ガキまっしぐら

こんにちは
瞑想みのりです。

昨日は、
奈良も地震で揺れました。
まだまだ揺れそうね。
でも大丈夫。

地震が怖い人は、
朝、瞑想する時に、
「今日の瞑想を大地の女神に捧げます」と、
伝えて、瞑想しましょう。

では、
前回の続きです。

いなばの白兎の話は、
古事記の中のお話で、
お恥ずかしい話ですが、
物語をしっかり読んだのは、
今回が初めてでした。

でも、
それがかえって良かったと思います。

 

瞑想をする前に読んでいたら、
「話は知ってる」と思ってしまい、
深い意味も理解できずに、
終わっていたと思うのです。

帝国ホテルのラウンジにおいてある数少ない一般書は古事記

解釈は、あくまでも
瞑想してる私の感性、見解です。
これが正しい・間違い・・
という意味ではありません。

神話の中では、
何で白兎なのか?(人間じゃないのか?)
神様なのに、
性格が悪い神が登場するのはなぜか?
今日はこれを書いてみましょう。

 

白兎というのは小動物で、
成長していく意思があるけれど(白)
まだ発展途上の未熟な人間のたとえです。

人間は自由意志があり、
進化成長した時は、神を超える存在にもなるし、
(仏陀や阿弥陀・弥勒・タラ・観音などの仏様。
如来・菩薩と呼ばれる存在達の事)

 

反対に退化した時は、
兎なんて、カワイイものではありません。
畜生や餓鬼以下に成り下がる事も出来る存在なので、
人間でひとくくりにすると指し示す範囲が広すぎるので、
白兎を象徴に使ったのだと思います。

仏教曼荼羅図などを見ても、
神の上に唯一存在しているのは、
仏様です。

 

人間だけが「空」を経験することで、
神を超える事が出来る可能性を
持っている存在なのです。

 

神・精霊の世界は、そこが楽園なので、
どこか別の道に向かう理由がありません。
素晴らしい世界ですが、6つの道の中の
1つでしかありません。

 

また人間が生きる6つの道も死んでから、
経験する道の事だと思っていましたが、
そうではなくて、
今世に同時に存在しているのです。

私は、家電メーカーに
勤めていた事がありますが、
週1で旅行気分で飛行機で出張し、
お給料も出張手当も高く、
至れり尽くせりでした。

 

でも、そのかわりに、
他の家電メーカーとの競争、
ガス会社との競争、
正社員と派遣の間の競争は、
いつも身近で、
繰り広げられていました。
「サラリーマンの世界も、
阿修羅の世界(戦い続ける道)なのか!」
と、感じていました。
でも、阿修羅はまだいいです。

 

ニュースをつけると、
昔の出来事を理由に、
国や日本企業を相手に、
賠償金を要求してる人たちもいます。

同じく、理由もなしに、
年老いた親の年金や
国の補助を搾取し続ける人たちもいます。

 

これ、餓鬼の世界ですよね。
(無いと叫んで搾取する自分では生み出さない道)

 

瞑想して仏様の世界(悟りの世界)に行くはずが、
餓鬼の世界にまっしぐらみたいな人、
時にいますが(笑)

何か・・道を踏み外してます。

すべては、
生まれ変わった後に転生する世界の話ではなくて・・
6つの道は、今世に同時に存在しているのです。

ちなみに、餓鬼の世界の事を
「人からほどこしてもらって、
おいしいな〜快適だ〜夢みたい」と、
と思っていたら・・その夢は叶うでしょう。

来世には、アフガニスタン?
ロヒンギャ難民? 
どこかしら?

「夢が叶う」って・・そういう事なのです。
かわいそうな人ではなくて、
夢が叶った人達と見てあげないと。

理由なしの生活保護や、親へのたかり、
ニートを私がおすすめしないのはこのためです。

 

長くなったので、次回は、
神様なのに、
性格が悪い神が登場するのはなぜか?

これについて書いてみましょう。

​​明日日曜日は、伝授&瞑想会です。
楽しみにしてます!

