不思議な話が普通にできる

この日曜日は、瞑想会でした。
関東からも伝授に
参加された方がおられて、
本当に感謝しています。

なぜ遠方から参加してるのか?
これもちゃんと理由があるのです。
私は、あと10年は、
この瞑想の仕事、続けますよ。

 

皆さんを、
連れていきたい境地があるので、
ちゃんとついてきて下さいね。
10年と言っても、月に1回の開催なので、
120回程ですね(笑)あっという間ね。

エビチリソースにした

今日のランチは、リクエスト頂いて、
エビチリでございました。
あとは、冬にはよく作る里芋まんじゅう。
葛粉であんをつくりました。
枝豆は、兄夫婦が伊豆高原で
自然農をしてます。
そこから送ってもらいました。

 

自然農の枝豆はとにかく、
素朴な味がします。
旨味の意味では、
品種改良されたものの方が
美味しいと感じるかもしれませんが、
素朴な豆の味がするので、
「こういう味を忘れてはいけないな・・」
「これが純粋な豆の味なのか・・」と、
思いながら食べてます。

今日の瞑想会も楽しかったです!
瞑想会では、
不思議な話が普通に出来るのですが、
それが「スピ系」と言われる話とは、
またちょっと違うのですよね〜。

瞑想の「空」の経験の場合は、
人間の普通の能力が目覚めていく事だから。

誰か一人だけが経験する事ではなくて、
皆さんに 普通に起きてくるから、
知っておくべき知識、対処法を瞑想会で、
共有する為に話すという感じなのですね。

また、追々、書いていきますね。

初めての方は、
ラブマントラから
半年間をこれで瞑想します。

では次回の伝授&瞑想会は
11月14日(日)奈良@学園前です。

瞑想みのりサイトにリンクがあります

発達していく神意識3

こんにちは
瞑想みのりです。

まんじかふぇ

ではでは・・本題です。
前回は、
神意識の状態の話で終わってしまいましたので、
今日はその続きです。

神意識(例えば、旧マントラであれば、
プロスペリティや加速マントラなど)
でも分離感は、なくなりますが、
じゃあ、
ブラフマン意識の分離感がなくなる体験と、
どう違うのか?

神意識は、人間の知覚が、
神のような精妙な知覚に変化して、
世界を観ることだと書きましたが、

この状態で世界を観ると、
物質の輪郭は、はっきり、
くっきりと観ている状態です。

山は山として、雲は雲として、
太陽は太陽として、
その個性がはっきり感じられます。
物質も、輪郭がはっきりして、
自分の好きなもの、嫌いなものが
はっきり、くっきり分かる感じで、

磁石のように、
自分の中の知性に合うものが、
引き寄せられてくる感じです。
景色もそれぞれの自然の個性が、
自分にせまってくるような感覚があります。

これが起きてくる初期の頃は、
道を歩いていても、
花に「こんにちは」と挨拶したり、
太陽に手を振ったり、世界が美しいので、
いちいち立ち止まって、
挨拶する感じがあります。

「世界が微笑みかける」と言いますが、
ほんとその通りです。

これが普通になってくると、
普通の事なので、いちいち道を歩いてても、
立ち止まったりしません。
私達、人間は、
自分のあたりまえの事は認識できないので、
その感覚を当たり前として、
生きていくようになります。
ちょうど、空気は私達にとっては、
当たり前なので、
普段、認識しませんよね。それに似ています。

その人にとって当たり前ですが、
明らかに瞑想の「空」を経験してない人とは、
知覚が変化している状態なのです。

ここにブラフマン意識のマントラが加わると、
それが、もっと空間に拡がっていく感じです。

私は、あまり宇宙という言葉は、
スピリチャル過ぎて使うのは
好きでありませんので、
空間に(世の中に)拡がっていく。
と表現しましょう。

(本当は宇宙にまで拡がっているかもしれませんが、
宇宙に行ったことがないので、わからないから、
世界に拡がる・・に、とどめておきましょう)

ブラフマン意識は、
風に例えることが出来ますが、
神意識で木を観る時、その輪郭や生命力に
具体的に気づくとしたら、
ブラフマン意識では、
木の葉っぱの一枚一枚を意識が通過して
揺らしていく感じです。

「透けて通る」という表現が、
私の中ではピッタリきます。

ブラフマン意識は神意識が、
空間に風のように拡がって
透けて通ってしまうのです。

 

