心の鏡に何を映していますか?

今日は、クリシュナがツイッターおしの件。

これ書いてみたいと思います。

これは、何もクリシュナが
「ツイッターが良いよ」と
人間の会話のように
具体的に、
伝えてきてる訳ではありません。

こんな事を書くと、
「神様はしゃべらない」とか、
ムキになって、
言い出す人もいるかもしれないので、
それも正しいのです。

「そりゃそうだ!
しゃべらないと思っている 
あなたにむけては、しゃべらない(w)」

ただ、それだけの事です。

私に向けては、神様は時に、
しゃべるよ。聴こえるよ。(w)

 

「空」を経験する瞑想をしてる人は、
全く違う事を認識してるのです。
「神様はお友達」なのです。

 

神様と人間は、
大きく違うところがありますが、
似てるところもあります。
これは、今日、書くと長くなるので、
また追々。

 

1つだけ私が1番、
神様と人間の大きな違いを挙げるとすると、
肉体の有無よりも、
まずは、
うっとりするほど賢い。
知性的だという事。

 

こっちなのですね。

人間でも賢いなと思う人はいますね。
それは、思考的な賢さや、学歴であったり、
勉強する継続の力、集中力であったり、
良い習慣を持っています。
それは、素晴らしい事で、
私も人間の賢い人は大好きなのです。

けれども、神様の賢さは、
とてもクリアーで、
ずっと先が透けて見えている知性を備えています。

これは、
人間の中では、私は、
お目にかかったことはありません。
本当に探してもチョットいない感じなのです。
それで、神様が好きなのです。

神様という言葉に抵抗がある人は、
神様の事を「宇宙の知性」
と呼ぶと良いと思います。

それはそれは、
うっとりするような賢さなのです。

これは、
思考から来るものではなくて、
ハートの深くに在る仏性(ブッディ)と、
言われるもので、
すべての人の心の中にあります。

神という漢字は、
「示偏(しめすへん)に、申す」と書きます。
示(しめ)して申(もう)すもの。
これは、マントラの事ですやんかぁ!

 

長く瞑想してる
古代のヒマラヤのヨギ達には、
瞑想して、心の海に深くに潜る時、
マントラがきれいに整列して
存在するのが、見えたそうです。
(凄いですねークリアーだわ)

 

思考と私達が呼んでいるものは、
すべて「空」からやってきます。

思考の元をたどると、どこかから、
フツフツとやってきますね。

 

フツフツの源って、
どこなのか、考えたことありますか?
それは、すべての創造の源である
「空」から来ているの。

バナナは私のおやつです

「心の印象を映し出す鏡」の事を
マインドと言いますが、

多くの人は、瞑想を知らない時、
この鏡に、
外の世界に見えるものと、
「空」から浮上してきた
具体的な思考だけを映し出しているので、
鏡に映る印象を見て、
マインド=思考と呼んでいます。

ここから、瞑想して、
もっと心の海に深く潜る時、
今度は、この鏡に
感じる心であるハートを映し出していきます。
マインド=ハートに、
心の印象の質が変化してきます。

 

具体的な思考につかまって、
がんじがらめになっているところから、
「ちょっと待てよ。
いい感じがする。嫌な感じがする。
もう少し、様子を見てみよう」

こんな事を思うようになります。
心に多くの余裕が出てくる状態ですね。
瞑想する事で、心に余裕が持てて、
考える心と感じる心の違いが、
ハッキリ理解できるようになります。

 

そして、
ここからもっと心の海に深くに潜る時、
今度は、この鏡にハート深くの
神(宇宙の知性)を映し出すようになります。

ここまで来ると、
マインド=神(宇宙の知性)に、
心の印象の質が変化してきます。

この状態になるのは、
ある程度、瞑想によって、
マインドの印象を映す鏡が
「空」の無限の中で拡がっている事。
そして、この鏡が根深いストレスが取れて
クリアーである事。
これが、条件になります。

 

ここまでくると、実際に起きる事は、
自分の普段の思考に重なるように、
明らかに自分の思考とは別の
規模や発想の違う考えやアイデアが、
自分の中から浮上します。

この静寂の中からやってくる声に従って、
乗って動いていくような感じです。
私は、この体験を「神様がしゃべる」と
表現してますし、

固有の神様や
悟ったマスター達の名前にちなんで、
親愛の情を込めて、
クリシュナ・マインド、
ラクシュミ・マインド、
サラスワティ・マインド、
ババジ・マインドetc..と、
呼んでいるのです。
観音(タラ)からも色々教わります。

