こんにちは
瞑想みのりです。
次回から数回に分けて、
悟った人を見分ける方法の話ですが、
その前に・・
7月にクリシュナ・マントラを受講された方の
瞑想体験談を頂きましたので、UPします。
今回は、
失恋がきっかけで瞑想始めた
女性の体験談ですね。
年月を経て、自分への信頼感が増して、
パワフルになっていくのを
体験談から感じてもらえたら良いなと思います。
瞑想は、心を強くしますね。
「えっ? わたくしですか?」
心 めちゃくちゃ強いよ。
自覚あります(笑)
体験談の方も、失恋して、傷ついて、
そのままの心をほっておかないこと。
それが良かったね!
なぜかと云うと・・
歳を重ねて思うことは、
「心が擦れている人が多いな〜」と、
思うわけです。
「え〜こんな(歪んだ)
受け取り方をするんだ・・」
って、不思議に思うことが、
大人になるにつれて、
遭遇する機会が増えるように思うのです。
これは、長く生きてると、
人を擦れさせるような出来事を
沢山、経験するからでしょうね。
そして、傷ついて、その傷ついた心で、
他の人たちの事も判断するからでしょうね。
でもそれって、傷だらけのガラス窓ごしに、
世界を見ているようなものです。
例えばひどい異性に出会って、
傷ついたとしたら?
その後、出会う人、
皆がひどい異性に見えてしまう。
(ほんとこういう事、ありますね。辛いね)
でも、そう見えてしまうのは、
自分の心が傷ついてるからで、
正しく相手を見ているわけではありません。
目の前の人が、
「ただの良い人だったらどうする気だろう?」
「運命の人だったらどうする気だろう?」
「その後の人生を大きく変えていく
キーパーソンだったら、どうする気だろう?」
自分の心が傷ついて擦れたままでいると、
賢くすべてを見ているようで、実は、
チャンスを見過ごしてしまうのですね。
だから、
自分が何度、傷ついても、その傷を早く癒す。
傷のない心の窓から世界を見る。
これ、とっても大事です。
結婚や恋愛でもダルマの関係を選びましょう。
(その関係がダルマなのか?
カルマなのか?またこの話も追々したいと思います)
簡単には、素直な心で相手を見る。
善なる相手の意図を見る。
(反対に、善なる相手の意図がどこにも
見つからない時は、すぐに去る)
そして、相手と自分を信頼する事です。
「人と出会う原則は、善であるべきです」
これは、TM瞑想のマハリシの言葉だったかな?
ごめん見事に忘れている。
私の大好きな言葉でした。
(なのに・・見事に忘れてる)
「善であるべき」
この善という言葉が、硬すぎて、
人は間違えて捉えてしまうのです。
善の意味は、ダルマ(自然の流れ)です。
これは、私は、瞑想から
(タラ・タントラの経験から)
教えてもらいました。
でも、多くの瞑想を知らない人は、
善を、これみよがしな善い行いだと思ってるのです。
「ほら!やってやったぞ〜どうだ〜!」
みたいなね。
もう全然、違うよ。
心が硬い時点で、それ善じゃないの。
摩擦を生んでる時点で、それ下手するとカルマね。
そんなものなら、やらないほうがマシだわ。
善(ダルマ)って、
自分がやったことすら忘れてしまっている
そこに摩擦とか、見返りがない行為の数々なのです。
一緒に笑ったとか、歩いたとか、
元気に手をふったとか、
一緒に花をみてキレイだねと思ったとか、
「これがどうしたというのだ?」ってくらい、
とにかく忘れているような心温まる行為の数々の事です。
ダルマって、さりげないけど、素晴らしいの。
こういうものを大切にしてくださいね。
次回の伝授&瞑想会は11月14日(日)
奈良@学園前です。
新しい人達にお目にかかれるのも楽しみにしてます。