今の、新しいプログラムは、
私は最初、
あまり好きではありませんでした。

旧マントラで起きてくる体験は、
宇宙意識と神意識、統一意識の体験は、
それぞれに明らかに違いがあり、
具体的で、
瞑想を教えやすいのに対して、
新しいプログラムは、
いきなりブラフマン意識から始まるので、
抽象的で、
言葉にしにくいというのがありました。

「すごくいい感じがするんだけど・・」と、
その後の言葉に詰まり、
具体的に表現することが
難しかったです。

瞑想の講師が抽象的だと感じるものを
どうしたら、
受講生に分かりやすく
具体的に伝えられるのか?
これは、迷うところではありましたが、
神意識の状態が発達して、
空間に広がり透けて通る。

これが、今現在、私の中では、
表現としては、ぴったりきます。
これを「発達した神意識」
と、言っても良いと思います。
明らかに、
具体的な神意識の体験とは違う体験ですから。

 

抽象的ではありますが、
実際に使っている受講生さんの日常の体験では、
最初は、抽象的でも、コツコツと瞑想を続けていると、
心の変化や肉体や容姿の変化、そして、
透けて通る体験が起きてくるので、その都度、話をする事で、
「これが透けて通るなのか!」
としだいに理解できるようになってきます。

だから、瞑想会で講師の先生と
日常に起きている体験を、
しっかり話をすることが大事ですね。

まだまだブラフマン意識の
透けて通るの具体的な話は出来そうなので、
実際の体験もまじえて、追々、書いていきますね。

 

次回は、天職と宇宙意識の続き書きます。

9月の伝授&瞑想会は2名以内で開催します。
スケジュールはこちら

FBグループでは瞑想質疑応答&シェアー会(無料)
は、9月中旬から下旬にZOOMで開催します。

では、今日もめいっぱい楽しみましょう!

瞑想みのり

 

瞑想「空」の経験は一生のお友達

こんにちは
瞑想みのりです。

今日は、
瞑想初心者の方の伝授でした。

瞑想の一番のコツは、
初心者こそ、
最初から続けられる瞑想を選ぶ事。
これに尽きると思います。

「瞑想が続いたことがないんです!」
って言う人いますけど、
そもそも、最初から続かないような
瞑想を選んでいるだけだったりするのです(笑)
瞑想「空」の経験は・・
一生のお友達ですよ。

 

人はメリットがあることしか選ばない生き物です。
忙しい現代人が、瞑想に時間を割くからには、
そこから、何かの恩恵を得ることが出来なければ、
続ける意味合いが感じられなくて、
辞めてしまうでしょう。

本当に瞑想することで、
容姿や性格が変わったり、
頭が冴えたり、
感性が豊かになったり、
仕事の能率があがったり、
いつも平安から行動できたり、
効率的に身体が深く休んで、
活動に回せるエネルギーが増えたり、
などなど・・・
心の深いところ「空」から作用する瞑想を
選ぶ事ですね。

今日のランチは、
根菜を使いました。

レンコンは、大きな穴が空いてますけど、
これに似ている身体の部位は、気管支ですね。

だから、レンコンは、のどや
気管支を整えるのに良いとされていますね。
喘息の人は、特にれんこんの節のところ。

でも、レンコンも色を白くするために
普通に・・漂白剤が使われていたりして、
それが実は喉に悪いの!

だから、レンコンは色が汚くてもいいから、
漂白してないものを選びましょう。

今日のレンコンは、自然食品店で買いましたが、
なにげに白すぎて、ちょっと気になってます。
むむむ・・って感じ。またお店の人に聞いてみよう。
聞いてわからなかったら、お店を変えよう!

次回の奈良@学園前瞑想伝授&瞑想会は
9月12日(日)です。誰でも参加できます。

 

次回のFBグループ
オンライン質疑応答&瞑想ライブ(無料)は、
8月16日(月)21時〜です。誰でも参加できます。

https://www.1satori.com/

神鳴りのように竜巻のように・・

こんにちは
瞑想みのりです。

奈良の大仏

この間、
オンライン質疑応答&瞑想ライブをしました。
瞑想歴が4年から10年超えてる人が多く
10名の方が参加されました。

一番新しい人達でも、
ブラフマン意識の経験をしているのですね。
神の知覚が、目覚めて、空間に透けて通る体験です。

 

私も皆さんの体験を聞いて、
凄いな〜と思いましたし、
嬉しかったです!

