タラ解説(みのり)ビジャ・赤・白

おまたせしました。
タラの私なりの解説を掲載してみますね。

ビジャ・赤タラ・白タラ

タラは観音様です。このタラ・タントラ瞑想は、
私達が「観音菩薩という存在に なっていく」
この部分が、他のフルフィルメント瞑想の
テクニックとは、大きく違います。

他のテクニックは、
空を経験していくことは同じですが、
マントラがシャクティと呼ばれる
固有の振動をしている為、外側の世界に結果として、
全く異なる効果が出てきます。

タラは、自分自身が「シャクティの化身そのものになる」です。
ここが明らかに、他との違いです。

タラの意味は、
このストレスだらけの世界(サムサーラの河)
を「渡るもの」の意味があり、
私達の小さな制限だらけのマインドを 
変化させて、ハートと繋がり、菩薩のように世界を
渡っていく方法を 沢山、魅せてくれるでしょう。

そのスケールの大きさは 時に私達の小さなマインドや
固定観念を破壊しながら進みますが、
必ず出てくる最初の1歩は、自然の流れに沿った1歩になります。

またタラはシャクティ(動く空)の化身でもあり、
「大いなる自分自身」でもあります。

魂・肉体を超えて シャクティ(動く空)が、
外側の世界に広がっていきます。
そのシャクティの先端には 知性の目があり、何かを探索するかのように
この世界を渡っていきます。

このため、具現化のテクニックとしても知られており、
具現化の力、スピード共に、最強です。

ただ、それさえもタラにおいては、大切なことではなく、
何かを望み シャクティが触手を伸ばし、何かを取りに行く際に、
沢山の 学びがあり、信念体系の崩壊があり、喜びがあり、成長があり、
タラは 手取り足取り、無から何かが 具現化していく、
その過程を 私達に 教えてくれます。

仮に、何か間違ったものを願ったとしても、
私達を軌道修正しながら、諭すように、望む現実を形作っていきます。
だから 何かを望む際に 吟味する必要もないのです。
 あなたの本当の望みを 一番、熟知してるのは、
タラである「大いなる自分自身」だからです。

タラは21の個性を持っています。
ビジャタラは グリーンタラで タラのお母さん。
この中に21の個性の種が詰まっており、種の形として、
彼女を経験し始めます。

1番目の赤タラは、感情・欲望にまつわる根深いストレスを取り除き、
2番目の白タラは 固定観念、信念体系にまつわる根深いストレスを取り除き、
私達をこの地球上において、菩薩(啓発に向かう段階)
として生きることをさせてくれます。

この経験は、難しくなく、ただ、インストラクションに従うことで、
自然に自動的に、こなしていけます。
瞑想するのは私達ではありません。タラが、全てをしてくれます。
(解説 みのり)

 

みのりサイト

 

周波数が変わるとは?


知らない間に「もう11月なのね!」と、ビックリしてます。

ラブマントラは、時間の感覚が、
長くなったり、短くなったりしますね。
これは「空」を経験する時に起こる、
よくある経験ですが、
ラブ・マントラは、特に多いように思います。

 

「空」は永遠。永遠には時間が無いので、
時間が伸び縮みするような感覚があります。

 

そして、とても眠くなることが多いマントラですから、
多めに睡眠を取るようにしていました。

 

寝ている間に、私たちは、
宇宙中のエネルギーを入れたり出したりと、
色んなことをしています。
再調整をするのにもってこいなのが、睡眠中です。

 

「瞑想したら 睡眠時間が減りますか?」
と多くの瞑想者から、質問されます。

実際に、瞑想の「空」の経験は、
眠りよりも深い休息なので、
眠りは減らしても大丈夫ですし、
睡眠時間を短くしたいなら、することは可能です。

 

けれども、眠り自体が、様々な再調整をしているのと、
エターナルラブプログラムは、
意識の宇宙的な拡がりを感じる
マントラなので、
眠りたい時は、しっかり眠りましょう。
寝ている間も、面白いのが、ラブマントラですね。

 

私は、時に、寝たいだけ寝てるような時があります。
この間に、している事が沢山あるのを知ってるからです。

 

ラブ・マントラは、とても宇宙的ですから、
スピ系の浮いた言葉を使うのが好きじゃない私でも、
「宇宙と調和して生きる」
こんなこと言いたくなるマントラなのです。

 

そんな事してる間に、
大きく周波数が変化していく感覚がありました。
持ち物が変化しましたね。
要らないものを捨てたり、
必要な物を買い足したりしました。

 

「周波数が変化する」とは、
目に見えない事のように思えて、
とっても分かりやすいのです。

 

明らかに、周囲の物が変化したり、
環境が変化したり、
出会う人や友達が変化したりと、
全部が目に見えることばかりなのです。

 

反対に、どんなに、周波数が上がった、
波動が上昇したと話しても、
周囲の環境や物質が変化してないとしたら、
気のせいなのだと思います。

 

