楽しみながら達成しよう

長い間、ブログ更新しておりませんでした。
海外在住の姪っ子が就職が決まりまして、
働きだしたら、当分、遊びに来れないからと、
日本に遊びにきておりました。

京都や有馬やドンキホーテを
旅しておりました。

 

大手の旅行会社に就職が決まり
「面接、落ちる気しなーい」と話してましたから、
こういう自信はどこから来るのかな?と、
不思議に思っていたら、

 

今回の就職が夢への通過地点で、
将来は、中近東の某所で働くという夢が、
明確に決まっているのです。
だから、あたりまえのように、
通過地点を通るだけなのです。

小さいながらしっかりしてますね。
夢を持つというのはとても大事なことですね。

そして、夢を持ったら、
そこに向かって楽しみながら達成していく。
これも大事です。

楽しみながら進めないとしたら・・
何かがおかしいと思ったほうがいいですね。
夢を叶えるのは楽しいはずだから。

またぼちぼちと、
瞑想のこと書いて行きます。

 

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悪役

お盆らしく、数年前に亡くなった母の話です。
ある日、私は、悲しい出来事に遭遇し、
気持ちが折れてしまい、
数年前に亡くなった母に逢いたくなりました。

物理的な肉体は もうない訳ですから、
「夢で逢えたらな~ 」と思っていたら、
なんと、夢に出てきましたね。

それがマンガみたいな夢でね。
幽霊のように頭に白い三角の布。
白い着物の母です。

赤土の平地に私がいて、
母が崖の下のような平地から、
私の事を呼んでました。

どうも設定としては、あの世とこの世みたいです。
臨死体験のドラマだと、あの世からご先祖様が
「まだこちらに来ては いけないよ~」と優しい声で、
諭して返す設定ですね。

ところが、うちの母の場合は
「みのり早くこっちに来なさい」って
手招きして、
何故かあの世に行かない私が、怒られた(笑)

手を繋ぎたい気持ちと、
あの世に引きずるこまれる予感と両方で、

「ママーちょっと待っててー」 とかいいながら、
引きずりこまれないように、この世にある大木と自分の胴体に、
命綱をくくりつけて、手をつなぎに行く夢でした。
手をつなぐところで、目が覚めたんだけど・・・

目覚めた瞬間に朝からケラケラと、
笑ってしまった。
悲しい気持ちも吹っ飛んだ。
あの世に、実の娘を呼ぶ母も母なら
「引きずり込まれてたまるか」と
命綱つけて、手をつなぎに行く娘も娘だなと・・

生前は 理解に苦しむことも多々ありましたけど、
死んでからも、
これだけキャラクター的に面白い人って、
私はこの人の娘でよかったな~と思いますね。

それと同時に、この夢から理解した事ですが、

「人生は幻想。映画のようなもの」
とよく言いますけれどね。
寝ている時の、夢が幻想であり、
その幻想の中でも母が悪役を演じているように、
人生という舞台の上でも母は「悪役、汚れ役」を、
沢山、演じきったんだなと・・・

本物の映画の中では
悪役を演じる女優や男優に向かって、

「どうかその役を辞めて下さい」
とは決して言わない。

「リアルに演じきって下さい」と、
要求を出します。

けれども、
人生という舞台に
役割を持って登場してくる存在に対して、
気に入らない時は、

私たちは監督でもないのに
「どうか、その役を降りて下さい」と 

結構、言ってますね。

生前は母の振る舞いを変えようとして
衝突することも多かったです。
「人生は 幻想。映画のようなもの」
こんな言葉はこの業界にいたら、
耳にタコが出来るほど聴いて知ってます。

本当にこの事の意味を、私が理解できたのは、
母が「空」の静寂に溶けて2年経過した
この面白い夢を見た経験からなのです。

彼女は最初から、ただの「静寂」だったのですね。
それでいて、悪役、汚れ役を見事に演じきった
いい女優でした。
これだけが真実です。
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瞑想への想い

今度、瞑想のアップグレード
ティーチャーコースがあり、
関東に出かけます。
その関連で、自分が書いたブログを、
整理するために、
全部、読みなおしておりました。

 

そしたら・・なんか、
この瞑想に自分が、
また惚れ込んでしまったの。

 

今日も受講生さん達と、
瞑想会で話していたのですけど、
ほんと、起きてくる体験も
心や身体の変化も素晴らしい!