「透けて通る・・」を別の言い方をするとしたら、
自分のエネルギーのフィールドが、
宇宙に(世界に・空気中に)拡がり、
目覚めているということです。

瞑想は、リラックスして始めます。

ブラフマン意識になると、
自分の身体の輪郭をしっかり感じるというよりは、
その輪郭が消えてしまうような感じで、
瞑想を始めていきましょう。

手のポーズとか、
アグラとか、どうでもいいです。
私は、昔から・・
手のポーズにこだわったり、
背筋をしっかり伸ばすとか、
身体のスタイルにこだわりすぎる瞑想は
しようもないと思ってました(笑)
今も・・思ってます。

「身体を超えて意識が拡がっている」が、
正しいからです。

尾てい骨から上昇していくエネルギーを
クンダリーニと言いますが、
これも、身長160センチ足らず人であれば、
頭頂から尾てい骨の90センチ足らずだと思って
瞑想してる人が多いです。
肉体に囚われているのです。

クンダリーニはそこじゃない。
クンダリーニは龍や蛇に例えられますが、
自然現象の竜巻をイメージするといいです。
(あんまりお目にかかりませんけどね)

もっと分かりやすいのは、
夏のカミナリです。
カミナリは、神鳴りとは、よく言ったもので、
天から地に電流が走りますけど、
瞑想してる人は、
あれが、自分の背骨だとイメージするくらいで
丁度いいです。

雲を脳に例えると、
雲の合間(松果体)から、
私達の知覚を変化させるソーマと
呼ばれる若返りのホルモンが生成されて出てきます。
(これは「空」を経験する瞑想に限ります)

ソーマは、瞑想中、内なる目で見るときは、
乳白色のクリームですが、
この体験が増していくと、磁気的傾向が強くなり、
まさに神鳴りの電流のようです。
「天から大地」これが私達の意識の
フィールドだと思ってください。

タラ・タントラ使っている人も同じです、
赤タラで上昇し、白タラで降りる。
赤で雲まで、突き抜けて、
白で降りるは雲から大地まで突き抜ける。
自分の肉体からはみ出ている。こんな感じです。
これが私達のエネルギーフィールドです。

私達は、ブッダの事を「大仏」と呼びますよね。
これもぼ〜っと聞いてちゃダメ(笑)
自分の身に起きることです。
人間が到達しうる意識の状態を表します。
文字通り、目覚めた意識が・・大きいの。

奈良在住ですが、
奈良の大仏には沢山のインスピレーションを頂きます。
門から大仏殿まで、めっちゃ遠いのですが・・
これ、奈良が田舎だからじゃないのです。

大仏の仏像がブッダの身体じゃないもの。
薬師寺とか、長谷寺とかも全部がデカイですが、
これも意味するところがあるのです。
奈良は素晴らしいよ〜。

と・・脱線してしまいましたが・・

ソーマが大量に流れる体験を
ダーマ・メガ・サマディと呼びますが、
「ソーマの雨が大量に降る」という意味です。

神鳴りの後には大量の雨が降るように、
瞑想で起きる体験と自然現象は同じですね。

瞑想みのり

 

未来をつくれ!

こんにちは 瞑想みのりです。
昨日22日(木)は、
21時からオンライン瞑想質疑応答ライブでした。
10名の方が参加されました。

 

FBグループで、認識についての質問がありました。
ちょうど瞑想会で、良い事例がありましたので、
具体的に例を挙げてみたいと思います。 

(頂いた質問)
みのり先生に
「瞑想は体験と同時に起きている事への認識が重要」 
と言われました。
この意味がよくわかりません。

桃といえばあらかわ・・美味し。

(お答え) 認識とは、簡単には、瞑想の「空」を経験して、
日常の体験の中での「あっ!そうか!わかった!」
という理解の事です。

この間の瞑想会である方が 
「自分が引っ越す夢を見て、その家に行ってみたら、
とても広い家で、表札が違うから、すごすご帰った」と、
話していました。
使ってるマントラはクリシュナ・マントラです。

