今年印象に残った出来事2022年

フィンユール邸も今年でした

毎日が忙しくて、やっと一息つけました。
あっという間の1年でしたが
今年印象深かった出来事としては、
さまざまな「情報そのもの」について、
印象深かったですね。

 

ワールドカップも本当に感動しましたし、
それをTVではなく、アベマで見ることが多かったです。
本田圭佑さんの解説も面白かったですが、
彼は私からすると、投資家の印象の方が強いですね。
上場前のマクアケの株の売却でスポーツ選手としては
ありえないほどの大金持ちになっています。
(今も大株主です)
身体が壊れたら終わるスポーツ選手とは
全く違うタイプのスポーツ選手の登場が興味深いのです。

戦争の事も大きな出来事でした。
TVだと西側寄りのニュースしか流れてないので、
それを見てましたが、西側の情報しか見てない時点で、
「私は正しい」(相手は間違えている)の戦争を
無意識で自分がしている事になるのです。
だからこれまた、youtubeなども見るようにしてます。
戦争は両方とも悪いと思うな〜。

こんな影響の余波から、
日本はとうとうミサイルを買う事になりそうですし、
アメリカの軍事産業の大きな会社ロッキード・マーティンが、
環境に優しいエコロジー関連株に挙がっている事にも
びっくりしました。

戦争で攻撃されて廃墟になってるウクライナの映像。
これをみたら、
防衛してたらゴミが出ないからエコロジーって発想??
そんな風に視点を変えて見てみると、
ミサイル打ちまくってる 
金正恩もエコロジストに見えてきたりします。
(良い悪いではなく、視点が違うとそう見えてくるし、
そう考える人が世の中にはいるという事)

そんな事で、
SNSの情報から色々考えさせられることが多かったですね。

 

個人的な事では、
TVよりもyoutubeから情報を得ることが多くなってて、
朝のヨガもbelifeまりこさんにはじまり、
よく見てそこから買い物を沢山したと言う意味では、
マコなり社長。
朝ご飯は、ナッツとコーヒーが定着しました。
中田敦彦さんのyoutubeの書籍や文学の情報もよく見てます。
両学長のお金の話も面白いです。

ワンオクのTakaの英語の発音を聴いて、
英語の勉強を始めましたし、英語は何かと続いてます。
英文法はシンプルで、
さすがに公用語になるだけの事はあるなと、
英語そのものに感心したりして・・
頭の体操にいいなと思うようになりました。

全員が動画で活躍する男性ですけど、
一番、日々の暮らしの中で影響を受けているのは、
やっぱり料理研究家の有元葉子さんですね。

自然の姿を見て、それを料理のヒントにしたり、
日々の生活や食べる事を大切にして、
そこから世界を見たりする感性が好きです。
生きとし生けるもの全てに優しい
エコロジストでもありますしね。

昔から大好きでしたが、動画が出てきて、
ますます、好きになりました。

有元さんに、
パスターの茹で時間を質問した人がいて、
「鍋の中を見ろと、鍋にパスタを打ち付けて返ってくる音を聴け」と、
タイマーで時間を測ろうとするから、
茹で時間が分からなくなるんだと・・

マジ(笑)
世界は便利だけど情報に踊らされて、
一番大事な情報を忘れてるって話です。

目の前で起きてる事で自分が感じてる事、感性、
日々食べる事、心地よく暮らす事。
そこから世界をみる事。
来年はこちらを大事にしていきたいですね。

●お知らせです
新年 1月3日(月)13時〜 
帝国ホテル大阪でお茶会をします。

喫茶と日本酒(振る舞い酒)は無料です。
ケーキを召し上がる方は、別途料金がかかります。
1月の伝授&瞑想会は
1月22日(日)です。

瞑想みのり

富山 おわら風の盆

おわら風の盆

小学校の教科書に出ていた時から、
すごく惹かれていた「おわら風の盆」行ってきました。
私にとって、旅は人生の目的のひとつですから!
ちょうど台風が直撃の時でしたが、気合いで晴れたのも凄い。

