こんにちは
瞑想みのりです。
今日は、天職と宇宙意識の
お話の続きになります。
宇宙意識は、悟りの第一歩。
「砂漠の意識状態」とも呼ばれ、
ここを早く抜けていくほうが楽なんですね。
神意識そして、統一意識へと早く向かうと、
ホント楽です。また脱線しちゃうので、
統一意識の分かりやすい体験は、
過去ログになりますが、
こちらでどうぞ!
簡単には、
自分の興味が外側の世界にあり、
世界と繋がるということです。
宇宙意識は砂漠の意識状態で、
悟りの旅の途中ですが、
ここにも多くのメリットがあります。
「空」は大きく拡がり、5感覚が「空」に、
一時的に、飲み込まれますが、
同時にエゴも飲み込まれて、
「私が・・私が・・」と、
何1つアピールしなくても、
実は、1番、世の中にも、
神様にも見つかってしまうのです。
私達は、神様・仏様を
どこかに探しに行こうとします。
それが、何かの宗教の中かもしれませんし、
神社仏閣巡りなのかもしれません。
数珠やパワーストーンの中かもしれません。
それも、
その人の趣味や、
心の平安につながるのであれば、
良いと思いますよ。
けれども、本当に神の認識に入った時、
私達が神様・仏様を探しに行くのではなくて、
神様・仏様が人間を見つけるという事が
理解できます。
仏様の意味は、人間が死んだ時の名称ですが、
本当のところは、人間が、
悟りの意識状態を持った状態の事ですから!
おしゃかさまは人間でしょ。
神の知覚と同じです。
この状態の知覚は、透けて通るので、
「人間がどこにいようが、
神様・仏様が人間を見つける」が正しいのです。
前回、
瞑想をしながら、
時にニートのようになっている人いますけど、
これは、明らかに悟りとは方向性が逆だと書きました。
宇宙意識の状態では、世の中にも見つかる。
神様・仏様にも見つかってしまうのです。
なのに、何がいけないのでしょうか?
私は瞑想を始める前の「その人の意図」が、
瞑想を続けていても変化してない事ではないか?
と思っています。
瞑想を始める前は、
皆さん沢山のストレスをためて来られます。
私もそうでしたから、
その気持は痛いほど、良くわかります。
日常生活が苦しい、辛い、身体がしんどい、
人間関係がうまくいかない、
解決したい問題がある、
思うように物事がすすまない・・
こんなところから逃げたいなどなど。
それでもOKなのです。
そして、あっという間に、
それらの悩みは瞑想していると
吹っ飛んでしまいます。
これは、続けている人は
皆さん知っていることです。
ここから先に向かう人は、何が違うのか?
瞑想は、悩みやネガティブな印象深い感情を、
簡単にクリアーするので、
悩みやネガティブな感情に
長く、しがみつく事が出来なくなるのです。
これを瞑想では
「印象が無くなる」と表現しますが、
ここまでくると、
最初の瞑想を始める時の意図とは、
意図を変化させる必要があります。
悩みがある程度消えたら、
「(世界から)逃げたい」という意図ではなく、
「成長しよう」とか、
「未来に夢を持つ」
というポジティブな創造性に向かって下さいね。
「空」はすべての創造の源です。
統一場と呼ぶ事もありますし、
一元と呼ぶことも出来ますし、
本当の自分・真我・大我と、
呼ぶことも出来ます。
私達の認識の拡大によって、
名前を変えても最初から最後まで、
体験しているものは同じ「空」です。
認識力によって、名称が変化するだけですね。
唯一一つのなにもない
空っぽなのですね。
空っぽという、
究極のシンプルだからこそ、
これだけバラエティに富む創造が
そこから起きるのです。
空は、ただのパワフルな空っぽなので、
そこに、善悪の判断も、方向性も持ちません。
ただの「存在」です。
苦しい現実から逃げようという意図のままだと、
逃げる事は出来ます。
限られた中での平安は、
いとも簡単に手に入るでしょう。
けれども、
宇宙意識から先に成長を続けることが出来ません。
方向性を間違えているからです。
ちょうど大人が胎児に戻ろうとする感覚を
切望し、その願いを持ち続けるのに似ています。
そこから、自然に「成長しよう」
「自分の未来の夢を創造しよう」に
意図を変えていくのです。
すると、かならず、空はその意図によって、
外側の世界と繋がる方向に向かいます。
その時、神様・仏様が人間を見つけます。
それが、
神があなたを見つける神意識であり、
世界があなたを見つける統一意識なのです。
瞑想者の皆さん、
日々、成長を続けてくださいね。
世界に好奇心を持ってくださいね。
私も日々、世界に好奇心を持って、
成長していきます。
では、今日も長くなりましたわ!
初心者の人も増えてきましたので、
また追々、
瞑想の「印象が無くなる」を、
詳しく書いていきますね。
では、今日もめいっぱい楽しみましょう!