この時に
「あっ!わかった!これが
クリシュナの多次元宇宙か!
自分の知らない自分を発見するんだな!」と、
自分で理解できていたら、認識が進む事になりますが、

質問するまでは、自分では、
わからなかったの。
講師に聞いて初めて
「あっ!わかった!」に変わりましたよね。
わかったら、ここに向かって、
現実を形創る事が出来ます。
それを、していかないといけません。
何が何でもです。
時間をかけて良いから、 
ここは、あきらめないで行動するです。
自分でもまだ気づいてない、
気づかないふりをしている
ハートの深い望みだからです。

行動していかない時、
「瞑想してるけど、あまり変化がない」 と、
言い続ける事になるのです。

クリシュナは合図を送っている。 
わからないから、
何度もわかるまで、合図を送っている。
こんなに具体的で
分かりやすい瞑想はないと思います。

この事が、
わからないと(認識できないと) 
ここに行動を起こしていけないのです。 
夢を見たな。それも同じ夢を何度も見たな・・
ここで終わっちゃうの。

 

夢は通常は、
ストレスの解放で見るので、
分析する時間が無駄なほどのゴミです。

けれども悟りの意識状態では、
全く違う意味合いを持ちます。
知性の夢を見るのは、条件があります。
マインドが直接、空を経験していて、
なおかつ目覚めている状態である事。
マインドがクリアーである事。
知らない事があり悩んでいる場合、
または、知りたいと意識を向けている場合。

もしもあなたが、全知全能であれば、
知性も教える事がないから、
知性の夢は見ません。

これが普通の人が寝ている時に
見る雑夢ではなくて、 
「空」が日常の中に目覚めて
登場してる知性が教えている夢で、 
新しいご自分の未来だから
ゴミの夢ではありません。
ちゃんと、拾わなきゃ。

だから認識が瞑想の体験と同時に
とても大事なのです。

瞑想の講師は、
何の為に存在するのか?
私は、瞑想の受講生さんの、
認識を拡げる為に、
存在してると思っています。 
だから、何でも質問して、
講師を使い倒すの。
使い倒されても、
それは、瞑想の講師冥利に尽きます。 
「人が変化する姿を見れる」
それは何よりも嬉しい事なのです。

同じ瞑想をしている受講生さんが、 
新しい、自分の未来の可能性の中に
入っていく姿を見れるのは、
魂が震えるくらい嬉しい事なのですね。

認識が進んだ状態で、日常を生きる時、
自信を持って、瞑想を続けていけますね。
それは、必ず、容姿や行動にも出てきます。 
そこに年月が重なる時、
明らかに見た目に差が出ます。

マントラを沢山、持っていても、
認識が足りないと、 
それが外から見ても講師にはわかるのです。
「マントラ本当にそんなに持ってるの?」
(そんな風には見えない・・)と
見えてしまいます。

もちろん、マントラが沢山あることで、
固有の波動があり、
刺激がどれも違うから、 
その事で瞑想を続けられているのは、
とても良い事だと思いますよ。 
そこに講師との良好な人間関係を感じます。
否定はしないけれど、 それだけだともったいないの。

私は、
このフルフィルメント瞑想(ELM瞑想)の事を
「瞑想界のポルシェ」と呼んでいますが、
ポルシェは、そんなものでは、
終わりません。

マントラが、少なくても、
そこに 正しい認識があり、
日常の変化と照らし合わせて、
理解しながら進んでいたら、
私は、そちらの方が価値があると思っています。
講師からすると
「いぇ〜い!やったぁ〜!」 って感じかな?

なので、日々、認識を深めながら、
楽しくまいりましょう。

瞑想伝授&瞑想会は
奈良学園前で月1回開催してます。

瞑想みのり

 

エゴが「空」にのみこまれる

発達していく神意識のお話の途中ですが、
前回は、反響が大きかったので、
つけたしです。

神様や悟ったマスター達の特徴、
人間との大きな違いは、
肉体の有無ではありません。
私にとっては、
神様やマスターというのは、
固有の個性を放っています。
キャラかなり濃いです。
肉体が無くても、
その人らしさ(神の知性)が
表現されていない人間の個人より、
よっぽど存在感がアリアリだったりします。

人間は、頭で考えすぎなのです。
表面上のマインドにいすぎるのです。
こうしたら、
好感が持たれるかな?とか、
ほめられるかな?とか、
下手な戦略をめぐらしたり、
結果、
神様みたいに固有の個性(神の知性)が放てずに、
誰かと同じようなふるまいや、
身なりになって、
表面的には、
人畜無害ないい人にはなれますけど、
これでは、
人間にも、神様からも、発見されません。

それだったら、
肉体が有っても無いのと同じでしょ。
と言いたいのです。

人間も「自分自身になる」ということ。
これでいいのです。
何かに遠慮しすぎないことです。

「何か?って何よ?」って感じでしょ。
フン!!

