お盆なので不思議な話

前回のブログを掲載した後に、読者さん?の
「死を笑ってはいけない・・」こんな声。

目覚めた聴覚に、ちゃんと届いております。
しかも・・ハートの真ん中に届いてる。
愛ですね。心得た!

さてさて・・
今日も お盆なので不思議な話。
生きてる人が、死の捉え方を変える。
これについてですね。

死が悲しいものとは限らないというのは、
瞑想してから知った事です。
これ、本当に個人差があるので、
死んだ人が、どう捉えているかに合わせて、
寄り添う必要があります。

少なくとも、母の死は、母自身が、
死を喜んでいたのがわかりますから、
私自身もあまり悲しんでいません。

 

他にも、瞑想の受講生さんで、癌のステージが進んでから、
瞑想を受けにきた人がいました。

瞑想は心の平安が得れるのと、
肉体を離れる時に、沢山の解放を手伝ってくれますから、
死について、新しい認識が育ちます。
それで、瞑想を受けに来られたのですね。

帰りぎわに「死んだら、挨拶に来ます!」
と言われたのですが、
だいぶ時間が過ぎたある日、私の部屋の中にその人がいました。

 

「これは幽霊か?」とか「どこから部屋に入ったのか?」
とか、思う間もなく、とっさに、見えた瞬間、
笑顔で手をふりました。向こうも手をふった私に気づいてました。

死んだ人に足がないと言われるのは、わかる気がします。
本当のリアルな肉体ではなくて、映画の映像を空間に見る感じなのです。

生前は、病気で肉体の激痛で苦しかった訳です。
信じていた民間療法にも見放され無視されます。

だから、この人にとって、
死は大仕事であり、頑張ったことを
誰かに無視されたくなかったのだと思いますよ。
この気持ちに寄り添う時、私に出来ることは、
無視しないで笑顔で手を振る事だったのです。

本人が、死んだ事を祝福と捉えているのに、
生きてる人が、必要以上に悲しんでいる。
これも相手に寄り添ってないのです。

生きてる間に相手に対してベストを尽くして
接していたら、それが、わかりますよ。
(だから生きてる間は、心残りのないように・・なのです)

 

こんな違ったケースもありました。
私の友達で、幼い子供(赤ちゃんと3歳児)
と夫を残して、病気で亡くなった人がいます。

初7日とか、49日とかも、すべては、
全部が、こちらの世界の都合であり、
そもそも、日付や時間感覚が大きく違うのが「死」です。

この場合は、
まさか、49日なんかで、天国に行ってませんよ!
生前、頑張り屋で、何事も諦めずに
粘り強い性格の人でしたが、
天国に行ってたまるかと必死で粘ってとどまり続け、
ある時、もう亡くなってから100日以上はとっくに
過ぎていたと思いますが、
宇宙に大きな風が吹いたというか、流れがあった時に、
天国にあがりました「あ〜今。天国に行った〜」と
彼女の死を感じたのはその時です。

 

どうして、天国にすぐ上がらなかったのか?
痛い程に気持ちがわかります。だから、
この場合は「天国に行ってたまるか!まだまだ粘る」
この思いに寄り添ってあげる。

この人の場合は静寂に溶けた時が、
本当の死であり、お別れだったと思ってます。

個人的には、上記のような
特別な場合以外は、
人間が成仏しないでこの世に残る
(地縛霊やら、霊がとりつく、霊が場所に棲みつく)
これは、実は、ほぼないと思ってます。

 

だから、誰かに「霊が取り憑いてるよ」とか、
おどされたら、瞑想者は

「誰にモノ言うとるねん!人を見てモノ言いや!」と、
相手の無知を諭すくらいでないといけません。(笑)

見えないという理由で、騙されてはいけませんし、
瞑想者は叡智とともに在りましょう!
ぶっ高いダサイ壺を買ってもいけません(笑)

肉体がないというのは、想像以上に軽くて、
天国行きの風に飛ばされてしまう感じです。
相当この世に残りたい理由と根性がないと、
残れないのが、正しいのです。

ただ例外があるとしたら、
死んだ事を本人が知らない場合。
特に仕事中の突然死とかは、
死んだ本人がまだ知らずに責任感から働いてる
フィーリングと一緒にある可能性があるので、