夜の暗い中で、顔を笠で隠して踊るわけですが、
これがしっとりしてて、素敵な踊りなのです。

駅からかなり歩くので、足が自信がない人は、
若いうちにおすすめです。

お宿は、富山のドーミインにしました。
ドーミインも各地、色々ありますけど
富山のドーミインはおすすめです。
まず朝ごはんが美味しくて新鮮だから。

飛騨高山旅 フィンユール邸

飛騨高山のフィンユール邸に行ってきました。
デンマークの建築&椅子のデザイナーさんですね。

想像以上に、素晴らしかったです。
おしげもなく座らせてもらえる家具メーカー
キタニさんにも感謝です。
天気にも恵まれて、マリメッコのような雲が出ていました。

なぜサンルーフが黄色いか?
こんな事にもそれはそれは・・深い意味があります。

黄色いサンルーフにも意味がある

フィンユールは細かいこだわりを建物に施してありますので、
必ずミュージアムの方に説明をしてもらう事をおすすめします。
2時間は必要になります。

大きな窓にも意味がある

「椅子」というのは座るものですが、人間の毎日の営み。
当たり前のように、毎日座り日常生活の一部でありながら、
本当に良いものについては、先祖代々残す事ができる
デザインだけでなく、体感も含めた芸術作品だと思っています。

この留金の工夫もすごい

特にフィンユールのデザインは、
肘掛けや背もたれも日常の動作に溶け込んでしまいます。
日常の一部だから気軽でいいのだけれど・・

最低限の注意として、
ズボンの後ろポケットにものを入れたままで座らないとか、
大きな時計して、座らないとか、汗だくの状態で座らないとか、
「え〜たったそれくらい・・」と思われるかもしれませんが、
好きな人にとっては、こういう動作さえもヒヤヒヤします。

ガラス越しのチーフテンチェアーのミニチュアサイズ。個人的には一番好きなデザイン。

なんでこんな神経質な話するかと言えば・・
フィンユールのショールームの椅子の
肘掛けのところに、小さな傷が出来てしまっていたのと、
薄い水色の椅子のお尻のところに、
ボールペンの小さい跡をみつけたので・・
訪れる側も、気をつけないといけないなと思いました。

いいお天気でした

以前、受講生さんから聞いた話ですけど・・
高級日本料理屋さんで働いていた時に、
吉永小百合さんが、お店に来られたそうです。

その時は、
指輪とかアクセサリー類を全部外して、
食事をされたそうです。

おそらく、テーブルの木材とか、
器を守るための配慮だと思うのですが・・
大女優さんらしい素晴らしいエピソードですね。

フィンユールのイスに座るときも同じです。
100年先でも廃れないデザイン。
頑丈な作り。座り心地さえも芸術。
その価値を理解して、後世に残そうと
保存してる人がいるわけですから、
くつろぐ道具であっても細心の注意が必要ですね。

飛騨高山 フィンユールアートミュージアム

青森・秋田旅2022

この先が北海道

夏に青森ねぶた祭りと、秋田の竿燈まつりに行ってきました。
竜飛岬や男鹿半島のなまはげの資料館なども見学しました。

昼間のねぶた

最近コロナの影響もあって、ヨーロッパが遠く感じます。
しかも、コロナもいつ死んでもおかしくない状況なのかもしれないので、
今のうちに、国内の伝統文化にふれたり、
日本の美しい景色も見ておこうと思っています。
これも私にとっては、大きな人生の目的。
昼間のねぶた そして、夜の明かりが灯ったねぶたも
全く違ってて、よかったです。

胸熱になるくらいの感動

青森秋田ともに、男性エネルギーの強い地域のように感じました。
東北の雄大な自然と空気の美味しさにも癒されました。

筋肉美を感じた竿燈まつり

普段使いの食料品の買い物も面白かったです。
大粒のピーナツの入った、金賞受賞の南部せんべいを買い忘れた。
またどこかで買えると思っていたら荷物が多くなりすぎて、
買えませんでした。今度行った時は、この煎餅を買おう。
ねぶたの待機場所のお土産店に置いてるお煎餅。(忘れずに)

棒タラ買ってみましたが・・使いにくい。

なまはげも、面白い伝統文化ですね。

なまはげって言葉の響きもいいね。

 

お盆なので不思議な話

前回のブログを掲載した後に、読者さん?の
「死を笑ってはいけない・・」こんな声。

目覚めた聴覚に、ちゃんと届いております。
しかも・・ハートの真ん中に届いてる。
愛ですね。心得た!