次回の伝授&瞑想会は、11月14日(日)です。
(@奈良学園前)

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発達していく神意識2

こんにちは
瞑想みのりです。

オリンピックも終わりましたね。
無観客であったのが残念でなりません。
馬術もっと見たかったです。
フランスのオリンピックの頃には、
コロナも収束してるといいですね。

今日は、発達していく神意識の
つづきを書いてみたいと思います。

最初のステップ 
ラブ・マントラでの、
「分離感がなくなる体験」
について、書いてみたいと思います。
このマントラは、不思議なほど、
分離感がなくなるマントラですね。
喧嘩とか消えてしまいますよ。

「愛は世界を繋ぐ糊(のり)」とは、
TM瞑想のマハリシの講義の中での言葉ですが、
非常に 素晴らしい例えだと思いますよ。

神意識(例えば、旧マントラであれば、
プロスペリティや加速マントラなど)
でも分離感は、なくなりますが、
じゃあ、ブラフマン意識の分離感がなくなる体験と、
どう違うのか?

これは、体感としても、
大きく違うので、書いてみたいと思います。

神意識の状態は、
人間の5感覚が神のような精妙な知覚に変化して、
世界を見ることです。

視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚・この5つが変化します。
実際に受講生さん達の体験を挙げてみましょう。
(私の体験は沢山、過去ログにも書いてますからね)

●都市ガスのガス漏れに気づいた。
誰に話してもガスは出てないと言うが、
確実にガス臭いので、ガス会社に電話したら、
本当にガス管が、
劣化してて穴があいておりガス漏れしていた。

これは、嗅覚が神の知覚に変化していく体験ですね。

●土砂降りの雨が降ってきたので、
ベランダの洗濯物を取り込もうと思って、
ベランダに出たら、外は晴れていた。
雨が降ったのは、夢の中の出来事だったのかと、
その時に気づいた。
夢がリアルすぎて、現実と見分けがつかなった。

これは、触覚が神の知覚に変化していく体験ですね。

●欲しかった不動産を買う事になり、
銀行の融資もおり、売主との交渉も終わり。
契約成立を喜んでいたら、
売主が、心変わりして「売るのをやめよう!」
と言ってる事に夢の中で気づいた。

仲介業者も、売買が成立したので、
どんどん交渉を進めていたが
(私だけが、売り主が断ることを知っていて)
案の定、売主は、断ってきた。

これは、聴覚が神の知覚に変化していく体験ですね。

これらは、オカルトチックな話ではなく、
普通の人間の能力なのです。

最近、私は
「悟り」というものが、
普通の人間のあたりまえの体験として語られる時が
到来したのかなと感じています。

ブッダ(おしゃかさま)自身は、
自分の事をブッダとは、
決して言わなかったそうです。

(ましてや・・崇(あが)めてほしいなんて、
これっぽっちも思ってなかったと思いますよ)

ブッダの意味は「目覚めた人」の意味ですが、
周囲の人が「目覚めた人」と呼んだだけで、

おしゃかさま自身は、
自分の事を「タターガタ」と呼んだそうです。

タターガタは
「ありのままのものを、ありのままに見れる人」
の意味で、
おしゃかさまは、悟りとは、
「人間の普通の状態だよ」と言いたい訳です。

同じく、
ヒマラヤのヨギの伝統の中では、
脳の色んな領域を使っていくことを、
「シッディ」と呼んでいます。

「シッディ」は、超能力と訳されてしまいますが、
違う違う。ヨギが訳すると「超普通の能力」を意味します。

脳の使ってない箇所が、まだまだ沢山あり、
「ありのままのものを、
ありのままに見れていない状態」なので、

それを普通に使っていこうね!と
いうのが、瞑想の「空」の経験です。

だから、普通の事として、
上記のような知覚の変化が誰にでも起きてくるの。

悟りとは、世界は、何も変わりません。
自分の認識が変わることです。

曇りだらけの歪みだらけのメガネをかけて、
世界を観ていると、
世界は、曇りだらけで歪みだらけです。

悟りは、黄金の眼鏡から世界を見ること(神意識)
虹色の眼鏡から世界を見ること(ブラフマン意識)

人が自分と同じ世界を観てると思ったら、
とんでもない大間違い(笑)

瞑想者は、世界と、よろしくやってるよ!