物質の中にも知性があり、
自分の中にも知性があり。
その知性どうしが合うものが引き合い、
合わないものが、はじかれるのです。

だから、本当に、持ち物が合わなくなったり、
人が合わなくなったり、
環境が合わなくなったりということが起きるのです。

 

持ち物が、以前よりも格下げになる場合などは、
要注意です。格下げになっても、
ハートにしっくりくるならば、
大丈夫なのですけれど、
心地よさがないとしたら、
明らかに、未来が下降線に向かっているからです。
何かがおかしいので、早めに相談して下さい。

 

付き合う人の場合は、変化がとてもゆっくりですね。
私の場合は、ガラリという変化はあまりないです。
人は生き物ですから、物質と違い、
知性が引き合うにしても、気持ちもありますし、
受け入れの許容範囲が増えるからではないかと思います。

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小さい自分の延長で、未来の物事をみないで

天神祭

タイの宿泊瞑想の時、
私が一番、感銘を受けた話です。

TM瞑想の 創設者マハリシの話でした。
マハリシが グルデブの弟子だった時、
グルデブはインド中で有名で、偉大なマスターでした。
グルデブのそばには優秀で、地位も高く、
エリートの素晴らしい兄弟子たちが沢山いました。

そんなことで、マハリシは肩身が狭く、
グルデブの傍で講義を聴くことも
出来なかったそうです。

だからマハリシはグルデブの身の周りの世話、
掃除と雑用係をしていたのです。
そして、悟りを得ました。

掃除をしていた時のマハリシは 
まさか後々、
自分が創設した瞑想が世界的に拡がるとは
想像さえしてなかったのですね。
「僕なんて・・大したこと無い」と思っていた訳ですよ。

私達、人間は今の思考や感じてる事の延長上に 
未来を予想してしまいます。
瞑想の「空」の経験が 
どれだけ人間の可能性を拡げるのかは 

考慮しないで、未来を予想してるのです。
非常に 面白い話です。

私が瞑想を始める前もマハリシと
全く、同じ事を思っていました。
「私なんて 大したこと無い」と、
自分の可能性や創造力には 
気づいてないのです。

実際に経済的な事では、
両親の保護なしには 生きていけないと 
思い込んでましたし、
仕事の事で悩んでいて、辞めたかったけれど、
私になんて、次の就職先は無いから
我慢してしがみついて生きるしか無いんだと、
思い込んでましたしね。
(どんだけ 弱いんだよぅ)

月日が流れ、今現在。
父の面倒は私が見てますし、
何かあれば、甥っ子も姪っ子も
引き受けようと思ってるし、
結婚するとしたら、
何かあれば、その人の子供や親も 
全部、引き受けようとさえ思ってますね
(どんだけ 強んだよぅ)

瞑想していると、
未来は「よい意味」で「わからない」のです。
自分の中からどんな可能性や創造力が登場するか謎なんです。
だからせめて、
今の小さい自分の延長で、未来の物事を見ない事ですね。  

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「悟り」自己流では超えられない膜

今日は悟りについてのおはなし
正しい意味での(伝統的な意味での)
悟りの意味合いは

悟り=目覚めて世界を観ることです
私達が本当に目覚めた状態の時、
脳は100%使われていますが、
今現在、私達は脳全体のうち、
たったの5%程度しか使っていません。

どんなにいっぱい五感覚
(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を
使っていても、残りの95%が
ストレス(カルマ)で覆われた状態の
五感でとらえた世界を観ていることになり、
正しく世界を観ているわけではありません。

私達の 通常の意識の状態は、

1.起きている時

2.夢を見ている時 

3.寝ている時 

24時間のうち 
このどれかに当てはまります。

「空」を体験している
瞑想の意識状態というのは、
この3つのより良い面を兼ね備えた状態です。

起きている時より、マインドは冴え、 
夢見ている時より、雑念や映像の中でストレスを解放し、
眠っている時よりも、身体が休息している。
これが、
4.瞑想の意識状態 です。

自己流では、そんなに深く入れないので、
海の波のあたりで遊ぶ感覚です。
空を経験しているわけではありません。

瞑想を始めた頃は、
瞑想中だけにおこる意識の状態なのですが、
規則正しく 瞑想を続けていると、1.2.3.の 
日常のすべてに 瞑想の意識状態が(空が)浸透していきます。

瞑想の意識の状態が、日常のすべてに浸透していった状態が、
5.宇宙意識の状態 といいます。

この状態を「悟り」という人もいますが、
まだ宇宙意識の状態では、
脳の5%しか使われていないので 
「目覚めて世界を観る」ことが悟りとするならば、
私達の五感が変化していく必要があります。

そこで、ソーマと呼ばれる
私達の知覚を変化させるホルモンが
松果体から、大量に流れ出し、私達の肉体や感覚を変化させて
いきますと、宇宙意識の次の意識状態である

6.神意識 
7.統一意識  
といわれる意識状態に至ります。

フルフィルメント瞑想では、
最初のテクニックでハートマントラから
すでに、神意識や統一意識の状態をゴールとするように
ソーマの生成をうながし、感覚を変えていくしくみにデザイン
されている テクニックです。

