静かなマインドと 空の経験の違いは?

2016-08-06 13.25.54

多くの人が 静かなマインドの事を
「空」だと思っていますが、
そこには 明らかな違いがあります。

瞑想で「空」を経験している時、
それは 思考が無い事(静かなマインド)では ありません。

意識の海が 動く時、沢山の ゴミを出していきます。
そのゴミは、思考に乗って、出ていくので、思考がてんこもりでも 
瞑想の効果が 出ているのです。 
ゴミも出せない瞑想の方が どうにかしてます。

海の底に居ても、波の事は、はっきり 見えますね。
けれども、それは 波の上にいる事とは 大違いです。

実際に 静かなマインドと「空」を経験する違いは、
心と身体が 本当に 休んでいる事です。

どんなに 瞑想中、動いても 体が熱くなっても 
体謝が寝ている時より、短時間に落ちているのです。

「空」と「静かなマインド」の 
解りやすい たとえ話があります。 

「静かなマインドは 
机の上に置いた 矢のようなものだと・・」

それに対して、
「空の経験は、弓の上に置いた 矢のようなものだと・・」

この二つの矢は 止まっている事では、
同じで 違いが解りません。

けれども、弓の上に 置いた矢は、
ひとたび 手を放すと、
的めがけて 飛んでいきますね。

そこには 創造を起こしていく、力があります。
これが 大きな違いです。

弓を後ろに 大きく引くこと 
これは、瞑想で「空」を蓄える事だと思って下さい。

遠くの的に、
的中させたければ、もっと後ろに 弓を引く事です。
心の深く深くに、入っていくこと。

後、する事は、手を放して、
矢が飛んでいく事に、任せることですね。

後ろに引いた矢から手を放す。
ここに 努力が いるでしょうか?
瞑想して ただ、執着を手放す事に似ていますね。

単に手を離せば、的をめがけて、矢が飛んでいくのです。

みのりサイト

印象に残った出来事&瞑想体験 2015年 3位

シンガポールのマリーナスクエア

シンガポールのマリーナスクエア

今年を振り返って・・写真を見ていたら、
沢山、旅行をしていました。

ビンタン島とシンガポール。
バリ島。
北イタリアとスイス。
有馬の宿泊瞑想会。
新潟の長岡花火。

全部、今年の事ですが、写真をみるまでは、
すっかり忘れていました。


冗談抜きで「この世は幻想だと・・」

この感覚が進んでくると、一番、困るのが、
どこに出かけたとか、何をしたのかと、
細かく、聴かれることなのです。

普段は「空」に溶けているので、
人が現実だと思っているフィルムの中には、
しっかりといないのです。

「空」と幻想のフィルムの中(現実と呼んでいる世界)に、 
またがって生きてるというか、
これは経験してない人には、
何のことか、さっぱり意味がわからない話なので、
この辺でやめておきますが・・・

どのあたりまで、人間の意識の成長段階が、
すすんできているか、日常的な意味では、
私はその人が「物質をどう捉えているか」
これは、1つの大きな目安になると思っています。

物質って・・・
悟りの道においては、本当にありがたい物なの。

物質があるから、この現実に焦点を合わせていけるし、
そこから、幻想のフィルムの中(現実と呼んでいる世界)
に入っていけるし、日常生活を楽しく送ることが出来る。

これは、また瞑想会で 当てはまる方がおられたら、
お話ししていきますね。

そんな事で、沢山、旅行して、全部、忘れていたこと。
写真(物質)から全部、思い出すこと。
出来事であり、瞑想体験なので、3位。

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潜在意識と「空」は違うよ。

碇(いかり)をあげて、潜在意識を動かすよ。

潜在意識を超越し、現象界とは反対側に広がる世界
それが「空」です。

私達が 船とすれば、ハンドルを切れば 切った方向に
進んでいきます。

この場合のハンドルが 思考や言葉・イメージに
当たると思います。(顕在意識)