最近、みのり。
ブイブイ言いすぎだな(w)

早く旅行に行きたいね。写真は、ベトナムのハロン湾

旧フルフィルメント瞑想で使っていた、
女神のマントラは、
自分自身で在る事を、
まだ知らない人間よりも
肉体の有無を、退けるほど個性的ですよ。

神意識の象徴ラクシュミ(吉祥天)
という女神の絵は、
宝石をじゃらじゃらつけて、
派手に着飾っていますよね。
これもぼーっと見てちゃダメ。
神意識という、
人間が到達しうる意識の状態を表現しています。

派手じゃなくて、
欲深いじゃなくて・・
繁栄と豊かさの女神だけに、

宝石の中の神の知性と繋がってるから、
ふさわしいものを、
身につけてるだけなのです。
ラクシュミの普段着が、
ドレスに宝石なのです。

瞑想者とは、
エゴを断ち、欲を断ち、
こうあるべき という、
頭で考えた瞑想者の姿に囚われるのではなくて、
内側から動いてくる静寂からやってくる
「動く空」の衝動と、流れていきます。
そうすれば、必ず、
外側の世界に好奇心が向いていくはずです。

自然の美しさであったり、
自分の仕事であったり、
人様の仕事であったり、
それによって形作られた
現象界の物質などですね。
神の知性と、人間の知性の融合です。

ここにまだ興味がむいていかない状態というのは、
「もしかして、自分の「空」がダイナミックに
まだ動いてないのかもしれないぞ!と、
悟りの旅の途中じゃないか?」と、
洞察する事です。

 

うって変わって・・
叡智の女神、サラスワティ(弁財天)は、
全然、違う個性を放ちますよね。

サラスワティの絵には、
いつもお供に白鳥を連れていますけど、
白鳥は、水面を優雅に、動く鳥です。
白鳥と湖の水面は、マインドの鏡の象徴です。
思考をしずめて、マインドの鏡をクリアーにし、
優雅に、空と現象界をつないでいき、
これが統一意識へとむかっていくのです。
これも、人間が到達しうる意識の状態を
表現しています。

神意識の状態は、
エゴが「大きな空」に
飲み込まれた状態から、
質を変えて、
空とともにあるエゴに変化している状態です。

瞑想してない人の話す「エゴ、我欲」
とは、全く違う質のものになっているのです。

「エゴや我欲を捨てろ!」と、
言ってる時点で、その人は、
まだまだ悟りの旅の途中なの。
それを言ってる本人が、
エゴや我欲を捨てる課題がある
というだけの話です(w)

 

だから、「空」の経験が増してくると、
この話を聞く必要なし。
自分自身の方が心の内側の体験は
超えているのだから。

エゴを捨てるとか、我欲を捨てるとか、
考えすぎです。

 

捨てる時は、
自然に捨ててるし、
自然に出る時は
「もうエゴの質が変化している」
が正しいの。

 

だから、何にも遠慮せずに、
自分自身でいることです。

新しいプログラムでは、
最初ステップである、
ラブ・マントラでも、
ブラフマン意識からスタートなので、
瞑想歴が長くなっていたら、
その自分をほめて、たたえて、
信頼して、静寂からやってくる流れに乗っていくのです。

 

いつも真理はシンプルです。
「何かが足りない」
から、瞑想を始めないように。

おさらいに、
伝統的な人間が到達しうる意識の状態を
順を追って書いておきます。

・起きてる時の意識状態
・夢見てる時の意識状態(睡眠時)
・寝ている時の意識状態
・瞑想してる人の意識状態(空の直接経験に限る)
・宇宙意識
・神意識
・統一意識
・ブラフマン意識
・クリシュナ意識

 

ではまた次回は、
発達する神意識の続きがかけるかな?
瞑想会のごはんの事を書くかもしれないね。
今回すっ飛ばしたけど、
神意識の前段階である宇宙意識と
天職の事も
またどこかで書いてみたいと思っています。

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