長くなったので、本題に入れないままに(笑) 
また続き次回書きますね。

 

この月曜日は、
FBグループで無料のオンライン瞑想質疑応答あります。

9月の伝授&瞑想会は、
9月12日(日)ですね。

瞑想みのりサイトはこちら

瞑想「空」の経験は一生のお友達

こんにちは
瞑想みのりです。

今日は、
瞑想初心者の方の伝授でした。

瞑想の一番のコツは、
初心者こそ、
最初から続けられる瞑想を選ぶ事。
これに尽きると思います。

「瞑想が続いたことがないんです!」
って言う人いますけど、
そもそも、最初から続かないような
瞑想を選んでいるだけだったりするのです(笑)
瞑想「空」の経験は・・
一生のお友達ですよ。

 

人はメリットがあることしか選ばない生き物です。
忙しい現代人が、瞑想に時間を割くからには、
そこから、何かの恩恵を得ることが出来なければ、
続ける意味合いが感じられなくて、
辞めてしまうでしょう。

本当に瞑想することで、
容姿や性格が変わったり、
頭が冴えたり、
感性が豊かになったり、
仕事の能率があがったり、
いつも平安から行動できたり、
効率的に身体が深く休んで、
活動に回せるエネルギーが増えたり、
などなど・・・
心の深いところ「空」から作用する瞑想を
選ぶ事ですね。

今日のランチは、
根菜を使いました。

レンコンは、大きな穴が空いてますけど、
これに似ている身体の部位は、気管支ですね。

だから、レンコンは、のどや
気管支を整えるのに良いとされていますね。
喘息の人は、特にれんこんの節のところ。

でも、レンコンも色を白くするために
普通に・・漂白剤が使われていたりして、
それが実は喉に悪いの!

だから、レンコンは色が汚くてもいいから、
漂白してないものを選びましょう。

今日のレンコンは、自然食品店で買いましたが、
なにげに白すぎて、ちょっと気になってます。
むむむ・・って感じ。またお店の人に聞いてみよう。
聞いてわからなかったら、お店を変えよう!

次回の奈良@学園前瞑想伝授&瞑想会は
9月12日(日)です。誰でも参加できます。

 

次回のFBグループ
オンライン質疑応答&瞑想ライブ(無料)は、
8月16日(月)21時〜です。誰でも参加できます。

https://www.1satori.com/

神鳴りのように竜巻のように・・

こんにちは
瞑想みのりです。

奈良の大仏

この間、
オンライン質疑応答&瞑想ライブをしました。
瞑想歴が4年から10年超えてる人が多く
10名の方が参加されました。

一番新しい人達でも、
ブラフマン意識の経験をしているのですね。
神の知覚が、目覚めて、空間に透けて通る体験です。

 

私も皆さんの体験を聞いて、
凄いな〜と思いましたし、
嬉しかったです!

「透けて通る・・」を別の言い方をするとしたら、
自分のエネルギーのフィールドが、
宇宙に(世界に・空気中に)拡がり、
目覚めているということです。

瞑想は、リラックスして始めます。

ブラフマン意識になると、
自分の身体の輪郭をしっかり感じるというよりは、
その輪郭が消えてしまうような感じで、
瞑想を始めていきましょう。

手のポーズとか、
アグラとか、どうでもいいです。
私は、昔から・・
手のポーズにこだわったり、
背筋をしっかり伸ばすとか、
身体のスタイルにこだわりすぎる瞑想は
しようもないと思ってました(笑)
今も・・思ってます。

「身体を超えて意識が拡がっている」が、
正しいからです。

尾てい骨から上昇していくエネルギーを
クンダリーニと言いますが、
これも、身長160センチ足らず人であれば、
頭頂から尾てい骨の90センチ足らずだと思って
瞑想してる人が多いです。
肉体に囚われているのです。

