小さい自分の延長で、未来の物事をみないで

天神祭

タイの宿泊瞑想の時、
私が一番、感銘を受けた話です。

TM瞑想の 創設者マハリシの話でした。
マハリシが グルデブの弟子だった時、
グルデブはインド中で有名で、偉大なマスターでした。
グルデブのそばには優秀で、地位も高く、
エリートの素晴らしい兄弟子たちが沢山いました。

そんなことで、マハリシは肩身が狭く、
グルデブの傍で講義を聴くことも
出来なかったそうです。

だからマハリシはグルデブの身の周りの世話、
掃除と雑用係をしていたのです。
そして、悟りを得ました。

掃除をしていた時のマハリシは 
まさか後々、
自分が創設した瞑想が世界的に拡がるとは
想像さえしてなかったのですね。
「僕なんて・・大したこと無い」と思っていた訳ですよ。

私達、人間は今の思考や感じてる事の延長上に 
未来を予想してしまいます。
瞑想の「空」の経験が 
どれだけ人間の可能性を拡げるのかは 

考慮しないで、未来を予想してるのです。
非常に 面白い話です。

私が瞑想を始める前もマハリシと
全く、同じ事を思っていました。
「私なんて 大したこと無い」と、
自分の可能性や創造力には 
気づいてないのです。

実際に経済的な事では、
両親の保護なしには 生きていけないと 
思い込んでましたし、
仕事の事で悩んでいて、辞めたかったけれど、
私になんて、次の就職先は無いから
我慢してしがみついて生きるしか無いんだと、
思い込んでましたしね。
(どんだけ 弱いんだよぅ)

月日が流れ、今現在。
父の面倒は私が見てますし、
何かあれば、甥っ子も姪っ子も
引き受けようと思ってるし、
結婚するとしたら、
何かあれば、その人の子供や親も 
全部、引き受けようとさえ思ってますね
(どんだけ 強んだよぅ)

瞑想していると、
未来は「よい意味」で「わからない」のです。
自分の中からどんな可能性や創造力が登場するか謎なんです。
だからせめて、
今の小さい自分の延長で、未来の物事を見ない事ですね。  

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「悟り」自己流では超えられない膜

今日は悟りについてのおはなし
正しい意味での(伝統的な意味での)
悟りの意味合いは

悟り=目覚めて世界を観ることです
私達が本当に目覚めた状態の時、
脳は100%使われていますが、
今現在、私達は脳全体のうち、
たったの5%程度しか使っていません。

どんなにいっぱい五感覚
(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を
使っていても、残りの95%が
ストレス(カルマ)で覆われた状態の
五感でとらえた世界を観ていることになり、
正しく世界を観ているわけではありません。

私達の 通常の意識の状態は、

1.起きている時

2.夢を見ている時 

3.寝ている時 

24時間のうち 
このどれかに当てはまります。

「空」を体験している
瞑想の意識状態というのは、
この3つのより良い面を兼ね備えた状態です。

起きている時より、マインドは冴え、 
夢見ている時より、雑念や映像の中でストレスを解放し、
眠っている時よりも、身体が休息している。
これが、
4.瞑想の意識状態 です。

自己流では、そんなに深く入れないので、
海の波のあたりで遊ぶ感覚です。
空を経験しているわけではありません。

瞑想を始めた頃は、
瞑想中だけにおこる意識の状態なのですが、
規則正しく 瞑想を続けていると、1.2.3.の 
日常のすべてに 瞑想の意識状態が(空が)浸透していきます。

瞑想の意識の状態が、日常のすべてに浸透していった状態が、
5.宇宙意識の状態 といいます。

この状態を「悟り」という人もいますが、
まだ宇宙意識の状態では、
脳の5%しか使われていないので 
「目覚めて世界を観る」ことが悟りとするならば、
私達の五感が変化していく必要があります。

そこで、ソーマと呼ばれる
私達の知覚を変化させるホルモンが
松果体から、大量に流れ出し、私達の肉体や感覚を変化させて
いきますと、宇宙意識の次の意識状態である

6.神意識 
7.統一意識  
といわれる意識状態に至ります。

フルフィルメント瞑想では、
最初のテクニックでハートマントラから
すでに、神意識や統一意識の状態をゴールとするように
ソーマの生成をうながし、感覚を変えていくしくみにデザイン
されている テクニックです。