風や空気の中から聴こえる時は、
「静寂の声」と呼んでいます。
大地から聴こえる時は、
タイで有名な大地の女神にちなんで、
マザーアース(の声)と呼んでいます。

 

神様(宇宙の知性)は静寂の中に在りますから、
ベラベラとしゃべるわけではありません。

反対に、
人間が、ベラベラしゃべって、
頭の中がいっぱいで、
具体的な自分の思考につかまっている限りは、
神様の静寂の声が、かき消されて、
聴くことが出来ません。
現代人は、考えすぎですし、
どうでもいい話を、し過ぎるのです。

 

まずは頭の中のおしゃべりをやめて、
自分の中に静寂を時間を持つ事から
始めていきましょう。

その時に、
神様の伝えたい事、
おしゃべりが聴こえるのです。

瞑想みのり おみくじ&サイトはこちら
(まだ作成中です)

さまざまな意識状態

瞑想みのりサイトのおみくじを
瞑想仕様に変更してみましたので、
そのお知らせです。
そして、
旧マントラを愛用されている方にむけては、
おさらいで、
様々な意識状態のお話をしてみたいと思います。

自分が今、どの辺りの意識状態の経験をしているのか、
自分の瞑想の体験と照らし合わせて、認識する事。
これは、皆さんが思う以上に、とても重要です。

なぜなら「ちゃんと瞑想できてるのだろうか?」と、
たよりなげに瞑想する人と、

「ああ!今、
私が経験している体験は、

神意識の体験だったのか! 
統一意識の体験だったのか!」と、
理解しながら瞑想する人では、
そこに年月が積み重なる時、

あきらかに、見た目や、
日々の行動に変化が起きてくるからですね。
前者は、瞑想しているのに、
たよりなげな印象が出てきますし、

後者は、
「瞑想がちゃんと作用しているんだ!」と、
安心しながら瞑想してるので、
落ち着きや安定感が出てきますね。

 

おみくじは、
1回開く度に出てくるメッセージが変わります。
おみくじ以外にも、瞑想してる人が開くと、
自分の今の瞑想の体験がどんな意識状態なのか、
認識力が深まるようなメッセージも入れています。

新しいサイトでは、
旧フルフィルメント瞑想のマントラは
教えない方向性になります。
旧フルフィルメント瞑想は、
人間が到達しうる意識の状態が、
それぞれのマントラに応じて、
起きてくるので、分かりやすくて、
私は大好きでした。

「空」を経験するまでは、
私達、人間が知る意識状態は、

起きている時の意識状態。
寝ている時の意識状態。
夢を見ている時の意識状態。
この3つしか知りません。

ここから「空」の意識状態は、
この3つの長所を兼ね備えた
意識状態を経験するようになります。

 

起きているときより頭が冴えて、
寝ているときより、深く休息していて、
(睡眠中の)夢を見ている時よりも
ストレスを解放している状態を、
毎日、経験しますね。

実は、この先が、
瞑想者には用意されています。

 

例えば、ハート・マントラであれば、
初心者の人でも、
1ヶ月程、瞑想を続けていると
「世界を離れて目撃してる」こんな経験をします。

これが、悟りの第一歩。
宇宙意識の状態です。
簡単には、感情的、思考的に、
外側の世界に巻き込まれなくなりますね。
人生に起きてくることに、翻弄されなくなるのです。

次のステップのプロスペリティ・マントラでは、
現象の世界から、
自分が望むものが引き寄せられてくる感覚がありましたね。

ただ世界を目撃している状態から、
今度は、松果体からソーマが沢山、生成されます。
ソーマが全身を流れて、そこに年月が経過すると、
磁気的波動を帯びてきて、身体の内側だけでなく、
外側の世界にも伸びていきます。

ここまでくると、
ソーマからシャクティと呼び名が変わります。

ちょうど、仏像の千手観音像には、
手が千本あり、
それが外側の世界に広がっているように。
仏像も「人間の到達しうる意識の状態」を
表しています。

だから、
ぼーっと見てちゃダメ。
「あっ!自分の身に起きてくる状態か!」と、
体験と照らし合わせるの。

 