船の大少に関係ありません。
ハンドル切った方向に 船は向かいます。

だから、考える事・イメージする事は大切だよ 
顕在意識で潜在意識を 動かしましょう 
って話があるんですよ。

けれども 「空」は、この大きな船を 
どうやって動かすか、 どうやってハンドルを
取るかって 話とは 全く違うのです。

「空」は 船のハンドルでも 大きな船体でもありません 
これを 超えなくてはいけません。

船から 海に飛び込みましょう♪ って話です。

ハンドルを どんなに正しく切ろうが、碇(イカリ)を
下ろした船は 動かないのです。

皆さんが使っている 潜在意識活用法は 
本当に有効でしょうか?

現実を見ればすぐ分かりますね。

また正確に 切ったつもりの ハンドルが、
自分の行きたい方向じゃなかったと、
途中で気がつく場合もあるでしょう。

「空」は船から飛び降りて、海になって 
拡がろう って話です。

●海になって拡がって 波を起こせば、
重い碇を はずせます。

●波が起こせれば、
船に帆を張らなくても 船は進みます。

●船の前に障害物があっても 
波が 障害を一緒に動かす事ができたら、

障害では なくなります。

●船のエンジンが壊れた(寿命がやってきた)
としても 替える必要も ありません。

そ れ ど こ ろ か (ここからが 凄い♪)

最初は
「自分」=「船」だと 思っていたはずなのに

実際には 船は ただの 小さな入れものであり 
本当の自分(真我)は この 大きな海だったんだ~と 
気がついてしまう・・ これがフルフィルメント瞑想の
「空」の経験です。

瞑想会は誰でも参加できますよ!
まったくはじめての方もどうぞ!
大阪・東京・北海道・名古屋・福岡 スケジュール

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海になる時、
すべての船は 自分の手の中に在るでしょ。

クリシュナマインド

 

北海道には 
私はどうしても 行かなくてはいけない 理由が 
ありました。
クリシュナ マントラの伝授を 始めて受けた時、
クリシュナマインドでは、北海道と福岡の 
乗馬クラブに 入会するように 勧められたからです。

これを聴いた時は、私の小さなマインド(思考)は、
かなり、抵抗しました。
「クリシュナ!アンタは 私を 破産させる気か?」

こんな感じで、この無謀な案に 
マインドは抵抗していたけど、
ハートは ニタニタ笑って 聴いていました。

一生に一度くらい、クリシュナに従って、
遊んでみるのも悪くないか?と 
大胆にも 思ってしまったのです。

結果 入会したのですけど・・
本当に、100% クリシュナに 従ったのかと言えば
嘘になります。

なぜならば、クリシュナは どこにでも存在できて、
人間のような 制限はないからです。

スケールがでっかいです。デンジャラスですね~。
クリシュナからすれば、世界中に 家があり、
遊びたい時に遊べるのは 普通の事で、
人間がそれを制限するのが どうにも 理解出来ないのです。

そして、クリシュナには 大きな知性があります。
表面上は遊び。けれども すべてを 見越した上での遊びです。
この無謀な案にしたがった当初は、瞑想会にも 人が一人しか 来ませんでした。

だから、まさに 私は 破産寸前でした。
乗馬がなければ 北海道行きは 続いてなかったのです。
当時は これが知性だとは とうてい思う事が 出来ませんでした。

近い感覚では「クリシュナに だまされた」 かもしれません(笑)
けれども 一人が、二人、三人と
徐々に 瞑想に参加する人が 増えていったのですね。

このクリシュナと 人間の間にある 時間差を
理解しないと いけません。
クリシュナは 一瞬で すべてになり 楽しめるのに対して
人間は 肉体があり それも たった1つです。

だから クリシュナの事を 時に書くようにしています。
自分自身の理解を深めるために、
そして、 伝授を受けた方が クリシュナの知性を 
理解できるように。

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