なので、瞑想すればするほど、知覚が変化して、
感性がひらいていきます。

自己流の瞑想をしている人の多くが、
単に自己流の瞑想を長く続けていると、
いつか悟りが訪れる。
または宇宙意識の状態に到達すると思っています。

歴史的にみても誰一人として、
瞑想の体験なしに悟った人はいません。
ですから、ある意味で悟りに重点をおいた場合に
瞑想を はじめることは、正しい選択ですが、
厳密にいうと、「空」の体験なしに 悟った人はいないのです。

「空」(一元の世界)と 何かが創造されて出てきたもの、
物質や想念や事象(二元の世界)その狭間には
ギャップといわれる創造主(空)でも
何かの創造の産物でもない遊びの空間があります。

マントラがあるのは このギャップのあたりです
ギャップの上には薄い膜があり、
その膜が「空」(一元の世界)
と創造された産物(2元の世界)を
分ける境界線でもあります。

瞑想にも色々あって、
この膜を突き抜けて「空」に到達するだけの
パワーがないと、どんなに長年続けても
それはただ単に思考をたどっているだけにすぎす、
悟りどころか宇宙意識の状態にすら、
達することも出来ないのです。

けれども、この膜に たった1ヶ所でもいいから 
針の穴ほどの大きさの穴を開けることができれば、 
空が日常に浸透していくことができて、
そこから宇宙意識、神意識といった、
悟りへの段階のステップを
進んでいくことが可能になるのです。

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被害者意識は他人軸

ここ数日、
瞑想のサイトとブログで
システムエラーが続いておりました。

そのことで、
「はぁ〜えらい目にあった・・
トンデモナイ目にあったなぁ・・」

こんな口癖が、ずっと口を突いて出ておりました。

確かにトンデモナイ出来事に見舞われたけれど、
これも、被害者意識なんだなーって、
後から、気づきました。

そう思ったら、被害者意識の思考って、
巷にあふれていて、
気がつけば、自動的にその思考が出てくるのです。

そして、被害者意識は、他人軸の状態ですね。

都合の良い時だけ「自分軸」では、
それは、自分軸ではないのです。

それは、逃避に都合がよいから、
使っているだけなのですね。

「自分軸」というからには、世の中に起きてくること、
自分の身に起きてくること、
すべて、自分の責任として、引き受けることなのです。
その時に、自分に力が戻ってくるから「自分軸」なのです。

とんでもない出来事も、外的要因と思えることも、
まぁ誰の責任でもない。私の責任だったわ。

涙ながらに
「頑張れば頑張るほど、足ひっぱられるんだよね〜(T_T) 
じゃあ頑張るのやめたらいいんでしょ」
と、卑屈になる私がいて、
でも、それも間違った思い込みなんだと気づきましたよ。

だって、頑張れば、頑張るほどって、
月8日しか働いてないじゃん。
まるで悠々倶楽部じゃん♪ 

と、なると・・泣いてるのも、
あんまり働いてない自分を美化するための茶番劇 なんですよね。
これが自分軸なんだなと、とても気づきの多い数日間でしたわ。

被害者意識が この世の中から消える時、
世の中は、もっと平和になるよ。

今年も頑張って働こう!
縁のある 皆さんを ガンガンと上げていきますよ〜。

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瞑想のセンス

2016-08-07 12.49.09

昨日のブログ
静かなマインドと空の経験の違いは?
のつけたしですね。

空を経験して、
とてもうるさいマインドになる場合もあるのです。

必死で雑念を消そうとする行為も、
あまり意味がないなと思います。

というか、
瞑想のセンスを感じないのです。
瞑想は、ハートでするもの 感性のものなのです。

雑念があっても、
暖簾(のれん)をかきわけるように、
瞑想したら、カッコよくないですか?