「死んでる事を教えてあげる」
「もう仕事しなくていいんだと伝えてあげる」
(ボランティアや家事などの無報酬の仕事の場合も忘れずに!)
「天国で安らかに眠ってください」

これだけは、周囲の人が、
お葬式の時に伝えてあげましょう。
それで十分です。

 

まぁ今日は不思議な話をつらつらと・・
書いてみました。

コロナがまた流行っていますから、
皆さんお身体に気をつけて、
夏をお過ごしください。

瞑想みのり

えっ?死神に昇格したの?

今日はお盆も近いし、不思議な話です。

この3月4月は身近な人が亡くなる事が多かったので、
今日は瞑想と死について書いてみたいと思います。

「死んだらどうなるのか?」というのは、
私も良くわかっていません。
私の経験上、死んだ人は、あまり喋らないからです(笑)

死んだ直後は、意外と話せます。
これは、瞑想の受講生さんからも
体験として聴きますね。
直後でも、時間が経過してしまうとタイムラグがあり、
言葉がとんでもなく遅れて届くのでコミュニケーションが成立しません。

言葉というより、
何かのフィーリングを受け取る事の方が大きく、
そのフィーリングに言葉をのせるとしたら、
この言葉が当てはまるという感じで受け取ります。

あと夢も多く
(この場合は雑夢ではなく、タターガタの夢)
表情などで伝えたい事を伝えてきますね。
瞑想者の親族、身内は、死んだ人の満面の笑顔や、
ごきげんな姿を夢でよく見ています。
これに親族が助けられるのです。

そして、亡くなってから時間が経過すると、
本当に静寂の意識に消えていきます。

この3月〜4月ごろか?なんだか・・
亡くなった母の意識を感じました。

私にとっては、これはヤバい事です。

死んだ母の意識を私が強く意識する事があるとしたら?
それは父を(天国へ)連れていく時だからです。
実際にその頃、父は身体が弱って痩せていました。

母が亡くなったのは10年以上も前の事ですけど、
まず、亡くなったことに驚いたのは、
家族でも医者でもなく、母自身だったのです!
(それ位、自分がまさか死ぬとは思ってなかったのです)
だから死んだ直後は

「え〜〜!うっそ〜!私が・・死んじゃったの〜〜?」と、
とにかく本人がビックリしており、

「まぁ。本当に死んじゃったなら仕方ない・・
(死んだ事を)楽しく生きよう!」
そんな感覚が母の中にありました。

死は、家族としては、やはり悲しいのですけど、
本人の伝えたい事が理解できるだけに、
当時は、コントのようで、笑ってしまったのです。

死んでるのに「楽しく生きる」とか、
突っ込みどころ満載でしたが・・
実際に、死んで本人は満足してますよ。
死を謳歌できているのです。

これは、生きてる人が、死の捉え方を変えないといけません。
相手の気持ちに寄り添うのです。
また次回、書いてみたいと思います。

また生きてる間の本人の宗教観。
それもあるのかもしれませんね。
母は敬虔なクリスチャンでしたし
瞑想者でもありましたから。

この世に未練がないけれど、ただ・・死に際して、
家事ができない父の事だけが気がかりだったみたいです。

それが、分かったのは、
私が父を引き取ることが決まった時です。

「良かった〜〜!ありがとう〜!嬉しい〜!」
という母のフィーリングを強く感じたからです。
私としては、父の事で、こんなに死んだ母が喜ぶとは、
思ってもみませんでした。

そして、この出来事から、
勝手に母が私に約束をしている事があるのです。

 

