが期待に繋がるとしたら
瞑想においては、逆効果です。
瞑想は期待以上のものだからです。

私が瞑想の効果として、
長年続けてきて1番好きな効果を1つだけ挙げるとしたら、
「いつも幸せな事」ではないかと思います。

何かがあるから幸せになるとかではなくて、
苦しかったり、悲しかったり辛い出来事があっても、
ハートに幸せ感がいつも常駐してる事ですね。

仮に・・不幸だなと感じた事もあります。
最近では、40代の妊活の時かな?


今思えば・・不幸な時は、
考えの中に入り込んでいる
時だというのが、よくわかります。

ハートにいれば、やはりいつも幸せなので、
実は・・不幸というのは
「不幸という茶番劇がしたい時」
だけなのです。



瞑想で得られる幸せ感は、
メンタルの強さにも繋がってくると思います。

もしも他人に「メンタルは強いですか?」
と、聞かれたら、何か得するかもしれないから
「弱いです・・」とは答えますけど、
多分、明らかにメンタルは強いです。

長く瞑想してる人達の特徴は、
メンタルが強い事ではないでしょうか?



「はがねのように強い」という言葉がありますが、
はがねは弱いです。

ハートの場合はしなる事が強さの特徴ですから。
空気のように強い。柳のように強いとか、
巨大マシュマロのように強い。
こんな表現になると思います。

話戻して・・
瞑想のイクというエクスタシーの体験は、
生命エネルギーの通り道の出口で起こります。

ナディの先端、肉体であれば皮膚の表面で起こりますね。

でもそれが起こるエネルギーの始まりは、


主要なエネルギーの通り道を力強く流れているのです。
それが感覚の器官であるハートに常駐してる状態が
幸せ感になりますね。

身体の主要な道路が3つ。
背骨があるところ真ん中の道路を挟んで、
寒いところから熱いところへ向かう道路。
熱いところから、寒いところへ向かう道路。


この3つです。熱いのと寒い(陰陽)のエネルギーは、
交差しています。
その交差地点がチャクラと呼ばれてますね。

これを書いてて思ったのですが、
人間の身体と日本の地形は似てますね。

山脈が背骨。
冷たいエネルギーは、
ちょうど、北海道から九州へ向かうような・・

熱いエネルギーは、
ちょうど、九州から北海道へ向かうような。

クンダリーニは、
炎のエネルギー鹿児島の桜島でしょうか?
熊本も火の国と呼ばれるように 

この地域は熱いエネルギーがあるのでしょう。
沖縄を入れてないのは、特に意味はないのですが、
中国が狙っているように、
沖縄は、私の中では、
日本とは違った1つの国というイメージがあります。


ハートは、日本の地形ではどこに当たるんだろう?
個人的には諏訪かなと思ってます。
諏訪という場所は、とっても気持ちが良い場所です。
あまり地理とか詳しくないので、
的外れなことを話してるかもしれませんけどね。

話、戻して・・
瞑想は、心と身体の大掃除でしたね。
頭から尾てい骨に向かって流れるエネルギーは、
冷たいエネルギーで、
思考や信念体系の解放を主にしています。
考えて過ぎるクセのある人、
もしくは、先祖や親が考えてばかりの人は、
瞑想中にその多過ぎる癖からくるストレスを解放しようとして、
身体が寒くなる傾向が強いです。


反対に、尾てい骨から頭に向かって流れるエネルギーは、
熱いエネルギーで、感情や欲望にまつわるストレスを解放してます。
自分自身が感情的であったり、
先祖の中に感情的な人が多い場合は、
瞑想中にその多過ぎる癖からするストレスを解放しようとして、
身体が熱くなる傾向が強いです。

瞑想は、心と身体の再調整をしようとするので、
これが起こりますね。

今日も長くなりました。

次の伝授&瞑想会は
12月11日(日)です。
瞑想みのり