簡単には、
磁気的(引き寄せられる)現象が起きます。
自分のハートの中にある知性と、
現象世界の物質や人の中にある知性が引き寄せられてきます。
本格的な神意識は、加速マントラからですが、
もっと私達の五感が神のように精妙になってきます。
(今回は省略しますが、神の知覚が、
人間に起きる時、最初は、とてもとまどいます)

世界が近くなり微笑みかける。
色んな縁がつながってくるし、モテるようになるし、
営業や店舗の仕事の人は、売上が上がったり、とにかく、
引き寄せられるし、知性どうしが引き合わないものは、
去っていく。こんな経験。

 

ウィズダムマントラは、
今度は、ハート(感性)ではなく、
マインド(思考)を扱います。
プロスペリティマントラとは、体験が大きく違います。
感情、感性を扱うときは、瞑想の体験が、
暑い。暑い。暑い。

 

思考、信念体系を扱うときは、
寒い。寒い。寒い。

赤と白。陰陽。こんな大きな違い。

そして、ハートとマインドが統合されていきますね。
そして、統一意識に向かうのが、
シュープリームユニティ・マントラですね。

この辺りになると、
「空」は瞑想の中だけで体験しません。
日常の中で体験します。

瞑想の日記をつけてる人も、
日記をつけなくなります。
だって「空」を瞑想中ではなく、
日常の中で見つけるから。

「瞑想の日記は意味がない」と、
私はよく話しますが、日常が楽しくて、
日記つけてる暇なんてないが正しい。

瞑想を長くしてる人のブログなどを見ると、
日常の趣味のことや仕事の事、
他愛もない日常の出来事を書いてるんだけど、
行間から「空」があふれているんですよね。
ハイ。それが統一意識の感じですね。

新しいマントラは、
宇宙意識、神意識は、
もうフルフィルメント瞑想してる人には、
当たり前の事だから、すっ飛ばすの(w)
ラブ・マントラの
ブラフマン意識からスタートです。

もちろん、
人間は、ストレスだらけの肉体があり、
時間の中に生きているから、
ブラフマンの経験が起きてくるまでに、
時間差があるので、日常の体験としては、
初心者の人でも
統一意識辺りからスタートになりますね。

新しいマントラでは、
宇宙意識の、目撃している意識状態とか、
あまり感じられないかもしれません。

もっと日常とつながっている感じです。
ブラフマン意識になると、
愛が日常の空間に透けて通っていく感じです。
愛は、宇宙(世界)をつなぐ糊のようなもので、
すべてを繋げていきます。
簡単には、分離感が消えるのですが、
そこに神の知覚が加わるので、
時間や距離は関係なく、
目覚めた意識が世界に透けて通っていきます。

この表現が、正しいかどうかは、
わからないけれど、
私が思いつく表現では透過性がある。
これが一番ぴったりきます。

そして、クリシュナ意識は、
クリシュナ・マントラですね。

多くの人が
「何を深刻に考えていたのだろう、
悟りってこの事か!」と、
自分で勝手に理解を始めるし、
クリシュナの楽しいダンスに遊び、
多次元の自分を発見します。
究極の悟りの状態がクリシュナです。

「こんな長い文章、だれか読むのかな?」
と思ったけど、
大事な事なので、書いてみました。
皆さんの瞑想を続ける励みになればな〜と思ってます。

瞑想おみくじは、
サイトの私のイラストをクリックで登場します。

クリシュナの多次元宇宙

こんにちは
みのりです。
新しくなった神戸三宮駅に行ってきました。

新しくなった神戸三宮駅

 

まだ瞑想のサイトが出来ておりませんが、
すでに伝授の予約が
7月もNEWクリシュナ・マントラで入っております。
そんな事でLINE@も迷う事なく、
瞑想の事、書いていきますね。
瞑想のサイトも心理学のサイトもしばらくお待ち下さい。

息を吸って吐くのと同じくらい、
神様と一緒にいる私が・・
神様なしの世界は、
それがどんなに有効であっても、
息苦しいのです。

子供の時から、
自分の一部のように、
沢山の魂の記憶があった私は、
それらが、全部「思い込みや、妄想や空想」
とされてしまう世界は、
それがどんなに有効であっても
息苦しいのです。

もともと、
私は思考の人じゃないから。
ハートの人だからね。

愛を定義する事が有効である事も知ってます。
でも、愛は定義じゃありません。
ブッディ(仏性)と呼ばれる知性を備える。
ハートに宿るあたたかい無尽蔵の力の事です。

愛を知らない人は、
お願いだから!瞑想をしてください!