 

新しいマントラについては、
使い方が違うので、
別の可能性を感じていますけど、
新しい方が優れているという
意味ではないです。

 

なので、
瞑想会もフルフィルメント瞑想の方も、
通常通り、参加出来ますし、
伝授も当分は、今まで通りで大丈夫です。

そして、ブログを読み返していて、
感じたのが、
特にタラ・タントラについての想いです。

 

タラ・タントラとっても、
好きなのですけど、
使っている間には、
辛いことも多かったです。

 

タントラは、
方向性のあるエネルギーです。
命令した方向に向かっていくエネルギー。
通常のマントラとは使い方が、
異なります。

 

特に、私の場合は、
子供が欲しくて、
パートナーを変えるという
大きな決断が起きてきたのも、
タラ・タントラです。

 

新しい彼は、
子供を得ようとする事は、
真剣になってくれてました。
カウンセラーですから、
話し合うことも
しっかり時間を取ってくれる人でした。
全然、瞑想しないのに、旅先だけでは、
思い出したように突然、瞑想する人でしたね。
しかも、金タラです。
(勝手に、出てくるみたいですね)
不思議だなと思いました。

 

子供は結局、年齢的に諦めましたけど・・
すると、また新たな展開に、
向かわないといけないわけですね。
それが私にとっては、
辛く悲しいことで・・

 

一番大好きだったのに、
タラタントラが
使えなくなってしまったのです。

 

何を信じて動いていけばいいのか?
どこに向かえばいいのか?
全く分からなくなってしまったのですね。

 

そして、これだけの事が起きていながら、
年月にすれば、たったの4年ほどしか
経過してなかった事もビックリなのです。

 

最近、また新しい方向に向けて、
人生を創っていくわけですけど、

 

これだけの事が起きてるのに、
性懲りも無く、
私は、新しい道を、
また、タラで渡りたいのです。

 

こんなズダボロになりながら、
またタラで・・って、

 

自分に、呆れてものが言えません。

 

けれども、
これがタラの魅力なのだと思います。
一番好きなテクニックに、
タラをあげる受講生さんが多いです。
私も、そうだな。

新しいテクニックが入ってきたとしても、
タラ9月から教えよう!
だって、教えたいもの!

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小さい自分の延長で、未来の物事をみないで

天神祭

タイの宿泊瞑想の時、
私が一番、感銘を受けた話です。

TM瞑想の 創設者マハリシの話でした。
マハリシが グルデブの弟子だった時、
グルデブはインド中で有名で、偉大なマスターでした。
グルデブのそばには優秀で、地位も高く、
エリートの素晴らしい兄弟子たちが沢山いました。

そんなことで、マハリシは肩身が狭く、
グルデブの傍で講義を聴くことも
出来なかったそうです。

だからマハリシはグルデブの身の周りの世話、
掃除と雑用係をしていたのです。
そして、悟りを得ました。

掃除をしていた時のマハリシは 
まさか後々、
自分が創設した瞑想が世界的に拡がるとは
想像さえしてなかったのですね。
「僕なんて・・大したこと無い」と思っていた訳ですよ。

私達、人間は今の思考や感じてる事の延長上に 
未来を予想してしまいます。
瞑想の「空」の経験が 
どれだけ人間の可能性を拡げるのかは 

考慮しないで、未来を予想してるのです。
非常に 面白い話です。

私が瞑想を始める前もマハリシと
全く、同じ事を思っていました。
「私なんて 大したこと無い」と、
自分の可能性や創造力には 
気づいてないのです。

実際に経済的な事では、
両親の保護なしには 生きていけないと 
思い込んでましたし、
仕事の事で悩んでいて、辞めたかったけれど、
私になんて、次の就職先は無いから
我慢してしがみついて生きるしか無いんだと、
思い込んでましたしね。
(どんだけ 弱いんだよぅ)

月日が流れ、今現在。
父の面倒は私が見てますし、
何かあれば、甥っ子も姪っ子も
引き受けようと思ってるし、
結婚するとしたら、
何かあれば、その人の子供や親も 
全部、引き受けようとさえ思ってますね
(どんだけ 強んだよぅ)

瞑想していると、
未来は「よい意味」で「わからない」のです。
自分の中からどんな可能性や創造力が登場するか謎なんです。
だからせめて、
今の小さい自分の延長で、未来の物事を見ない事ですね。  