クンダリーニはそこじゃない。
クンダリーニは龍や蛇に例えられますが、
自然現象の竜巻をイメージするといいです。
(あんまりお目にかかりませんけどね)

もっと分かりやすいのは、
夏のカミナリです。
カミナリは、神鳴りとは、よく言ったもので、
天から地に電流が走りますけど、
瞑想してる人は、
あれが、自分の背骨だとイメージするくらいで
丁度いいです。

雲を脳に例えると、
雲の合間(松果体)から、
私達の知覚を変化させるソーマと
呼ばれる若返りのホルモンが生成されて出てきます。
(これは「空」を経験する瞑想に限ります)

ソーマは、瞑想中、内なる目で見るときは、
乳白色のクリームですが、
この体験が増していくと、磁気的傾向が強くなり、
まさに神鳴りの電流のようです。
「天から大地」これが私達の意識の
フィールドだと思ってください。

タラ・タントラ使っている人も同じです、
赤タラで上昇し、白タラで降りる。
赤で雲まで、突き抜けて、
白で降りるは雲から大地まで突き抜ける。
自分の肉体からはみ出ている。こんな感じです。
これが私達のエネルギーフィールドです。

私達は、ブッダの事を「大仏」と呼びますよね。
これもぼ〜っと聞いてちゃダメ(笑)
自分の身に起きることです。
人間が到達しうる意識の状態を表します。
文字通り、目覚めた意識が・・大きいの。

奈良在住ですが、
奈良の大仏には沢山のインスピレーションを頂きます。
門から大仏殿まで、めっちゃ遠いのですが・・
これ、奈良が田舎だからじゃないのです。

大仏の仏像がブッダの身体じゃないもの。
薬師寺とか、長谷寺とかも全部がデカイですが、
これも意味するところがあるのです。
奈良は素晴らしいよ〜。

と・・脱線してしまいましたが・・

ソーマが大量に流れる体験を
ダーマ・メガ・サマディと呼びますが、
「ソーマの雨が大量に降る」という意味です。

神鳴りの後には大量の雨が降るように、
瞑想で起きる体験と自然現象は同じですね。

瞑想みのり

 

本当の悟り 統一意識の兆候とは?

今日は、瞑想の意識状態のお話です。

誓文祭のお食事

本当の悟り 統一意識とは、

瞑想中に経験する「空」の意識状態。
そして、瞑想から戻ってきた時の日常の意識状態。
この境目が無くなることです。
どこにでも「空」があることです。

 

受講生さんの体験がどれくらい進んでいるか、
一つの目安として、
私がみている事があります。

 

これは、瞑想中の体験として、
「何を受講生さんが話すか」ですね。
これが、統一意識の大きな、
判断基準になりますね。

 

瞑想を始めたばかりの人は、
瞑想日記をつけようとしますが、
私は、これは、
全然、おすすめしておりません。
日記付けるヒマがあれば
「日常に気を配れ」と、話します。

 

瞑想している30分
この時間内の体験は、
雑念だらけでも、
心地よくても悪くても、
どうでもいいのです。

 

そして、瞑想中は、
心のゴミ出し体験なので、
たいした体験は 起きてないので、
日記自体がつまらない事も多いからです。

 

瞑想は、心のゴミ出しなのですが、
この30分を2回 続けることで、
残りの23時間の質が圧倒的に、
変化していくことに意味があります。

 

瞑想をした事がない人や、
瞑想初心者の人も、
瞑想中の体験を上手に
話すことは出来ませんよね。
これは、経験がないし、
認識力がまだ少ないからです。

 

そして、悟りの意識状態 
統一意識を経験してくると、
これまた、
初心者の人と、同じように、
瞑想の体験を話すことが
出来なくなるのです。

 

初心者の人と熟練の人の話すことが
同じになってくるのです。

けれども、意識の状態では
もう天と地ほど、違いがあります。

 

なぜなら、
熟練の瞑想者の語る、空の意識は、
もう 瞑想中だけになんて無いからです。

 