生前は、会社を経営しており、キャリアウーマンの先駆けで、
世界中を、飛行機で飛び回って仕事してるような母でした。

もしも、父が寝たきりや、認知症になった場合に、
私や兄弟が介護で、仕事ができなくなるような事態が起きれば、
母が父を天国に連れていく事を決めてるようです。

「そんな権限が、死んでる人間にあるのか?」 
「いつから死神になっとるねん?」と・・
突っ込みどころはあるのですけど、

まんざら、この話は嘘ではないというか、
母の性格上あり得るな・・と、私は、思っています。

だから、兄弟にも「うちは親の介護はないし、
あるとしたら、死が迫ってる時だから、
心の準備を急いでしないといけない時だよ」

と伝えてあります。

そして父にも、
ママは天国で死神に昇格してるから(笑)
寝たきりとボケたらすぐ連れていかれるから、
とにかく、その2点に注意して、元気で暮らそうね」
と伝えています。

だから、足腰も強いし、フィットネスクラブにも通ってます。
毎日のように図書館に出かけて、読書と勉強をしてますね。
私としては親が元気でいてくれるのはありがたいことですね。

今回は、母の意識を感じたので、
さすがに父はヤバいのかと思い、
ちょうど瞑想でグリーン・タラをしていたので、
心臓と循環器に良いので教えました。

昔は父も母と一緒に瞑想をしており
「空」の素晴らしい体験を理解しております。

親の死は誰でも、
ゆくゆくは覚悟をしておかないといけませんが、

今回は母の意識も感じなくなったので、
連れていかれるのは、見送られたようで、私も安心しました。

後々に、
出来るだけ心残りのないようにと思っているので、
この夏は、元気なうちに
青森のねぶた祭りに連れて行こうと思っています。
和食の美味しいミシュランのお店も予約を入れました。

魂からすると「何かをやりのした事がある」
この思いだけが最悪な事なので、
何でも生きている間に、経験しておく方がいいのです。

それは自分の事も含めですが、
親に対してもですね。
世界の・日本の素晴らしい文化や芸術を見せておく事も含めて、
「やり残した事がないように」これだけが重要な事です。

瞑想みのり

タラWSと鎌倉&東京旅

こんにちは
瞑想みのりです。GWは、
瞑想の合宿で富士山の研修施設に滞在しておりました。
最高にリフレッシュできました。
金タラまで教えていきます。

すでに最初のテクニックの
ビジャ・タラ&グリーン・タラの予約を頂いておりますので、
6月は、ビジャ・タラとグリーン・タラの伝授になります。

タラは瞑想の中で私の一番大好きなテクニックで、
もう6回目か7回目の受講になります。
具現化の過程を実際に辿って見ていく事ができて、
自分の意図を宇宙に投げていくテクニックでもあります。

日々の瞑想は、淡々と続けていくのですが、
明らかに、持ち物や周囲の環境が、大きく変化していきます。
これは「空」が動き出す質「シャクティ」によるものですが、
自分の中の知性と外側で具現化された物質や
自然、環境の中の知性が、
磁石のように引きつけ合うので、これらが、
がらりと変化してしまうのです。

タラは皆さんにとっても大きな変化になり、
時に激しく感じるかもしれませんが、
最初の1歩の動きは、とても自然で、
タラが全部、何をすれば良いのか(何をしてはいけないのか)
手取り足取り教えてくれるような感覚で歩んでいく事ができるので、
どこにも無理がありません。

タラを始めた多くの人が
「無理をしなくなった」と口々に話しますが、
タラはダルマ(摩擦を作らない自然の流れ)を、
私たちに教えてくれます。

またタラは菩薩ですが、高次元の自分でもあります。
タラに直接教えてもらう事が多々あり、
特に白タラの知性は、うっとりするほど賢く慈悲深いです。

まだサイトに解説をUPしておりませんが、
予約が入ってますので6月はビジャ&グリーンタラの伝授で
決定しております。
楽しみにしててください。
本当に面白いので!大好き!たらちゃん。

瞑想みのりでは、
こちらがメインで教えていくことになると思います。
若返りも、クリシュナも素晴らしいですが、
タラもはっきりと、自分で感じられるほど、
自然のアンチエイジングを感じられると思います。
他の瞑想とタラの大きな違いなども、追々書いていきますね。

今日はまだ忙しく、家事もたまっているので、
追々、タラの詳細を書いていきますね。
タラについて語れる事も、私にとっては大きな喜びです。
ネタたまりまくってるねん。