私が心理学を辞めて、
瞑想に戻るわけじゃないのです。
クリシュナは、そんな事一言も言ってないです。
自分が欲しいものは、全部、取るのがクリシュナです。
「身体を分けて踊ればいいだろ?」ってのがクリシュナです。

クリシュナの有名なお話ですが、
クリシュナが、村の1人の女の子と踊っていたら、
他の女の子も次々に踊りたいと言い出したの。
そこで、クリシュナは、
瞬時に自分の身体を5つに分けて踊った。
こんな話があります。

フルフィルメント瞑想(ELM瞑想)をしている人達は、
これを単なる「神様のおとぎ話」と思って、
ぼーっと聞いてはダメですね。

この話は、
「人間が到達しうる意識の状態のお話」でもあります。
ここを、しっかり捉えることです。

いつも話しているように
「瞑想は体験と同時に 
起きてる事に対する認識力が重要」なのです。

このマントラを使うのであれば、
神様やマスターのおとぎ話は、
「自分の身に起こる事」と捉えましょう。

起きてる事に対する認識力がない時、
チャンスを逃すし、
クリシュナのダンスについていけないのです。

クリシュナマントラは、
瞑想(静・心の中)と、
それによって起きてくる
クリシュナの華麗なダンス(動・日常の中)
これに、どれだけついていけるかが鍵になります。

この間、
初めてクリシュナマントラの伝授を受けた時に、
乗馬クラブに入会したことを書きましたが、
私が、自分の身体を、
神戸・東京・上海・福岡・北海道・・・
クリシュナのように分けた事が重要なのですね。
その後、
名古屋と沖縄、岡山でも定期的に瞑想を教え始めて、
全国展開になったの。
これが現実に出現するクリシュナの多次元宇宙です。

今回は、私が年齢も高く、
こんなに沢山、身体を分けることを私自身も、
望んでないのでしょう。
形を変えて、
欲しい物を全部、取りに行くことに
身体を分けるようにクリシュナが出現するみたいですね。

恋愛する私。
料理する私。
投資する私。
瞑想教える私。
心理学教える私。
こんな多次元宇宙が出現するみたいです。

さてさて?
皆様にはどんなクリシュナが出現するのでしょうか?
楽しみですね。

クリシュナ意識は
「究極の悟りの状態の事」だから、
ただ楽しむ事です。

 

自分の身に起こる事に、
自分が動いていくだけなのですが、
「クリシュナの実力を、クリシュナの知性を、
見せていただきましょうか?」と
愉しみにしている私がいるのです。

まだサイトが出来てないので、解説も何もありませんが、
瞑想のスケジュール掲載しておきます。

みのりプロフィール

また遊びに来たクリシュナ

みのりです

いい思い出になりました

このGWは富士山のふもとで6日間
クリシュナマントラの瞑想をしておりました。

クリシュナに呼ばれるような感じで、
何故か突然、
思いっきり瞑想したくなり参加しました。
サイレンスと呼ばれるもので、
ホテルの1人部屋で瞑想するのですが、
想像以上に
気づきの多い有意義なクリシュナ瞑想でした。

私は、1日目に身体が寒くて寒くて凍えており、
暖房をつけて瞑想していました。
瞑想では、身体が、寒い時は、信念体系や、
思考の解放をしている時で、
これには、
おおいに心当たりがありました。
この4年程、
瞑想から心理学の世界に入っていたので、
思考の使い過ぎですね。
リリースする必要がありました。

そして、
初めてクリシュナマントラを
受けた時の事を思い出しました。
18年ほど前の事です。

クリシュナは遊びの天才です。
クリシュナの伝授を受けると、
多くの人が大胆に遊びたくなりますね。

私も遊びたくなって、
当時、
明石の乗馬クラブに入会する事になりました。

そしたら、
クリシュナから、
「同時に北海道と福岡の乗馬クラブにも入って遊ぼう!」
と衝動がやってきました。

私は、このクリシュナの壮大な発想にドン引きしながらも、
その衝動に従って、思い切って福岡と北海道の
乗馬クラブにも入会しました。

そこから北海道と福岡での瞑想会と伝授が始まります。
まだ誰も瞑想の先生がこの地域に登場していない時でした。
最初は0人から3人5人10人15人・・と人が増えていきました。
誰も人が集まらない0人の瞑想会を会場を借りて行うのは、
狂気の沙汰だと思いましたが、乗馬に行く目的があったので、
苦しい時も続けることが出来たのです。