なので、瞑想すればするほど、知覚が変化して、
感性がひらいていきます。

自己流の瞑想をしている人の多くが、
単に自己流の瞑想を長く続けていると、
いつか悟りが訪れる。
または宇宙意識の状態に到達すると思っています。

歴史的にみても誰一人として、
瞑想の体験なしに悟った人はいません。
ですから、ある意味で悟りに重点をおいた場合に
瞑想を はじめることは、正しい選択ですが、
厳密にいうと、「空」の体験なしに 悟った人はいないのです。

「空」(一元の世界)と 何かが創造されて出てきたもの、
物質や想念や事象(二元の世界)その狭間には
ギャップといわれる創造主(空)でも
何かの創造の産物でもない遊びの空間があります。

マントラがあるのは このギャップのあたりです
ギャップの上には薄い膜があり、
その膜が「空」(一元の世界)
と創造された産物(2元の世界)を
分ける境界線でもあります。

瞑想にも色々あって、
この膜を突き抜けて「空」に到達するだけの
パワーがないと、どんなに長年続けても
それはただ単に思考をたどっているだけにすぎす、
悟りどころか宇宙意識の状態にすら、
達することも出来ないのです。

けれども、この膜に たった1ヶ所でもいいから 
針の穴ほどの大きさの穴を開けることができれば、 
空が日常に浸透していくことができて、
そこから宇宙意識、神意識といった、
悟りへの段階のステップを
進んでいくことが可能になるのです。

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被害者意識は他人軸

ここ数日、
瞑想のサイトとブログで
システムエラーが続いておりました。

そのことで、
「はぁ〜えらい目にあった・・
トンデモナイ目にあったなぁ・・」

こんな口癖が、ずっと口を突いて出ておりました。

確かにトンデモナイ出来事に見舞われたけれど、
これも、被害者意識なんだなーって、
後から、気づきました。

そう思ったら、被害者意識の思考って、
巷にあふれていて、
気がつけば、自動的にその思考が出てくるのです。

そして、被害者意識は、他人軸の状態ですね。

都合の良い時だけ「自分軸」では、
それは、自分軸ではないのです。

それは、逃避に都合がよいから、
使っているだけなのですね。

「自分軸」というからには、世の中に起きてくること、
自分の身に起きてくること、
すべて、自分の責任として、引き受けることなのです。
その時に、自分に力が戻ってくるから「自分軸」なのです。

とんでもない出来事も、外的要因と思えることも、
まぁ誰の責任でもない。私の責任だったわ。

涙ながらに
「頑張れば頑張るほど、足ひっぱられるんだよね〜(T_T) 
じゃあ頑張るのやめたらいいんでしょ」
と、卑屈になる私がいて、
でも、それも間違った思い込みなんだと気づきましたよ。

だって、頑張れば、頑張るほどって、
月8日しか働いてないじゃん。
まるで悠々倶楽部じゃん♪ 

と、なると・・泣いてるのも、
あんまり働いてない自分を美化するための茶番劇 なんですよね。
これが自分軸なんだなと、とても気づきの多い数日間でしたわ。

被害者意識が この世の中から消える時、
世の中は、もっと平和になるよ。

今年も頑張って働こう!
縁のある 皆さんを ガンガンと上げていきますよ〜。

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瞑想のセンス

2016-08-07 12.49.09

昨日のブログ
静かなマインドと空の経験の違いは?
のつけたしですね。

空を経験して、
とてもうるさいマインドになる場合もあるのです。

必死で雑念を消そうとする行為も、
あまり意味がないなと思います。

というか、
瞑想のセンスを感じないのです。
瞑想は、ハートでするもの 感性のものなのです。

雑念があっても、
暖簾(のれん)をかきわけるように、
瞑想したら、カッコよくないですか?

雑念なんて、何事でもないの。
何事でもないものを、必死に消そうとしたり、
あるのに無いものにしちゃう行為が、
センスが無いのです。

こういう、瞑想のセンスが、
現実を生きる中にも出るのです。

 

世の中には、雑念のように、
何事でもないものが、あふれています。
それを必死で消そうとして、時間を取ったり、
必要以上に注目して、
さも、人生の大切な事のように扱ってしまったり。

何事でもないものは、
世の中にあふれているのに、
無かったことにしようとしたり、
どっちもヘンです。

瞑想が生きているということ。
この生きてる瞑想を楽しむの。

難しい人は、瞑想会に参加して下さいね。

どうでもいい ちっぽけなものを手に入れて、
大きな宝を逃す事の方が、どうかしてると思います。
まぁこれも、センスが無いとわからないわけです。

もっと、習った 自分を信じたらいいだけなの。
ただ、淡々と 毎日 続けるの。

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