さてさて・・
今日も お盆なので不思議な話。
生きてる人が、死の捉え方を変える。
これについてですね。

死が悲しいものとは限らないというのは、
瞑想してから知った事です。
これ、本当に個人差があるので、
死んだ人が、どう捉えているかに合わせて、
寄り添う必要があります。

少なくとも、母の死は、母自身が、
死を喜んでいたのがわかりますから、
私自身もあまり悲しんでいません。

 

他にも、瞑想の受講生さんで、癌のステージが進んでから、
瞑想を受けにきた人がいました。

瞑想は心の平安が得れるのと、
肉体を離れる時に、沢山の解放を手伝ってくれますから、
死について、新しい認識が育ちます。
それで、瞑想を受けに来られたのですね。

帰りぎわに「死んだら、挨拶に来ます!」
と言われたのですが、
だいぶ時間が過ぎたある日、私の部屋の中にその人がいました。

 

「これは幽霊か?」とか「どこから部屋に入ったのか?」
とか、思う間もなく、とっさに、見えた瞬間、
笑顔で手をふりました。向こうも手をふった私に気づいてました。

死んだ人に足がないと言われるのは、わかる気がします。
本当のリアルな肉体ではなくて、映画の映像を空間に見る感じなのです。

生前は、病気で肉体の激痛で苦しかった訳です。
信じていた民間療法にも見放され無視されます。

だから、この人にとって、
死は大仕事であり、頑張ったことを
誰かに無視されたくなかったのだと思いますよ。
この気持ちに寄り添う時、私に出来ることは、
無視しないで笑顔で手を振る事だったのです。

本人が、死んだ事を祝福と捉えているのに、
生きてる人が、必要以上に悲しんでいる。
これも相手に寄り添ってないのです。

生きてる間に相手に対してベストを尽くして
接していたら、それが、わかりますよ。
(だから生きてる間は、心残りのないように・・なのです)

 

こんな違ったケースもありました。
私の友達で、幼い子供(赤ちゃんと3歳児)
と夫を残して、病気で亡くなった人がいます。

初7日とか、49日とかも、すべては、
全部が、こちらの世界の都合であり、
そもそも、日付や時間感覚が大きく違うのが「死」です。

この場合は、
まさか、49日なんかで、天国に行ってませんよ!
生前、頑張り屋で、何事も諦めずに
粘り強い性格の人でしたが、
天国に行ってたまるかと必死で粘ってとどまり続け、
ある時、もう亡くなってから100日以上はとっくに
過ぎていたと思いますが、
宇宙に大きな風が吹いたというか、流れがあった時に、
天国にあがりました「あ〜今。天国に行った〜」と
彼女の死を感じたのはその時です。

 

どうして、天国にすぐ上がらなかったのか?
痛い程に気持ちがわかります。だから、
この場合は「天国に行ってたまるか!まだまだ粘る」
この思いに寄り添ってあげる。

この人の場合は静寂に溶けた時が、
本当の死であり、お別れだったと思ってます。

個人的には、上記のような
特別な場合以外は、
人間が成仏しないでこの世に残る
(地縛霊やら、霊がとりつく、霊が場所に棲みつく)
これは、実は、ほぼないと思ってます。

 

だから、誰かに「霊が取り憑いてるよ」とか、
おどされたら、瞑想者は

「誰にモノ言うとるねん!人を見てモノ言いや!」と、
相手の無知を諭すくらいでないといけません。(笑)

見えないという理由で、騙されてはいけませんし、
瞑想者は叡智とともに在りましょう!
ぶっ高いダサイ壺を買ってもいけません(笑)

肉体がないというのは、想像以上に軽くて、
天国行きの風に飛ばされてしまう感じです。
相当この世に残りたい理由と根性がないと、
残れないのが、正しいのです。

ただ例外があるとしたら、
死んだ事を本人が知らない場合。
特に仕事中の突然死とかは、
死んだ本人がまだ知らずに責任感から働いてる
フィーリングと一緒にある可能性があるので、

「死んでる事を教えてあげる」
「もう仕事しなくていいんだと伝えてあげる」
(ボランティアや家事などの無報酬の仕事の場合も忘れずに!)
「天国で安らかに眠ってください」

これだけは、周囲の人が、
お葬式の時に伝えてあげましょう。
それで十分です。

 

まぁ今日は不思議な話をつらつらと・・
書いてみました。

コロナがまた流行っていますから、
皆さんお身体に気をつけて、
夏をお過ごしください。

瞑想みのり

えっ?死神に昇格したの?

