こんにちは
瞑想みのりです。
今年最後の瞑想会がおわりました。
瞑想会が終わった後に毎回、幸せを感じます。
幸せは理屈じゃなくて、ハートで感じるもの。
参加のみなさん ありがとうございました!
新年は、1月9日(日)
10時からはラブ・マントラの伝授と11時から瞑想会。
16時からは、ニューライフ・マントラの伝授で決定してます。
同じマントラの伝授であれば参加できます。
豚の角煮弁当
今日は、ラブ・マントラの夢の質問です。
ラブ・マントラは 本当に知性的ですね。
あまりに賢いので、うっとりしてしまいます。
そして社会性があります。
この世と関わる事が起きてきます。
日常(現実世界)、夢、無意識の世界(精神世界)
ここを知性の目をもちながら、
つなぐようにラブマントラのシャクティ(神通力)が
通り抜けていくのです。
私は夢の解釈をしますが、ラブ・マントラがあなたに
伝えたいことを通訳してるだけなのですね。
睡眠中の夢は、目覚めてない時は、
歪んでおりゴミですが、
目覚めた時は(悟りの意識状態では)
知性の塊ですよ。
(頂いた質問)
ロッククライミングばりの急な長い坂道を、
車で登っています。
私は後部座席に座っています。
車がひっくり返りそうな角度なので、
恐怖で下を見下ろすと怖いです。
それにも関わらず車は高度を上げどんどん登っていきます。
もうしがみついて乗っているしかないです。酷い恐怖です。
次の場面では、着いた先で順番が来て、
厳かな広い神社の拝殿の畳の上です。
ひざまずいて参拝をしているところでした。
参拝を終え、天気も良く帰り際の坂道で、
しまったー、記念に写真撮っとけば良かった!と、
咄嗟に思いました。
こんな場で不謹慎ね!と自分にツッコミを入れました。
(みのり お答え)
これは、知性の夢です。
アイデンティティ(存在証明)の変化について、
そして、今後の仕事(新しいアイデンティティ)
についての知性の夢ですね。
ラブマントラのシャクティ(神通力)は、
社会性があり、そこに先導していこうとしてます。
この人の漠然とした(悩みまではいかないけれど)疑問は
「私って一体、何者だろう???」なんですね。
我(エゴ)についての疑問です。
もしかすると、それを知りたくて、
瞑想を始めたのかもしれません。
そして、1つは瞑想を始めたことで、
答えを得ているのです。
その答えは「私とは、何もないもの(空)」
だと云うこと。
「空」は「真我」本当の自分の事ですから。
あなたの魂はこれに納得しています。
けれども、具体的な形のある現象の世界を
生きてるあなたは、もっと形のあるもので
「私は何者か?」の答えが欲しいのです。
これも1つは得ました。
子供を生み育てる経験の中で、
「私とは何者?」と聞かれたら、
「私は◯◯ちゃん◯◯くんのお母さん」という
アイデンティティ(存在証明)を得ました。
1つの大きな大役をなしとげたのです。
ここは、自分自身を褒めてあげましょう。
けれども、今、子供が大きくなってきて、
子育てが終わる時期が来てるのか?
未来に向けて、
このアイデンティティが
グラグラと揺らいでいるのです。
私は今後、
何を心のよりどころにしたらいいのだろう?
それで、もっと具体的な「私は何者?」の
証明が欲しくなってきているのです。
もっと社会に出ていき、それをつかみたい。
今は、何者でもない気がしてるので、
何者かになりたいのです。
「写真をとっておけばよかった・・」は、
「私とは何者か?」の はっきりした、
自分でも納得できる証明が欲しいことを示します。
だから残りの人生で取りに行きましょう。
具体的には・・
夢の中では、
後部座席に座っていますよね。
◯◯ちゃんのお母さん。
このアイデンティティでは、
後部座席でOKだったのです。
(ハンドルをご主人が握るから)
でも、自分が何者かになりたい今は、
しっかりハンドルを自分が握る必要があります。
知性は「後部座席から出てきてハンドルにぎれ!」と、
言いたいのです。
そもそも、
ハンドルを自分が握らないから怖いのです(笑)
簡単には、仕事であれば、
責任を持つというか、
主任、係長、責任者、正社員などなど、
とにかく役職として上に行けるのであれば、
それを恐れずにどんどん引き受けてほしいのです。
新しいアイデンティティをつかみに行くの。
今は、それが怖くて、
責任ある仕事が来た時、
「え〜!だって私は◯◯ちゃんのお母さんなのに!責任を持つの?」
と、終わっていくアイデンティティを、振りかざして、
言い訳に使いたくなっているはずです。
そしてその心の裏には、
「お母さんなのだから、責任持たなくていいでしょ。許してちょ」
みたいな逃げがあります。
この夢を見るということは、
実際に、仕事場で、役職がつくような、責任を任されることが、
起きていて、坂が急な事からしても、
かなりのプレッシャーに感じているはずです。
でも知性は「それを喜んで引き受けろ!」と言いたいのです。
坂が急である分、見方を変えると、急成長でもあるのです。
そして、もう1つ。
「夢の中では、写真を撮ればよかった」と・・
(私とは何者か?の具体的な証明がほしい私)
に対して「こんな場で不謹慎ね!」と
自分にツッコミを入れてますね。
この点は、エゴの捉え方を
変える必要性があります。
今まで、エゴ(私)とは「二児の母」という
子供のために自分を投げ出す。
これを長い期間やってきました。
「人のため・・なので、エゴは、
良いことをしてるような感じがあるから、
混乱しませんでした。
でも、この期間があまりに長かった為、
いざ、社会に出ることになった今、
自分を満たす事。自分の為に、
お金を稼いで使う事や、
時間を使うこと、
おしゃれして外出すること、
勤務中に美味しいランチすること、
こういう自分が満たされる事をする時、
すっかりやり方を忘れており、
まるで、自分を満たすことが悪いことかのような、
「ワガママではないだろうか?」と、
不謹慎という錯覚に陥るのです。
そうではなくて、エゴ(些細な自分の欲求を満たすこと)が、
社会(世のため人のため)を満たすことにちゃんと繋がるのです。
これを分かっててください。
こっちの方が健全なエゴなのです。
だから、エゴをワガママだと言って自分を裁いてはいけません。
将来的に、仕事を頑張って、
自分も納得する何者かになった時、
新しいアイデンティティは、◯◯会社の 役職◯◯さん。
こんな感じで、責任が重いからプレッシャーはあるけれど、
その分、自信を得るし、自分も誇らしいと思える日が来るから。
責任を持って、お仕事をがんばりましょう!
子供もそんな、自分も満たして、社会を満たす。
そんなお母さんの姿を見た時、わがままな人だなんて思いませんよ。
将来、子供が大人になる時、
社会と関わろうとするし、
自分の仕事に誇りをもちます。
だから、新しい社会の中で責任を取るお母さんの姿を見せましょう。
瞑想みのり