でも・・実は・・
クリシュナは遊びのようでいて、
うっとりするような知性を持ち合わせているから、
後々、瞑想に人が大勢、
習いに来る事を知っていたのですね。

もちろん私も乗馬するという遊びに見えて、
そこに瞑想を広めたい情熱があったなぁと思い出しました。

今回の瞑想体験は、
マインドはただの無機質なクリスタルのようなもので、
力がないって事がよく分かりました。
だからリリースされているわけです。

 

何をしていようとも、
「火の要素」
そこに「熱」があるか?ないか?
熱がない思考はどんなにためても、
ゴミはゴミなのです。

反対に何をしてても、
そこに熱があれば、それは形になっていくでしょう。

恋愛でも料理でも投資でも瞑想でも
心理学でもなんでもいいから、心をこめる事です。
これが熱(火の要素)です。

実はさっそくこの6月に
新しいクリシュナマントラでの伝授&瞑想会に
3名の予約が入っています。
新しいスタートがクリシュナから。
嬉しいなぁ!

私のサイト https://www.1satori.com/

 

指摘する愛

今日は、LINE@に頂いた質問から。
いってみよう♪

みのりさん はじめまして。
瞑想がきっかけで
ブログ以前から読ませていただいております、
興味深い記事をありがとうございます。

最近、印象的な夢を見ました。
怖い吊り橋をガクガクブルブルで渡りました。
渡った先のスペースには、王貞治さんがいました。
吊り橋を渡るひどい恐怖感を今も覚えています。
(※王貞治さんの印象は、野球を知らないなりに
偉大な人という印象)

チューリップ

お答え。
ブログ見てくれてありがと〜!

いい夢ですね。知性の夢です。
(ストレスの解放にみる雑夢とは意味合いが違う夢)
橋は、統合を表します。
王さんは、ご本人が「偉大な人」と話すように、
地道に物事を積み上げ、達成していく人物の象徴ですが、
自分自身でもあります。

あなたが、怖いと思っているものが、
裏返せば、実は・・偉大な王さんなので、
その部分とつながれ!と夢が伝えています。

おそらく、子供の時に、
父親が怖かったのだと思いますよ。
それで、今でも、父と同じように怖い人が、
苦手で、悪い印象を持ってしまうので、
感情の対処方法がわからないのです。

大人になった時に、理性脳の部分では、
お父さんの偉大な面も
受け取れるようになっていますが、
深層意識、特に感情面、子供心では、
「ガミガミ怒ってばかりで、怖い人、
ひどい人」と否定的に思ってる部分が
まだまだあるのです。

 

そして、
人が人を怖いと感じるのは、
エネルギーが大きく違う場合に感じると
いう事も覚えておきましょう。

相手が自分よりもエネルギーレベルが
高い場合に「怖い」と、感じるのです。
例えば、実際に、芸能人に遭遇したり、
有名企業の大会社の社長さんとか、
とびきり、レベルが違う美人とか
モデルとか見た時、
気軽に話しかけることが出来ませんよね。

これは、働いてる量の違い、
美や影響力の違いで、
怖いと感じるのです。
子供の時にお父さんに持った印象は
「力の違い」だったのだと理解することです。

もっと言うと、
この夢は知性の夢ですから、
日常的な、些細な悩みごとの後に
答えとして見てるのです。

例えば、
お子さんをガミガミ
叱らないといけない場面って、
時には・・ありますよね。

あなたの子供心が、
お父さんの事を、
怒ってばかりで、ひどい人だと、
深層意識でいまだに誤解して受け取ったままでいると、

自分(または夫)が
子供を強く叱った時、自分を責めたり、
ヒドイ事したと、

「自分の育児が間違えてるのではないか?」と、
自信を持てずに悩んでしまいます。

あなた(または夫)が、子供を叱らなかったら、
王さんのような偉大な事を成す人に、
子供が育たないのです。

王さんは、自分で自分を叱り、はげまし、
命令できて行動ができる人なのです。
だから偉大になれるのです。

時には「叱る。命令する。悪いことは悪いと指摘する」
これを愛だと肯定しておかないといけません。
成長することはやっぱ愛です!愛!

