あっまた札束か・・

こんにちは
瞑想みのりです。

前回の続きですね。タラに具現化をお願いする時は、
「エゴは悪」という、思い込みを取り払って、
大胆にお願いしてみましょう。

どちらにしてもタラが軌道修正をしながら
具現化するので、困ったことは起きません。

タラはダルマ(自然の流れ)を教えてくれますし、
一歩先を教えてくれますね。
100歩先とか教えません。必ず自然な1歩先です。
ただ、その流れを信頼してついていく事は、
必要になります。

ある人が
「ありったけのお金を下さい!」と、
具現化をお願いしました。

そうしたら、ありったけのお金が出て行き、
無一文になったそうです。

これも「タラらしい体験」だと言えます。
このスケールや大胆さに慣れて欲しいのです。

お金の流れはシャクティの流れと同じです。
本当に入ってくる事を信頼していたら、
出ていく・・という流れも信頼して
任せられるはずなのですね。

でも、この流れが起きた時、
人は怖くなるのです。

私もお金を願った事がありますが、
同じような感じでした。
お金を願ったのに、反対の事が起きる。
おそろしいほど、
両親のためにお金が出ていく事でした。
「冗談じゃねぇ!」と思いましたよ。

願ったことと真逆のことが起きても、
それを信頼しましょう。
タラは、1歩先を教えようとしてるのです。

この出来事から、気づきも沢山ありました。
親孝行するって、本当に気持ちの良い事です。
親が元気でいてくれることも嬉しいですし、
子供の時は、親なしで生きれなかった自分が、
いつの間にか力を蓄えて返せるようになっていること。
こんな喜びはありません。自分の成長も発見します。
親が無償でしてくれた事も沢山、思い出しますよね。

 

これがタラの教えですね。ダルマです。
こういう色んな感情を味わう事含めて、
すべてが(お金が入ってくることに)
必要な過程なのですね。

しばらくして、
明け方、札束が落ちてくる夢を観るようになりました。
それもバラバラの厚みの札束です。
100万位の厚みだったり、300万くらいの厚みだったり、
500万位の厚みだったり、色んな厚みの札束です。
ばさばさと、束になって沢山、落ちてきます。

シャクティは、人間の5感覚を、神の知覚のように精妙に
変えていく働きがあります。
松果体から出てくるソーマがもっと発達した状態のことです。

5感覚(聴覚・視覚・触覚・嗅覚・味覚)が、
目覚めるのですが、特に触覚の目覚めについては、
大きいものがありました。夢が現実のようにリアルになるのです。

現実でもあり、夢の中でもあり、私は布団を
肩までかけてベッドで寝ていますが、
顔やおでこ、肩に札束が「ばさっ」と当たる音がして、
重みもあり、落ちてきて、顔に当たり、そのままバウンドして、
顔の横のベッドのソファーに、着地する夢です。

そして、
朝起きると、身体がガチガチに緊張しています。
私は、それまでは、見たとしても300万程度の
札束しか見た事がありません。
銀行口座の引っ越しで口座から出して見た程度でした。
だから、夢の中の大量の札束に緊張してるのです。

多くの人は「大金が欲しい!」と言いながら、
それを見たこともなければ、触ったこともないし、
それが本当にやったきた時、どんな気持ちになって、
どんな感覚が心や身体に起きるかすら知らないのです。

慣れてないというのは、
緊張でガチガチになり、受け取れるわけがないのです。

 

この夢は1週間、毎日続きました。最初の3日間は、
目覚めると、緊張で身体がガチガチでしたが、
3日過ぎたあたりから、少し慣れてきたのです。
「これ、タラにお願いしたからだな・・」と思ったので、
札束を受け取ろう、と思うようになってきて、
(受け取るより、許そう、慣れように近い感覚です)
7日目には「あっまた札束か・・」と、すっかり慣れていました。

そして、本当に私が札束に慣れた時、
外の世界で、この夢で起きた事は、現実になりました。
もう札束で驚く事はありません。
あるとしたら、1億円は見た事ないですから、
生きてる間に目指してみたいですね。

 

計算上では、
20年でも半分しか達成しないと思ってます(笑)
だから、こういう自分ではムリと感じるお願いは
タラにしてみるのは、良いかもしれません。
ここに沢山の学びがあるでしょうから。
面白いと思います。

 

タラの具現化は、私たちを諭すように、
手取り足取り、
具現化の過程を見せてくれるし、
沢山の教えをもたらします。

何をお願いして、具現化でどんな過程があったかを、
簡単に日記にしてみるのは良いと思います。
私は、瞑想の日記はお薦めしませんが、
タラの具現化については、メモしておかないと忘れてしまうので、
メモしておきましょう。

瞑想みのり

秋田竿燈祭り