今日はお盆も近いし、不思議な話です。

この3月4月は身近な人が亡くなる事が多かったので、
今日は瞑想と死について書いてみたいと思います。

「死んだらどうなるのか?」というのは、
私も良くわかっていません。
私の経験上、死んだ人は、あまり喋らないからです(笑)

死んだ直後は、意外と話せます。
これは、瞑想の受講生さんからも
体験として聴きますね。
直後でも、時間が経過してしまうとタイムラグがあり、
言葉がとんでもなく遅れて届くのでコミュニケーションが成立しません。

言葉というより、
何かのフィーリングを受け取る事の方が大きく、
そのフィーリングに言葉をのせるとしたら、
この言葉が当てはまるという感じで受け取ります。

あと夢も多く
(この場合は雑夢ではなく、タターガタの夢)
表情などで伝えたい事を伝えてきますね。
瞑想者の親族、身内は、死んだ人の満面の笑顔や、
ごきげんな姿を夢でよく見ています。
これに親族が助けられるのです。

そして、亡くなってから時間が経過すると、
本当に静寂の意識に消えていきます。

この3月〜4月ごろか?なんだか・・
亡くなった母の意識を感じました。

私にとっては、これはヤバい事です。

死んだ母の意識を私が強く意識する事があるとしたら?
それは父を(天国へ)連れていく時だからです。
実際にその頃、父は身体が弱って痩せていました。

母が亡くなったのは10年以上も前の事ですけど、
まず、亡くなったことに驚いたのは、
家族でも医者でもなく、母自身だったのです!
(それ位、自分がまさか死ぬとは思ってなかったのです)
だから死んだ直後は

「え〜〜!うっそ〜!私が・・死んじゃったの〜〜?」と、
とにかく本人がビックリしており、

「まぁ。本当に死んじゃったなら仕方ない・・
(死んだ事を)楽しく生きよう!」
そんな感覚が母の中にありました。

死は、家族としては、やはり悲しいのですけど、
本人の伝えたい事が理解できるだけに、
当時は、コントのようで、笑ってしまったのです。

死んでるのに「楽しく生きる」とか、
突っ込みどころ満載でしたが・・
実際に、死んで本人は満足してますよ。
死を謳歌できているのです。

これは、生きてる人が、死の捉え方を変えないといけません。
相手の気持ちに寄り添うのです。
また次回、書いてみたいと思います。

また生きてる間の本人の宗教観。
それもあるのかもしれませんね。
母は敬虔なクリスチャンでしたし
瞑想者でもありましたから。

この世に未練がないけれど、ただ・・死に際して、
家事ができない父の事だけが気がかりだったみたいです。

それが、分かったのは、
私が父を引き取ることが決まった時です。

「良かった〜〜!ありがとう〜!嬉しい〜!」
という母のフィーリングを強く感じたからです。
私としては、父の事で、こんなに死んだ母が喜ぶとは、
思ってもみませんでした。

そして、この出来事から、
勝手に母が私に約束をしている事があるのです。

 

生前は、会社を経営しており、キャリアウーマンの先駆けで、
世界中を、飛行機で飛び回って仕事してるような母でした。

もしも、父が寝たきりや、認知症になった場合に、
私や兄弟が介護で、仕事ができなくなるような事態が起きれば、
母が父を天国に連れていく事を決めてるようです。

「そんな権限が、死んでる人間にあるのか?」 
「いつから死神になっとるねん?」と・・
突っ込みどころはあるのですけど、

まんざら、この話は嘘ではないというか、
母の性格上あり得るな・・と、私は、思っています。

だから、兄弟にも「うちは親の介護はないし、
あるとしたら、死が迫ってる時だから、
心の準備を急いでしないといけない時だよ」

と伝えてあります。

そして父にも、
ママは天国で死神に昇格してるから(笑)
寝たきりとボケたらすぐ連れていかれるから、
とにかく、その2点に注意して、元気で暮らそうね」
と伝えています。

だから、足腰も強いし、フィットネスクラブにも通ってます。
毎日のように図書館に出かけて、読書と勉強をしてますね。
私としては親が元気でいてくれるのはありがたいことですね。

今回は、母の意識を感じたので、
さすがに父はヤバいのかと思い、
ちょうど瞑想でグリーン・タラをしていたので、
心臓と循環器に良いので教えました。

昔は父も母と一緒に瞑想をしており
「空」の素晴らしい体験を理解しております。

親の死は誰でも、
ゆくゆくは覚悟をしておかないといけませんが、

今回は母の意識も感じなくなったので、
連れていかれるのは、見送られたようで、私も安心しました。

後々に、
出来るだけ心残りのないようにと思っているので、
この夏は、元気なうちに
青森のねぶた祭りに連れて行こうと思っています。
和食の美味しいミシュランのお店も予約を入れました。

魂からすると「何かをやりのした事がある」
この思いだけが最悪な事なので、
何でも生きている間に、経験しておく方がいいのです。

それは自分の事も含めですが、
親に対してもですね。
世界の・日本の素晴らしい文化や芸術を見せておく事も含めて、
「やり残した事がないように」これだけが重要な事です。

瞑想みのり