タラ瞑想合宿の前に、鎌倉を旅行しました。
ものすごく、気持ちの良いところですね。
ここはパワースポットです。
エンマさま、そして、観音、大仏とまわりました。

特に観音が良かったです。
だって、観音はタラだもん。

実際に、鎌倉の観音が瞑想中に登場して、
「手放せ・・」と教えてくれました
(何を? 主語を言ってよ!)
まぁ心当たりありましたけどね(笑)
観音に言われたら、従わないとね。

だって私よりはるかに賢い事を経験上、
知っているから。

いかに人が自然の流れに任せずに、
自分の頭でゴリ押ししながら、生きてるのか、
いつもタラには教えられ、発見があります。

次回の瞑想伝授&瞑想会(奈良@学園前)は、
6月12日(日)です。タラの伝授は9時45分から、
瞑想会のみの参加は11時からです。
若干名まだ席に余裕があります。

自生してるスギナお茶にして飲みます

瞑想みのり

やめてホッとしてること

瞑想会の写真

今日はお知らせです。
3月いっぱいで、
瞑想講師とは別の
もう1つの顔である
フラクタル心理学の講師の仕事を辞めました。
今日はその時に感じたことなどを書いてみたいと思います。

 

入門講座の講師、ビジネスのMBIP講座の講師、
インナーチャイルドダイエットの講師、
カウンセラー、
フラクタル心理学のすべての仕事を辞めました。
サイトは、4月15日で閉鎖しております。

 

大阪帝国ホテル開催のノートグループと、
カウンセリングは
引き続き、形を変えて、
こちらの瞑想のサイトのメニューに入れていきます。
それに伴い、プロフィールも変更しました。

 

私自身、
150人以上の人を心理学の講座に紹介しており、
そこから、カウンセラーや講師になられた方が
沢山いますので、
一応、こちらのブログでも
お知らせしておかなければ・・と、
思いました。

 

今も、心理学の中では一番好きですし、
効果的なので、日常の中で
考え方として取り入れています。

 

心理学と瞑想。
最初は、同じ心の事だから、
統合できると思っていたのですが、

ちょっとした見解の違いなどがあり、
その見解の違いがあった時、
組織が間に入る以上は、
合わせないといけない事や、
そのために私が、
私らしい表現ができなくなる事、
表現した時に組織に迷惑をかけてしまう事なども
考えた結果、心理学の方を辞める事にしました。

 

例えば、
自分が病気になった時でも、
西洋医学の病院にもかかりますが、
同時に自然治癒力を高めたり、
おばあちゃんの知恵的な民間療法も使います。
漢方だったり、断食や、日本古来の東洋的なものです。

どっちかが大事なのではなくて、
両方とも私にとっては大事なのです。

だから、
心の事を伝える時にも、
心理学と瞑想も、どちらか1つではなくて、
この統合した両方を伝えたかったのです。
それが間に組織がはいると、
むずかしくなりますね。

統合が難しいと判断した時、
西洋的な心理学よりも
東洋的な瞑想を取ったということです。

私は、日本人ですから、
より東洋的なものが自然に血の中に備わってます。
そちらを優先する事にしました。

 

英語には、
日本語の心(こころ)に該当する言葉はありません。

しいて言えば、
マインド(考える心・思考)
エゴ (自分を定義する心)
ハート(感じる心・ハート)

この合わせたものが、日本語の心に該当します。

そもそも、心に線が引けるわけがないですし、
個別に分かれているものではありません。

そのあいまいなものを、
あいまいなままに表現したのが
日本語の 心(こころ)という言葉です。

的確に本質をつかみ表現された
美しい言葉ですね。
こういった日本人の感性を誇りに思います。

心理学は、
心の一部を切り取って教えている感覚があり、
私の伝えたい心と呼ぶものは、決して、
思考だけのことではありません。
心は心ですよ。

心理学は素晴らしいものですが、
私の中の何かが窮屈で苦しくなります。

願望実現にしても、
西洋的な成功哲学的なものは、
まずゴールを「決めて」「握りしめて」「取りに行く」
それを手に入れた時、何を感じるかなんて、
切り取られています。
それを手に入れたら、
きっと幸せだろうと「考える」のです。
幸せは「考え」ではないのに!