夢の中、そして、
日常に瞑想の「空」体験が移動していくからです。

 

だから、瞑想の体験を聞かれて、
瞑想中の体験を話せなくなってきた時、
他愛もない、日常の話を瞑想体験として、
話しはじめた時、
それが統一意識の兆候ですね。

みのりサイト

誓文祭での落語

 

「悟り」自己流では超えられない膜

今日は悟りについてのおはなし
正しい意味での(伝統的な意味での)
悟りの意味合いは

悟り=目覚めて世界を観ることです
私達が本当に目覚めた状態の時、
脳は100%使われていますが、
今現在、私達は脳全体のうち、
たったの5%程度しか使っていません。

どんなにいっぱい五感覚
(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を
使っていても、残りの95%が
ストレス(カルマ)で覆われた状態の
五感でとらえた世界を観ていることになり、
正しく世界を観ているわけではありません。

私達の 通常の意識の状態は、

1.起きている時

2.夢を見ている時 

3.寝ている時 

24時間のうち 
このどれかに当てはまります。

「空」を体験している
瞑想の意識状態というのは、
この3つのより良い面を兼ね備えた状態です。

起きている時より、マインドは冴え、 
夢見ている時より、雑念や映像の中でストレスを解放し、
眠っている時よりも、身体が休息している。
これが、
4.瞑想の意識状態 です。

自己流では、そんなに深く入れないので、
海の波のあたりで遊ぶ感覚です。
空を経験しているわけではありません。

瞑想を始めた頃は、
瞑想中だけにおこる意識の状態なのですが、
規則正しく 瞑想を続けていると、1.2.3.の 
日常のすべてに 瞑想の意識状態が(空が)浸透していきます。

瞑想の意識の状態が、日常のすべてに浸透していった状態が、
5.宇宙意識の状態 といいます。

この状態を「悟り」という人もいますが、
まだ宇宙意識の状態では、
脳の5%しか使われていないので 
「目覚めて世界を観る」ことが悟りとするならば、
私達の五感が変化していく必要があります。

そこで、ソーマと呼ばれる
私達の知覚を変化させるホルモンが
松果体から、大量に流れ出し、私達の肉体や感覚を変化させて
いきますと、宇宙意識の次の意識状態である

6.神意識 
7.統一意識  
といわれる意識状態に至ります。

フルフィルメント瞑想では、
最初のテクニックでハートマントラから
すでに、神意識や統一意識の状態をゴールとするように
ソーマの生成をうながし、感覚を変えていくしくみにデザイン
されている テクニックです。

なので、瞑想すればするほど、知覚が変化して、
感性がひらいていきます。

自己流の瞑想をしている人の多くが、
単に自己流の瞑想を長く続けていると、
いつか悟りが訪れる。
または宇宙意識の状態に到達すると思っています。

歴史的にみても誰一人として、
瞑想の体験なしに悟った人はいません。
ですから、ある意味で悟りに重点をおいた場合に
瞑想を はじめることは、正しい選択ですが、
厳密にいうと、「空」の体験なしに 悟った人はいないのです。

「空」(一元の世界)と 何かが創造されて出てきたもの、
物質や想念や事象(二元の世界)その狭間には
ギャップといわれる創造主(空)でも
何かの創造の産物でもない遊びの空間があります。

マントラがあるのは このギャップのあたりです
ギャップの上には薄い膜があり、
その膜が「空」(一元の世界)
と創造された産物(2元の世界)を
分ける境界線でもあります。

瞑想にも色々あって、
この膜を突き抜けて「空」に到達するだけの
パワーがないと、どんなに長年続けても
それはただ単に思考をたどっているだけにすぎす、
悟りどころか宇宙意識の状態にすら、
達することも出来ないのです。

けれども、この膜に たった1ヶ所でもいいから 
針の穴ほどの大きさの穴を開けることができれば、 
空が日常に浸透していくことができて、
そこから宇宙意識、神意識といった、
悟りへの段階のステップを
進んでいくことが可能になるのです。

みのりサイトはこちら