こんにちは
瞑想みのりです。
今日もこの胡散臭いタイトルの
シリーズでいってみよう(笑)
胡散臭いけど・・
経験してないと書けないことですし、
瞑想の「空」の経験によって
おきてくる本当の悟りについて
真面目に書いています。
「空」を毎日、経験する瞑想を
正しい方法で続けていたら、
3年〜5年目あたりから、
じわじわと、
誰にでも起きてくる経験だと思いますけどね。
そして、目覚めると、
もう元には戻らないのです。
これは悟りの大切なポイントなので
見分ける方法としても覚えておいて下さい。
瞑想を続けている皆さんの
悟りを促すために書いています。
それを受講生さんの為にも、
言葉で残す人が必要だなと感じています。
悟り(目覚め)は普通の人間に起きることです。
もっと将来的には、それは、
多くの人に起きることだと思います。
それは瞑想の空の経験を、
日常に取り入れる人が増えていくから
という意味です。
今はまだ知らない人が多過ぎる。
悟りには、
「空」を直接マインドが経験する
瞑想をしていることが
必須条件です。
(空を経験しない瞑想では悟りは起きません)
では、まずは、
悟りの定義を明確にしておきましょう。
定義の違うものを「悟り」と、
呼んでいる事って時にあります。
これを避けたいからです。
例えば
「分かったこと」を「悟ったわ!」
と言うことありますよね。
でも、私が話しているのは、
「分かること」が「悟り」の
定義ではありません。
他にも、
覚醒体験。
これも 悟りでもなんでもありません。
私から言わせれば、
集客するためのエンターテイメント(笑)です。
覚醒体験は悟りではありませんので、
「悟り」の定義が覚醒体験する事
だと思っていると、
いつまでも本当の悟りに気づかず、
目覚めた能力を伸ばせず・・
悟りから遠ざかります。
私は、
真面目に、瞑想を続けている
生徒さんたちに向けて、
自分自身の身に起きてくることを、
書きたいだけなのです。
私の話す悟り(目覚め)の定義は、
伝統的な意味での悟りです。
悟りの条件は、ある一定量の、
根深いストレスの解放が起きていること
(肉体、魂、精神、感情レベル、
血液、リンパ、神経系統などなど・・)
簡単には瞑想の「空」の経験によって、
深い休息が起こり、
あらゆる面で、癒しがすすんでいることです。
だから瞑想の年月もある程度、必要です。
そして、
「空」を直接マインドが目覚めた状態で経験し、
「空」の無限の中で、目覚めた意識が永続的に拡大し、
人間の知覚に変化が起きている事。
これが悟りです。
おそらく、一番最初に悟りの経験は
睡眠時の「目撃してる意識」に気づき、
次には、自分自身の知覚の変化で
多くの人が知ることになると思います。
そして、悟り(目覚め)というのは、
一度、目覚めると、もう元には戻らないのです。
「覚醒体験は悟りじゃないよ」と話したのは、
それが、悟り(目覚め)であるなら、
元にどもらないはずなのに、
見事に、ただの凡人に戻っているからです(笑)
もっと毒舌を、ぶっこんでおくとしたら、
「悟ったぞ!」という
勘違いのエゴだけが残った凡人。
覚醒体験してそれが悟りだと言うのであれば、
その人にお願いしてみましょう。
「その同じ体験を、
1週間以内に再現してもらえますか?」
(翌日でも出来ないとダメ)
出来ないとしたら?それは悟りじゃないのです。
悟りというのは、再現性がある 目覚めた状態なのです。
私の経験している目覚めというのは、再現性があり、
明日、誰かに頼まれたら即「OK見せましょうか?」と、
見せる(証明する)ことができるようなものです。
(またこれは追々・・)
どれくらい再現性があるかと言われたら、
「目覚めなんていりませんから、
目覚める前の普通の人間の知覚に戻して下さい」と、
懇願しても戻れないくらい知覚に変化があるのです。
もう一度 言います。
瞑想をやめて「空」の経験を途中で意識的に
ストップしても戻れないくらい、
目覚めというのは再現性があるものです。
人間の一部の仕様が
今までとは全く違うものに変わってしまうのです。
青虫とチョウチョを例にすると分かりやすいと思います。
自分が目覚めた時は、チョウチョのようです。
そのチョウが
「私、飛ぶの怖いの。
地面の方が落ち着きますから、青虫に戻りたい。
お願い戻らせて!」
と言われても、戻れるわけ無いですよね。
悟り(目覚め)って、これに似てますよ。
今までと同じ人間なのに、
一部は同じで生活しますが、
一部は、全然、違う仕様に変化してて、
それを受け入れて生きていくという感じ。
「もう青虫に戻ることはできないから、
飛ぶ怖さを克服して、
チョウチョである事を受け入れながら生きる」
という感じです。(これ凄く大事!)
すると・・青虫より、
出来ることは広がっていることにも
気づくのです。
という事で・・
悟った人を見分ける方法があるとしたら?
その1つは、
悟りの定義が悟りを話してる人と、
違ってないかを確認して、
その上で、悟りの体験だと話すものを、
再度、再現してもらって出来たなら
本当に悟ってますね。
(毎日当たり前のように再現出来るはず)
伝統的な意味での悟りは、人間の知覚に、
青虫とチョウくらいの 大きな違いがあり、
よって取り扱い方も全く違い、
それは、元に戻ることは出来ないくらいの
違いが生じるということです。
今日は長くなったので また追々。
悟りについては、書きたいことが、山程あり、
それを私の言葉で、ポジティブなことだけじゃなくて、
ネガティブな事も含めて、
受講生さんに、
伝えておかなきゃと思っています。
(えっ? 私、死ぬんかな?(笑))
瞑想みのり
3月の瞑想伝授&瞑想会@奈良学園前は、
3月13日(日)です。