だから、何一つ、今の子育てに間違いはないのです。
(お父さんも怖かったのは、間違ってないです。
子供が成長してちゃんと出来るようになれば、
ただの優しいお父さんですよね)

この夢は、
「あなたは、子育てに自信がないけれど・・
何一つ間違えてないよ。自信を持て」と、
その事を伝えたいのです。

具体的には、イメージの中で、お父さんに向かって
誤解しててごめんなさい。と謝るのもいいですし、
自分の子供心にむかって、
「怖かったね。でも・・
命令したり、指摘するのがお父さんの愛だったんだよ」と、
何度も教えてあげるのも有効ですね。
みのりサイト

 

 

ドラゴンナイト

写真はドイツ上空

こんにちは みのりです。

20日は朝から
仙台の慈眼寺の護摩に行こうと思って飛行機も宿も
なんなら、牛タンも手配していたのですが・・
金曜日に護摩が中止になってる事に気づき、
急遽、仙台行きをキャンセルしたところでした。

そしたら、夜に東北の地震のニュースです。
私は日頃から「地震は(人間には)予知できる」
と断言してるので、

大阪の街と地震のこと
https://www.1satori.com/?p=6679

内側に静寂を
https://www.1satori.com/?p=8560

この間の福島の震度6の時は、
予知してないかとFBをのぞきに来てる人がいましたね。

多くの人が「また大きな地震が来るんじゃないか?」
「自分の地域は大丈夫だろうか?」と、
不安に感じてるのがわかります。

確かに震度5は怖いですけど・・
何も感じないから
仙台に行く準備をしてました。
ちなみにこの間の福島の震度6も
全く何の予感もありませんでした。
大地は平和です。
(実際に大きな建物の損害も死者も出てないでしょ)

ただ・・日本は地震の国です。
なので、
人間と神(自然の知性と呼んでもいいです)
の違いを理解しておかないといけません。
人間は自由意志があるから方向を変えられます。
「仙台行き辞めた!奈良にいよう!」
このような方向転換ができるのが、
人間の大きな特徴なのです。

でも神(自然の知性)には
この自由意思はありません。
自然の仕組みとリンクして、
一定方向にしか流れることが出来ないのが
神(知性)の特徴です。

山の神(固まる地の要素が強い知性)が、
河の神(流れる水の要素が強い知性)
に憧れても、方向転換する事は出来ないのです。

山が河に憧れて「なりたい」と言えば、
大きな自然の秩序が壊れるからです。
こういう全体の大きな取り決めのことを
「法」といいます。
ルールの事ですね。

 

相似形では、
人間の身体の中にも神(自然の知性)があります。
骨の神(固まっている知性)が、
筋肉の神(柔軟に動く知性)に憧れて、
なりたいと方向転換することがあれば、
それは死や病気を意味しますね。
骨は骨として、筋肉は筋肉としてあり続ける、
この働きが知性です。

人間は自分が方向転換できるものだから、
自然をコントロールしすぎて、
方向転換できない自然の流れを前にした時、
人間が動かないといけない事をすっかり忘れているのです。

人間は、頑張る事も時には必要ですが・・
地震や津波の時は、頑張ってはいけない。
さっさと動くが正しいのです。

 

東日本大震災から10年で、
海の前に高い堤防が出来ているのを
ニュースで見ました。
この場を去った人達には、
堤防は必要ないので、
これが、
そこに住む人達多くの希望であったのかもしれません。
私は、少しビックリしました。

 

大地の女神がいるとしたら?
「人間が動かないといけない事を忘れているだけだよ・・」
と、そう話すでしょうから。
だからイザという時は、
忘れないで、どこにいても、
人間が動いてくださいね。

そう言えば、
金峯山寺の護摩でクンダリーニが上昇しましたから、
その時に、慈眼寺は、
ハンパないだろうな〜と思ったんですね。

クンダリーニは龍です。
龍が暴れないように準備してから、
良き時期に慈眼寺、再チャレンジします。

みのりサイト