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ビジネスの話ができない人に瞑想を習ってはいけない

この間、ネットで検索していたら、
「ビジネスの話をする人に瞑想を習ってはいけない」
こんな見出しを見つけました。

はぁ?
私、瞑想教えてますけど、
ビジネスの話、大好きなのですね。

私から言わせると、

「ビジネスの話ができない人に、
瞑想を習ってはいけない」 

なのです。

瞑想のゴールは、
空を経験することではありません。
自己流や伝統に繋がらない瞑想では、
空を経験するだけで、20年30年かかります。

空を経験することが、
スタート地点になる瞑想でないと始まらないのです。

その上で、この空の経験が、
最終的には日常に反映すること、
これがゴールなのです。

「空が日常に反映する」とは、
簡単にいえば、世界のすべての中に、
愛を見つけることだと思うのですね。

世の中のビジネスの中に、
愛を見つけることが出来てない時点で、
その人の話してる瞑想の質や、
瞑想で起きてくる日常の認識力が浅いのです。
だからそんな人から習っちゃダメなの。


私達が大人になるまで無事に成長できたのは、
誰かのビジネスで生かされてきたのです。
普通には、両親が働いてくれた事、
社会が支えてくれた事ですね。
愛だよ!愛。

自分は稼いでないから、奉仕だからって、
誇るような事じゃないのです。
ただ、税金少ない。
愛が少ない人って意味ですよ。

自分は出してないけど、
ご近所のお父さんが働いて出してくれた税金やら、
企業の払った税金を受け取って、
生かされてきたのです。

誰かが、ビジネス=働くという行為に
出したエネルギーが、
義務教育の学校とか、公園、
歩道橋とかに形を変えているので、
ほんと 分かりにくいですけど・・
愛以外のなにものでもありません。

今、沢山のビジネスマンが、
瞑想の習慣を持っていますね。
素晴らしいことですね。

売上あげる為の瞑想でも、
身体を休めるための瞑想でも、
徹夜して働くための瞑想でも、
欲望まみれの瞑想でも、
何でもいいと思います。
だって、愛だもの。働くという愛。
特に、父親の愛・社会の愛を認識することなのです。

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自分の深い望みとつながる

最近の瞑想では、
タラ・タントラを頻繁に使っていますね。
とても高度な具現化のテクニックです。
なぜ、高度なのか?

タラは高次の自分ですから、
気づいてない 本当の望みを持ってきます。
間違えてないのです。

それなのに、
自分に準備ができてないと、
ガラクタがやってきたようにしか見えないからです。

また、
望みでもないガラクタを、
本気で望みだと願っていると、
破壊されてしまいます。
本当にガラクタだからですよ。

タラの具現化は、とても面白いのですけど、
まずは、自分の深い望みとつながることですね。
これが、簡単そうで、
簡単でない場合があるのです。
本当の深い望みには、怖れが、
もれなく、ついてくるからです。

この間、カウンセリングに、
似たようなタイプの方が連続して来られたのです。
自分の深い望みと、
繋がってないような感覚がありました。

クライエントさんに、
これを感じたということは、
私の中に、同じような部分があるということです。

「私の深い望みは、なんだろうか?」
と、自分の中に問うてみたら、

ありえないような答えが返ってきました。

それは、自分がフン♪ と 
鼻であしらってしまうような事だったのですけど、
本当に深い望みでした。

ずっと、無視してきた望みというのか、
大人の私が、取り合わずに来たような
インナーチャイルドの望みでした。

インナーチャイルドとは、
脳の中の未熟な部分というか、
子供の部分ですね。

子供の特徴は、
視野が狭く、今しか見えてない、
怠け者だし、甘やかされるのが好きだし、
まさに子供なのですが、同時に、
とても純粋で真摯な夢を持っているのですね。

この望みを知った時は、
長い時間、号泣しました。

自分の深い望みというのは、隠して隠して、
見ないようにして、
無かったことにしているようなものほど、
図星なのだと疑ったほうがいいのです。

「これが私のやりたい事なのです!」
と、堂々と話した方ではなく、
人に突っ込まれて、
さささ・・と、はぐらかした事の方なのです。

そこだけは、ありえないから、違うからと、
無かったかのように振る舞って、
無視した事の方なのです。

例えば、

「異性には興味がない・・」って、
訴える人に限って、
本当の望みが、パートナーシップだったり。

「金(かね)になんて興味ないや・・」
って訴える人に限って、
本当の望みが、億万長者になることだったり。

「夫に養ってもらえて幸せ・・」って、
訴える人に限って、
離婚して世界進出だったり。

それくらいありえないと思うような事の方が、
本当の望みだったりするのです。

もう!びっくり仰天なのです!

ここまでしつこく書いた理由は、
それくらい、皆さん、隠してて、気づかないから、
そして、その事に気づいて欲しいからです。

ここに気づかない理由は、
望みと同時に、大きな恐れがそこにあり、
それを叶えるためには、
大きな責任と覚悟を決めないといけないからですね。
ずっと逃げていたいからです。

私は
瞑想で、この道を渡りたいなぁー。

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