東洋的な願望実現は、
畑を耕し、種を植えて、執着を手放し、
自然に任せて一番リラックスした時に、果実を手に入れます。
時を待つとか、何よりも心に幸せを感じることが成功だと、
知っています。心が内側から充足する成就の事です。
(こちらは、ノートグループで詳しく話していきます)

 

このように、少しずつ何がかが違って、
統合することが苦しくなりました。

実は・・
心理学辞めてホッとしてます(笑)
私個人で出来ることを
仕事の中に取り入れていきたいですね。

これからもよろしくお願いします。
6月12日(日)伝授&瞑想会@ 奈良 学園前
誰でも参加できます。

瞑想みのり

地面が崩れ落ちていく・・

今日は不思議なお話を書いてみようかな?
スピスピした お話になります。

マロンタルト

これは、私が瞑想の講師になる前の話です。

私は、子供の時から過去世と呼ばれるものの
記憶がありました。
けれども、しっかりと、
信じていたわけではありません。

幼稚園の時は、
母親がキリスト教だった関係で、
自宅から、かなり離れた幼稚園に通っていて、
わんぱくに遊んでばかりいる子供でした。

小学1年生になり、
校区内の小学校に通う事になりました。
初めて教室に入った時、
きれいに机が並んでいて、
皆さん同じ幼稚園出身の人が多く、
仲良さそうに話をしていました。
私は、知ってる人が誰1人いない空間でした。

幼稚園の時とのギャップを感じて、
窮屈で、
さみしくなったのは覚えています。

すると、突然、
その並んだ机をみた私の中から、
ムクムクと6歳の少女とは、

明らかに違う人格の大人が、
登場して、話しはじめたのです!

「私にとって、勉強とは、
方々の町をめぐり、人々に話をすることなのに、
これが勉強とは如何に!」と・・

まず、こんな大人びた言葉を
使った事もありませんでしたし、
それを訴えているのは、
背が高く、痩せた、スキンヘッドで、
オレンジ色の袈裟(ボロ布)を着ていました。

6歳の少女の人格の半分が、
知らないおじさんになってしまったのです!
「6歳の少女の中に、オレンジの布をきた、
おじさんがいる。それは私だ」
これだけは、分かりました。

当時は、子供なので、
時間の概念がありませんから、
過去世という言葉も知りませんし、
お坊さんという言葉も知りませんでした。

当時は、不思議という言葉も知らないので、
現象として起きた事だけは覚えていますが、
でも、すぐに子供だから忘れて、遊んでいました。

小学校の5年生の頃に、
TVで、アジアのお坊さんの映像をみた時に、
すごく懐かしくなり、
オレンジの服の人は、お坊さんだと判明したので、

TVに向かって指をさして
「これ!私。私、お坊さんやねん!」
と、言ってました。

それからは、仲良くなった友達にだけは、
「この話。内緒だよ。実は私、お坊さんなんだ!」
と、打ち明け話をしていました。

知らない人が見たら、
とんだ人格障がい女です(笑)
でも、この時も、全然、
過去世というものは信じていませんでした。

私の家は、
親が会社を経営していたので、
目に見えるものが大事な現実主義の家でしたし、

同級生の親とかが、
私の親の会社でパートをしていたり、
会社で働いていたので、
「ちゃんとしてないといけない」
そんなプレッシャーを子供心に
感じていたからです。

そんな事で、
この人格障害こまったちゃん女は、
小学生の卒業の頃を最後に、封印されていきました。
ある日が来る時までは・・

この記憶は、短大を卒業してOLになる頃まで、
封印されていて、思い出すことすらありませんでしたが、

親の会社の経営が傾き始めて、
生まれてはじめて、チャネラーと呼ばれる、
霊能師さんのところに、噂をききつけ、
親の会社の経営の相談に行ったのです。

そこで、的確なアドバイスをいただき、
最後に時間が余ったので、
「何か他にアドバイスはありませんか?」
と質問してみたのです。

そうしたら、その人が、
全く、関係無い、私の話を始めました。

「密教の教えを紐解きなさい。
あなたお坊さんだったでしょ?
あなたが、密教の書物をペラペラとめくれば、
何が書いてあるのか、
読まなくてもすべて理解できるから」
と言われたのです。