雑念なんて、何事でもないの。
何事でもないものを、必死に消そうとしたり、
あるのに無いものにしちゃう行為が、
センスが無いのです。

こういう、瞑想のセンスが、
現実を生きる中にも出るのです。

 

世の中には、雑念のように、
何事でもないものが、あふれています。
それを必死で消そうとして、時間を取ったり、
必要以上に注目して、
さも、人生の大切な事のように扱ってしまったり。

何事でもないものは、
世の中にあふれているのに、
無かったことにしようとしたり、
どっちもヘンです。

瞑想が生きているということ。
この生きてる瞑想を楽しむの。

難しい人は、瞑想会に参加して下さいね。

どうでもいい ちっぽけなものを手に入れて、
大きな宝を逃す事の方が、どうかしてると思います。
まぁこれも、センスが無いとわからないわけです。

もっと、習った 自分を信じたらいいだけなの。
ただ、淡々と 毎日 続けるの。

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静かなマインドと 空の経験の違いは?

2016-08-06 13.25.54

多くの人が 静かなマインドの事を
「空」だと思っていますが、
そこには 明らかな違いがあります。

瞑想で「空」を経験している時、
それは 思考が無い事(静かなマインド)では ありません。

意識の海が 動く時、沢山の ゴミを出していきます。
そのゴミは、思考に乗って、出ていくので、思考がてんこもりでも 
瞑想の効果が 出ているのです。 
ゴミも出せない瞑想の方が どうにかしてます。

海の底に居ても、波の事は、はっきり 見えますね。
けれども、それは 波の上にいる事とは 大違いです。

実際に 静かなマインドと「空」を経験する違いは、
心と身体が 本当に 休んでいる事です。

どんなに 瞑想中、動いても 体が熱くなっても 
体謝が寝ている時より、短時間に落ちているのです。

「空」と「静かなマインド」の 
解りやすい たとえ話があります。 

「静かなマインドは 
机の上に置いた 矢のようなものだと・・」

それに対して、
「空の経験は、弓の上に置いた 矢のようなものだと・・」

この二つの矢は 止まっている事では、
同じで 違いが解りません。

けれども、弓の上に 置いた矢は、
ひとたび 手を放すと、
的めがけて 飛んでいきますね。

そこには 創造を起こしていく、力があります。
これが 大きな違いです。

弓を後ろに 大きく引くこと 
これは、瞑想で「空」を蓄える事だと思って下さい。

遠くの的に、
的中させたければ、もっと後ろに 弓を引く事です。
心の深く深くに、入っていくこと。

後、する事は、手を放して、
矢が飛んでいく事に、任せることですね。

後ろに引いた矢から手を放す。
ここに 努力が いるでしょうか?
瞑想して ただ、執着を手放す事に似ていますね。

単に手を離せば、的をめがけて、矢が飛んでいくのです。

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印象に残った出来事&瞑想体験 2015年 3位

シンガポールのマリーナスクエア

シンガポールのマリーナスクエア

今年を振り返って・・写真を見ていたら、
沢山、旅行をしていました。

ビンタン島とシンガポール。
バリ島。
北イタリアとスイス。
有馬の宿泊瞑想会。
新潟の長岡花火。

全部、今年の事ですが、写真をみるまでは、
すっかり忘れていました。


冗談抜きで「この世は幻想だと・・」

この感覚が進んでくると、一番、困るのが、
どこに出かけたとか、何をしたのかと、
細かく、聴かれることなのです。

普段は「空」に溶けているので、
人が現実だと思っているフィルムの中には、
しっかりといないのです。

「空」と幻想のフィルムの中(現実と呼んでいる世界)に、 
またがって生きてるというか、
これは経験してない人には、
何のことか、さっぱり意味がわからない話なので、
この辺でやめておきますが・・・

どのあたりまで、人間の意識の成長段階が、
すすんできているか、日常的な意味では、
私はその人が「物質をどう捉えているか」
これは、1つの大きな目安になると思っています。

物質って・・・
悟りの道においては、本当にありがたい物なの。

物質があるから、この現実に焦点を合わせていけるし、
そこから、幻想のフィルムの中(現実と呼んでいる世界)
に入っていけるし、日常生活を楽しく送ることが出来る。

これは、また瞑想会で 当てはまる方がおられたら、
お話ししていきますね。

そんな事で、沢山、旅行して、全部、忘れていたこと。
写真(物質)から全部、思い出すこと。
出来事であり、瞑想体験なので、3位。

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