当時は、ただのOLですよ。

「この人、絶対に怪しい〜!
それは、言っちゃダメだ〜!」と
心の表面では、叫びに近いような抵抗をしていましたが、

私の心の深いところで、何かが、
音を立てて崩れるような衝撃がありました。
自分が、
ここが地面だと思っていたところが、抜け落ちて、
崩れていくような衝撃でした。
魂が・・
この人との出会いに喜ぶのが分かってしまうような、
ハートの振動も感じました。

小学5年生の時に、
秘密で数人の友達に打ち明けただけの秘密を、
初めて訪れた知らないチャネラーさんの口から
聞かされてしまったのです!

過去世というものが
「有るか、無いか」「信じる、信じない」

という論争以上に、
「過去世ってあるんだ・・」と、
いきなり証明されてしまった!という驚きでした。

 

もう1つ不思議な体験があって、
小学生よりも幼い時は、
自分を守ってくれている存在がいて、
祖父のベッドをトランポリン代わりにして、

2人で飛び跳ねて遊んでいた記憶があり、
昔のヨーロッパの貴族のような
あまり見かけないような
服を着ている人でしたが、

これもさすがに、
他の人に見えてない事がわかった時に、
頭がおかしいと思って、封印して、
誰にも話をした事もありませんでしたが、

このチャネラーさんが、
私の背後についている天使だと、
絵を描いて2人が同じ時代に、
生きていた時のエピソードなども詳しく、
教えてくれました。

その絵が、私が幼い時に、見ていた、
ヨーロッパの貴族のような服装そのままで、
「守護天使って・・本当に存在してたんだ!」
という、衝撃がありました。

心というものは、
目に見える波だけが全てではなくて、
見えない海の底も含めて心なのだと、
思い知らされる出来事でした。

今でもその霊能師さんとは、
仲良くさせていただいてます。

瞑想をはじめるようになって、
海外旅行に行くと、
普通に過去世と呼ばれるものや、
その土地で起きた記憶がわかるようになり、
それが旅行の楽しみになったので、
帰国してから、
私の記憶が正しいのかどうかを、
この人に写真を見せて
答え合わせをしに行く事があります。

全部、正解していますし、
私が思い出したこと以上に、
詳細を詳しく話してくれます。

今では、今を生きている一生は、
死んだら肉体はなくなりますが、
何かが(魂?)永遠に残るのだな・・

というのは、
私の中では真実ではないかと、
受け入れています。

ちなみに・・
私が、霊能力を使ったチャネリングというものを、
仕事にしない理由は、
若い時から、この人の素晴らしい能力を、
間近で見ているからですね。

 

明らかに、おぼろげな記憶の私より
詳しいワケですから。

同じスピリチュアルでも、
私がそれを仕事にする理由が、

どこにもないのです。
まさに、この人の天職だなと思います。

目に見えない事が得意な人もいますし、
目に見える事が得意な人もいます。

それぞれに合った職についている時、
周囲の人も、世界も(宇宙も)サポートをします。
そして、それが普通に出来てしまうので、
本人にも摩擦がありません。
これがダルマ(自然の流れ)と呼ばれるものです。

 

宣伝広告やインターネットのサイトも持ってないのに、
人の紹介だけで30年以上もの間、

人が集まり、仕事として、成立してるのですね。
凄いことだと思いますよ。

話を戻して・・
チャネリングを受けた当日は、
過去世があるんだと証明されてしまった事で、
地面が抜け落ちて、ワナワナと、
放心状態でしたが、

翌日、早速、図書館に行き、
密教の分厚い本を手に取り、
パラパラとめくってみました。

そうしたら・・驚くべきことに!

全く、何もわからない(笑)

「あっ!霊能師さんが言った事、ハズレたな!」
と思ったの。

「こんなオチあるか〜い!」
と思いましたよ。当時は・・。

でも、数年後、この瞑想を始めて、
どハマりしちゃったんですよね。

 

「こんな面白いものが世の中にあるのか!
これを知らないで、ストレスだらけの中で、
生きてる人が沢山いるのか!
それなら、私が教えよう!」

と思った事がきっかけで、
瞑想の講師になるのですね。

この瞑想は、
伝統的なヒマラヤのヨギ達の、
密教の智慧に由来します。

本当の学びは書物の中ではなく、
体験の中にあるのです。
霊能師さんが言ったことは、
形を変えて、正解だったな〜と
後々になってから気づきました。

今日は、不思議なお話でした。
(毎度、不思議な話とも言えますが・・)
たまには、要望があれば、
こんな話もしてみたいと思います。

ではでは
今日もめいっぱい楽しみましょう!

瞑想みのり
9月の瞑想伝授&瞑想会は9月12日(日)です。

瞑想みのりサイトはこちら

 

ドラゴンナイト

写真はドイツ上空

こんにちは みのりです。

20日は朝から
仙台の慈眼寺の護摩に行こうと思って飛行機も宿も
なんなら、牛タンも手配していたのですが・・
金曜日に護摩が中止になってる事に気づき、
急遽、仙台行きをキャンセルしたところでした。

そしたら、夜に東北の地震のニュースです。
私は日頃から「地震は(人間には)予知できる」
と断言してるので、

大阪の街と地震のこと
https://www.1satori.com/?p=6679

内側に静寂を
https://www.1satori.com/?p=8560

この間の福島の震度6の時は、
予知してないかとFBをのぞきに来てる人がいましたね。

多くの人が「また大きな地震が来るんじゃないか?」
「自分の地域は大丈夫だろうか?」と、
不安に感じてるのがわかります。

確かに震度5は怖いですけど・・
何も感じないから
仙台に行く準備をしてました。
ちなみにこの間の福島の震度6も
全く何の予感もありませんでした。
大地は平和です。
(実際に大きな建物の損害も死者も出てないでしょ)

ただ・・日本は地震の国です。
なので、
人間と神(自然の知性と呼んでもいいです)
の違いを理解しておかないといけません。
人間は自由意志があるから方向を変えられます。
「仙台行き辞めた!奈良にいよう!」
このような方向転換ができるのが、
人間の大きな特徴なのです。

でも神(自然の知性)には
この自由意思はありません。
自然の仕組みとリンクして、
一定方向にしか流れることが出来ないのが
神(知性)の特徴です。

山の神(固まる地の要素が強い知性)が、
河の神(流れる水の要素が強い知性)
に憧れても、方向転換する事は出来ないのです。

山が河に憧れて「なりたい」と言えば、
大きな自然の秩序が壊れるからです。
こういう全体の大きな取り決めのことを
「法」といいます。
ルールの事ですね。

 

相似形では、
人間の身体の中にも神(自然の知性)があります。
骨の神(固まっている知性)が、
筋肉の神(柔軟に動く知性)に憧れて、
なりたいと方向転換することがあれば、
それは死や病気を意味しますね。
骨は骨として、筋肉は筋肉としてあり続ける、
この働きが知性です。

人間は自分が方向転換できるものだから、
自然をコントロールしすぎて、
方向転換できない自然の流れを前にした時、
人間が動かないといけない事をすっかり忘れているのです。

人間は、頑張る事も時には必要ですが・・
地震や津波の時は、頑張ってはいけない。
さっさと動くが正しいのです。

 

東日本大震災から10年で、
海の前に高い堤防が出来ているのを
ニュースで見ました。
この場を去った人達には、
堤防は必要ないので、
これが、
そこに住む人達多くの希望であったのかもしれません。
私は、少しビックリしました。

 

大地の女神がいるとしたら?
「人間が動かないといけない事を忘れているだけだよ・・」
と、そう話すでしょうから。
だからイザという時は、
忘れないで、どこにいても、
人間が動いてくださいね。

そう言えば、
金峯山寺の護摩でクンダリーニが上昇しましたから、
その時に、慈眼寺は、
ハンパないだろうな〜と思ったんですね。

クンダリーニは龍です。
龍が暴れないように準備してから、
良き時期に慈眼寺、再チャレンジします。

みのりサイト